第45話 弱者
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ヴァイスに鬼王と呼ばれているゴブリンは、かつては領域を支配する王であった。
小さな領域が密集したその地では、領域を拡大しようと領域間の争いが激しかった。
その中で彼は誰よりも前で戦い、武勇を示すことで群れを率いる王であり、その武勇にすがる弱い群れが彼の庇護を受けようと集っていた。
弱きゴブリンの群れを守りながら戦い続けた彼は、群雄領域とでもいうその地でも有数の力を持っていた。
闘争に明け暮れ、戦士が増え始めた矢先。
災厄が、彼の領域を吞み込んだ。
彼の領域だけではない。
他の領域も例外なく、彼と覇を競っていた領域の支配者達もその災厄に喰われて消えていった。
彼が競い合ってきた狼の魔獣も、蜥蜴の戦士も、巌の如き巨人すらも、災厄としか形容のしようのない、天を衝く程に巨大で醜悪な蛇の割者によって例外なく喰われてしまった。
何物にも屈してこなかったゴブリンの王であったが、そんな彼であっても全力で逃げることを選ぶしかなかった。
幸いにも外側に位置していたため、かろうじていくつかの群れを率いて逃げ延びた彼は、境界を辿って安住の地を探した。
いくつもの領域に追われ、守り切れず群れの数を減らしながらも、彼はようやく同種のゴブリンが支配する領域にたどり着いた。
ようやくついてきた者たちに報いれる。
そう思ったが、この地の王は臆病にも会うことを拒絶した。
前に立って戦わぬ王に、外から来た王と戦おうともせぬ王に彼は激怒した。
だが、王の代わりに戦う小鬼の森のゴブリンの戦士達は強く、数も多く彼についてきたゴブリンは数を減らしていった。
王である以上、付いてきた者達を守る義務がある。
彼は王に合うことを諦め、ゴブリン達に集落を築かせ、自らの手で彼らを守ることとした。
■鬼王視点
ある日、物資を得るために出ていった集団が戻らず、探しに行けばそこには見知らぬ人間ども。
かの地で競ってきた支配者達に比べれば格下ながら、中々に手ごわい。
特に小さな魔人は油断ならない。
だが、それだけだ。
魔人の攻撃にさえ気を付ければ問題などない。
その時だった。
身の毛もよだつ化け物が現れたのは。
あの災厄を連想させる、同胞と似て非なる“何か”
今まで戦ってきた何物とも違う、手応えの無さ、得体の知れなさ。
何よりもその、こちらに向けられる憎悪に恐怖すら抱いた。
これを、集落に近づけてはならない。
そう思い、それを引き連れてその場を後にした。
この森のゴブリン達に邪魔されたが、何とか撒くことはできた。
集落に何とか戻り、一休みした後に食料調達のために森に向かった日。
緊急事態を告げる角笛の音が聞こえた。
駆けつければ、集落の入り口にて待ち構えるあの時の人間どもの一人。
その足元には、集落の守りを任せた戦士の一人。
だが、それだけだ。
戦士が戦い屍を晒すのは当たり前。
死に顔も穏やかならば、こいつは戦士としての通りをわかっているようだ。
ならば、自分も戦士として相手をせねばならない。
近づけば、隠れていたあの魔人が姿を現す。
他にもいるようだが、この二人に比べれば話にもならない。
酒を撒くなどという小細工を弄しているが、だから何だというのだ。
力でねじ伏せる。
格下相手に全力を出すわけにはいかないが、本気で相手をしよう。
――前よりも、手ごわい。
あの時に居たもう一人の人間も中々だったが、数が減っても今の方が連携の密度が高い。
男の剣ではよくて肉が少し切れる程度、撃ち合えば一瞬しか持たない程に非力だ。
だが、それでも魔人の一撃を避けようとすれば邪魔を、魔人に攻撃が当たろうとすれば僅かであっても時間を稼がれ、その時間で避けられる。
かといって、男を先に倒そうとすれば、驚くほどに守りが固い。
かつて倒した支配者の魔獣の骨より削りだした大剣ですら、捌き切られる。
力と速さを突き詰めた剣では、男を捉えきれない。
そうなれば、その隙を魔人に狙われる。
一度魔人の鉄槌を受けた左手は、今も感覚がおかしい。
何度も受けられるような攻撃ではない。
本来は大振りにしかならない鉄槌を、その生き物ではあり得ぬ魔人故の体で、縦横無尽に振るってくる。
腕の長さも当てにならぬ。
避けたはずが、腕が伸びた事で避け切れなかった。
このような魔人と戦うのは初めてだ。
戦士として、笑いが止まらぬ。
支配者以外で、これ程までに強いものがいるか!
いくら領域を失い、心を折られ、王である身に付いてくるものが減ったとはいえど。
あの日より遥かに弱くなっていても、王の一角にここまで食らいつくか!
ならば、敬意を示しようではないか!
