第43話 鬼王
笑いながら悠々と歩み寄る鬼王。
強者感は最高だが、その時間はこっちにとってはありがたい。
「ペドロ!」
「うむ、任されよ!」
ずっと担いでいた背中の樽を下ろしたペドロが、手斧の魔器でその蓋をたたき割る。
すると、濃厚な酒の匂いが俺達の領域に広がっていく。
ペドロは躊躇なく、腰に吊るした酒杯に並々とその酒を注ぐと、盛大に周囲に撒いていく。
『我らが土地に住まいし者には高揚を、我らと相対せし者には悪酔いを』
撒かれた酒の匂いが広がると、まるで酒場にいるように領域を張るのが楽になっていく。
『我らが酒を生む土地を、守る者へと祝福を。我らが作りしこの一献、バッカスに捧げ奉る!』
俺らが毎日のように飲む酒と同じ魔力が周囲に広がり、小鬼の森の領域を一時的に上書きする。
バッカス神官が、その手で作り上げた酒を撒いて奉納することで一時的に領域を中和又は上書きするとっておきの儀式だ。
しかもこの匂い、火酒じゃねぇか!
地人が愛する火が付くほどに酒精が強い火酒は、鍛冶の火付けにも使う地人の命の酒。
俺も少ししか飲んだことがない程度には、地人が隠して市場には出回らない逸品だ。
それをバッカス神官という最高の飲兵衛が、飲まずに撒くとかいう苦行を強いてまで行うんだ。
その想いの強さは並大抵ではない。
実際に、鬼王の領域にすら抗っている。
いや、酒飲みの執念すげぇな!?
「ペドロは維持を頼む。優斗は今はペドロの護衛を!」
「うむ、心得た!」
「わかった!」
維持しなければ長く持つものではない。
バッカス神官であるペドロに儀式に集中してもらう必要がある。
「行くぞルメール!」
「いつでも!」
ペドロの上書きした領域に踏み込んできた鬼王の首めがけて、切先にまで魔力を満たした鉄剣を突き出す。
それと同時に、関節を無視した動きで地を這うほどの低さから鉄槌をルメールが振り上げる。
ルメールの鉄槌を鬼王が大剣を叩きつけるようにして相殺する。
そして俺の鉄剣は、筋肉に覆われた鬼王の肩によって逸らされる。
皮を切り、肉を裂くも、その程度だ。
だが、前回のカディスで皮一枚だったんだ、肉まで切れたら上々よ!
鬼王も傷ついたことに不敵に笑いながら、それでも狙うのは地を這うルメール。
領域が歪む程の勢いで鬼王の右足が蹴りぬかれ。
俺がルメールに向かって蹴りを放ち、ルメールも同時に俺の足裏を蹴ることで鬼王の蹴りを避ける。
ルメールと蹴りあった反動のまま一回転して、蹴り上げたことで片足立ちになった足を狙う。
それを、鬼王は足首だけの力で跳び避けた。
流石にそれは想定外だが、受けるか避けるは想定内!
俺と逆方向に一回転したルメールの鉄槌が、飛び上がった鬼王に襲い掛かる。
無理して避けた空中で、しかも領域が塗り替えられている状況では鬼王であっても受けきるのは容易ではない。
それでも大剣で防ごうと体をひねり。
鬼王を追う様に飛び上がった俺の鉄剣が振り下ろされようとした大剣を打ち上げる。
膂力で劣る俺の鉄剣では僅かに留めるのが限界だが、十分だ。
ルメールが全身を使って遠心力を込めた鉄槌が鬼王の体に打ち込まれる。
咄嗟に左腕で防いだようだが、それでも腕が軋む音が聞こえ、鬼王の体が揺れる。
ルメールの一撃を空中で受けても吹き飛ばないとかどうなっているんだと言いたいが、それでもだ。
反動で俺とルメールは鬼王から距離を取る。
体毛で分かりづらいが、腕に確かにダメージは通った。
「どうだ?」
「折れてない。けど、折れない訳じゃない」
「上等」
自ら戦うタイプの王級の魔物だ。
主に魔器を強化していく器人とは違い、集めた魔力で自身を強化していく都合、硬すぎるのは想定内だ。
だがそれでも、手ごたえがあるなら活路はある。
腕の痛みすら嬉しそうに、左腕を振りながら笑う鬼王に、俺も負けじと笑みを浮かべる。
その左腕が本調子に戻る前に、畳みかけさせてもらおうか!
■優斗視点
確かに、収穫者と比べればまだ見れる。
こちらを見てもいないから、思ったよりも圧は低い。
だけど、それでも、それでもだ。
何だよ、あの化物は。
2メートルを超えてそうな、ゴブリンだが、ゴブリンと言うのは憚られるその筋骨隆々の体躯は、確かに鬼の王だ。
その骨でできてるのが分かる巨大な大剣が一振りする度に、こちらまで圧が届いてくる。
隣ではペドロさんが額に脂汗を浮かべながら、その度に必死に領域を奪われまいと祈りを捧げていた。
俺はペドロさんに頼まれて、酒杯を使って酒を撒いているだけだ。
集落のゴブリンは、集落の中から鬼王の戦いを見守っているだけで、誰も出てくることはない。
恐らく、邪魔を出来ないのだろう。
俺も、そうだ。
それ程までに、次元が違う。
鬼王とルメールさんの武器がぶつかり合う度に、離れてなお俺の領域が割れそうな程の衝撃が伝わってくる。
明らかに格が違う二人。
正直実力が俺とかけ離れすぎていて、違いすぎるとしかわからない。
そんな二人と同じ位置で戦い続けて、ルメールさんを補助し続けているおっさんが、どれだけ凄いのかはよく分かった。
おっさんの攻撃は鬼王に当たっても軽傷しか与えられてない。
鬼王相手に打ち合えば簡単に押し負ける。
おっさんが言っていた戦力等級。
王級と一級の格の違いと、それに対する二級の差が目に見えてわかる。
なのに。
あの戦いの流れを作っているのはおっさんだ。
ルメールさんを守り、攻撃の機会を作り、鬼王が意識を外せないだけの攻撃を織り交ぜる。
鬼王に一度として見向きもされていない俺とは違う。
地力以上に、おっさんの技術と経験が、その凄さに俺は目を離せなかった。
「見事なものじゃろうて、あれは」
「……はい」
隣から聞こえてきた声に、俺は素直にうなずいた。
どれだけの戦いを越えれば、ああなれるのか。
どういう経験をすれば、あの中で戦い続けられるのか。
「気にするでない。お前さんぐらいの頃のヴァイスじゃったら、ここに来ることなんぞできんかったわ」
そうかもしれないが、それは全部おっさんが導いてくれたからだ。
あの背中があったから、俺は今ここで立っていられる。
だけど、ここに来て足手まといで終わるなら来た意味がない。
俺が、そう思い悩んでいると。
「……ふむ」
領域の維持で必死であろうペドロさんが、俺を見ながら頷くと。
「のう、優斗よ。見向きもされぬ小兵と侮るあやつに、目に物を見せてやる気はないかの?」
口調は軽いが、その真剣な目に、俺は迷うことなく頷いていた。




