第36話 先輩
時間は少しさかのぼり。
小鬼の森で逃げ出した鬼王と収穫者を追おうとした俺達の前に、生き残りの小鬼の森のゴブリンたちが立ち塞がった。
鬼王も収穫者も、どちらも小鬼の森からしたら敵対者のはずだ。
にもかかわらず、こちらの邪魔をしてくる。
その意図がわからないが、無理やりにでも押し通らせてもらう。
俺達を倒すのではなく、時間稼ぎに徹したゴブリンは厄介だった。
予想以上に時間を稼がれた。
ただ、鬼王と収穫者が向かった方向はわかる。
収穫者によって森が焼け焦げ、その跡が道になっているからだ。
その跡を追って全員で駆け抜けていく。
道中、鬼王と収穫者によって殺されたゴブリンの痕跡が残っていた。
そして、その痕跡の度に焼け焦げた跡が曲がっている。
どうやら、小鬼の森のゴブリンによって誘導されているようだった。
「……どういうことだ?」
小鬼の森のゴブリンが、命を賭して鬼王の逃げる先を誘導している?
「“賢鬼”の命で、鬼王をわしらの街に誘導しておるのじゃろう」
「短慮で凶暴と有名なゴブリンが、ですか?」
ペドロの推測に、カディスが首をかしげる。
「それぐらいできねば、とっくの昔に小鬼の森のゴブリンは収穫者に刈りつくされておるよ」
実際に収穫者を目の当たりにすれば、その言葉に納得するしかない。
十年以上もの間、収穫者を支配領域に抱えながら森を維持し続けているのだ。
何をどうすればそれが可能なのか、俺には想像もつかないな。
「その賢鬼をして森から出せなかった収穫者を、鬼王を利用して森から放逐しようとしておる……そうは考えられぬか?」
確かに、眷属級のゴブリンでも収穫者から逃げれるとは思えない。
だが、王級の鬼王なら、それを賢鬼が補助するならば、収穫者を誘導しきることができるかもしれない。
……予想が甘かった。
街の方向に向かいまっすぐに伸び始めている焼け跡を駆けながら、奥歯を噛み締める。
「急がねぇと」
嫌な予感がする。
焦燥感が膨れ上がり、血の気が引くのがわかる。
「ヴァイスよ、急くのはわかる。じゃから、わしの策を聞いてほしい」
「……聞かせてくれ」
短く語ってくれた策に、俺は頷くと。
ルメールの体をペドロに預け、ルメールの鉄槌を担いで俺は全速力で一人で森を駆け抜けた。
怒りに、全身が震えている。
甘い予想で、後輩を危ない目に合わせた俺に。
力及ばず、鬼王を取り逃がしてこの事態を防げなかった俺に。
そして、こんなになっても諦めなかった最高の後輩を信じ切れなかった俺にだよ!
マリネを庇って気絶している那砂を背にし、荒れ狂う怒りに任せて収穫者に向かい合う。
「ヴァイス……!」
「……遅れてすまん、マリネ」
いつ以来か、泣いているマリネを見るのは。
この子を泣かせないと、シンザキ達と誓ったのにこの体たらくだ。
「……おっさん」
草原から足を引きずって、優斗が現れる。
右腕が折れ、全身を焼かれても、二人を守るために収穫者に立ち向かった最高に格好いい後輩が。
お前が立ち向かったから、間に合った。
「最高に格好良かったぞ、優斗」
俺の心の底からの称賛に、優斗の目が潤む。
「……二人を頼む。あとは、任せろ!」
「任せた、おっさん!」
足を引きずりながら、それでも迷うことなくまっすぐに二人に駆け寄っていく。
優斗の見せた覚悟に、この程度じゃ見合わないだろうが、俺も覚悟を決めさせてもらおうか!
頼もしい後輩の勇姿に負けまいと、燃える怒りを言葉に変える。
「俺が誓うは不退転――」
収穫者がなんだってんだ。
「俺が願うは道標」
割れる程の憎悪も、それが結実した割者の恐ろしさは、今まででも断トツで恐ろしかったさ。
……だがな!
「この背に守るものあるならば、彼らに背中を見せつけて、万難全て退けようか!」
絶対に勝てない相手に折れなかった優斗の覚悟に比べれば、それがどうしたってんだよ!!