小柄な魔人が、不釣り合いに巨大な鉄槌を持って飛び上がり、全身を使って回転しながら振り下ろしてくる。
意志も魔力も込められた、避けねばならぬ一撃。
なれど。
それを、左の拳で打ち返す。
この大剣を得るまでは、この拳で戦ってきたのだ。
魔力を込めた拳は、それでも鉄槌を受け止めきれずに砕け、血が吹き上がる。
だが、止めた。
回転が止まった事に、魔人の驚愕の意が伝わってくる。
「ルメール!!」
男の声が聞こえるが、遅い。
左の拳より僅かに振るった右の大剣が、魔人の両足を切り飛ばす。
中々に硬かったが、この大剣に抗うほどではない。
陶器を割ったような軽い手応えだが、確かに断ち切った。
これで、あの面妖な動きはできまい。
中々楽しかったが、終わりだ。
魔人を受け止め距離を離した男に近づこうと、一歩を踏み出した。
その時。
何か、冷たいものが背中から浴びせられた。
……酒?
先ほどから漂うのと同じ、酔いそうなほどに濃い酒精の匂い。
その意図がわからずに振り返ると。
気付きようがないほどに、矮小な器の男が。
剣をこちらに向けていた姿が映った。
■優斗視点
――目に物を見せてやる気はないかの?
ペドロの言葉に迷わず頷いた俺は、酒の入った樽を構えて息を殺していた。
チャンスは一度。
見向きもされていないとはいえ、それでも近づいて巻き込まれればひとたまりもない。
正直、恐ろしい。
得体のしれない収穫者とは違う、理解できる純粋な脅威に、足が竦む。
だけど。
ルメールさんの足が斬り飛ばされた瞬間、気が付いたら走り出していた。
今しかない。
あのルメールさんが、足を奪われた。
今じゃないと、駄目だ。
おっさんが、あのおっさんが焦った目をしていた。
その想いが、怯える俺の背中を蹴り飛ばした。
勢いのままに、酒を鬼王の背中に浴びせる。
――この火酒に込められておる魔力の本質は、火を着ける事にあるのじゃよ。
ペドロさんのその説明だけで、俺は何をすればいいか分かった。
ガラティーンを、鬼王の背に向けて突き出す。
あの時大蜘蛛に向けて、無意識で唱えた解放の言葉を。
「日輪の写し身よ。その影を……」
今度は、俺の意志で、魔力を込めて唱える。
振り返った鬼王の視線がこちらを向く。
困惑したような、路傍の石を見るような目だった。
俺を敵とも見てないのなら、目に物を見せてやるよ!
あの収穫者の炎よりも、熱く!
硬く、硬く、魔力を込めろ!
この一撃で全てを貫く太陽のような炎を、ここに!
俺をここに行かせてくれた、那砂に報いる一撃を!!
「かの地に示せ――ガラティーン!!」
大蜘蛛の時よりも、小さな太陽が剣先に現れる。
白い太陽。
いや、僅かにだが青白く燃える太陽が鬼王に向かって打ち出され。
鬼王が被った火酒が、その太陽に触れた瞬間。
太陽が、爆ぜた。
■ヴァイス視点
あの鬼王の巨体が吹き飛ぶ。
ガラティーンから打ち出された太陽が、火酒の魔力を吸い込み大爆発を起こしたんだ。
全身が燃え上がった鬼王が、受け身もとりながらも勢いよく地面を転がっていく。
「マジかよ、最高だ!!」
やりやがった!!
ここで、一番欲しかったタイミングで、想像以上のことをやり遂げやがった!
「ルメール!!」
「うん!」
ルメールの両足を切り飛ばされた瞬間終わったと思ったが、まだだ!
ここで畳みかける!
俺は、前傾姿勢になると、右手で鉄剣を構え、これこそが俺の牙だと握りしめる。
左手は、しっかりとルメールの右手を握りしめ。
込められた魔力が、鉄剣を白い牙の様に輝かせる。
ルメールが、左手で鉄槌を地面に叩きつけて固定する。
行くぜ、ここで決めなかったら必殺技の名折れってもんだ!
「豚だって牙があれば猪よ!」
だからこそ、無いはずの牙を握りしめ。
外付けの牙だろうと、道を切り開くのに遜色なし!
「猪突猛進!!」
俺は全力で駆け出し、鉄剣に纏った領域で魔素を切り開き、鬼王に向かって突進する!
決めるぜ、俺達の“合体技”を!
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鬼王は、驚愕していた。
あのような矮小な存在が、ここまでの魔法を行使するなど想像もできなかった。
不意を打たれ吹き飛ばされはしたが、それ程大きなダメージではない。
だが、燃え盛る炎が視界を塞ぎ、燃え狂う魔力が領域をかき乱す。
だから、気付くのが遅れた。
離れていたはずのヴァイスが、無視できない程の魔力を込めて突撃してきたことに。
だがそれでも、鬼王は反応した。
「ぶち抜け!」
反応し、大剣でヴァイスの鉄剣を迎え撃つ。
一瞬の均衡。
だが、万全の魔力を込めたヴァイスと、とっさに振るった鬼王との差が、力の差を覆した。
突き上げるような鉄剣に、鬼王の大剣が跳ね上げられる。
その勢いに、鬼王の上体が持ち上がり。
ヴァイスが左手を振りぬいた瞬間。
「「【エーベル・シュラーク】!!」」
――ルメールの鉄槌が、鬼王の右膝を粉砕した。