「堂々と先輩を名乗る為にも、格好いい後輩に負けてられねぇんだよ!!」
魅せてやるよ、俺達の切り札の一つ!
鉄剣を鞘にしまうと、俺は背負っていた鉄槌を両手で握りしめた。
妙に起き上がるのに時間のかかった収穫者。
理由は知らないが、調子が悪いか?
だがな、隙は逃してやらねぇよ!
「ルメール!」
『了解――ヴァイス』
鉄槌から、いつもよりずっと無機質な念が伝わってくる。
ビスクドールというフィルターを取り除いた、ルメールの念が直に響いてくる。
収穫者に向かって跳び上がると、起き上がろうとした頭に全力で鉄槌を叩きつけた。
想像よりも柔らかい頭蓋が砕け、巨体が草原に倒れ込む。
だが、血も流れない頭蓋の奥から炎が吹き上がり、新たな頭蓋が即座に形成されていく。
「思ったよりも柔らかいな!ゴブリンが素材じゃ限度があるよなぁ!」
『――感触不満』
「砕き甲斐がないってか?その分叩ける回数が多いからそれで我慢してくれ!」
起き上がろうとする収穫者の膝を鉄槌で砕いて止める。
全力で邪魔してやるよ!
――基本的に、他人の魔器を扱うことはできない。
魔器を継承する儀式も、血縁者が長い時間をかけなければ失敗するぐらいだ。
ただ、ルメールは俺が遺跡で見つけた古い魔器に意志が宿った魔人。
俺はルメールとある契約を交わし、その代価にルメールに魔力を提供することになった。
そこから長い間、俺はルメールに触れることで魔力を供給し続けた。
契約者であり、長い時間をかけて魔力を馴染ませた俺は、ルメールを振るう資格を得たわけだ。
正直鉄槌は得意じゃないが、それでも振るうだけなら俺でもできる!
そして、魔力を直接俺から供給できるのならば!
燃費を気にせずに、ルメールの火力を発揮できる!!
倒れながらも収穫者が、フレイルを横に薙いでくる。
「行くぞルメール!」
『何時でも』
足を広げて、両手で鉄槌をフルスイング。
ランタン部分と鉄槌が激突し、ぶつかり合う魔力が荒れ狂い、ランタンの炎が吹き飛ばされる。
この程度でランタンの炎が消えることはないだろうが、こっちに炎が来なけりゃ上等。
多少の火の粉は今の俺の領域で弾き飛ばせる。
フレイルだから、一度でも拮抗すれば向こうの力は入らない。
後はこっちが全力で振りぬくのみ!
勢いよく吹き飛んだランタン部分が、収穫者の胴体に直撃した。
ピッチャー返し上等!
衝撃に痺れる両手に力を入れて、無理やり誤魔化しながら間髪入れずに追撃の鉄槌を振るう。
……倒れながら振り回したフレイルに拮抗されるんだ。
立ち上がり、腰が入った一撃にもなれば、これだけ込めた気合と覚悟でもどうにもならないだろう。
だからこそ、起き上がらせるわけにはいかない。
痺れようが何しようがこの手を休めるわけにはいかない。
「出し惜しみはなしだルメール!」
『割者相手に惜しむはずない』
「上等だ!」
まずはその厄介な左腕を叩き潰す!
ランタンがめり込んで動かないうちに……。
──膨
ランタンから、青い炎が爆発するように膨れ上がった。
「ぐっ!?」
誓いの言葉で強度を増している俺の領域すら貫通して、青い炎が俺の体を焼いてくる。
咄嗟に飛び退いたおかげで軽く焙られただけで済んだが、まともに触れたらと思うとぞっとする。
収穫者の巨体が青い炎に覆われ、勢いよく燃えあがる。
潰れた足も、ランタンがめり込んだ胴体も、吹き上がる炎ですっかり元通りで。
炎で近づけない俺は、立ち上がる収穫者を眺めるしかなかった。
しかも、当然のように自分は燃えても平気と来たもんだ。
地獄の餓鬼でももう少し慎みのある姿をしてるぞおっさん。
青い炎を纏った巨大なゴブリンとか、鬼も裸足で逃げ出すわ。
だがな、俺の誓いは不退転。
怖気づいて逃げるような無様はさらさねぇよ!
青い炎を纏った曲剣が薙ぎ払われるが、それを跳躍することで跳び越える。
俺が跳んで避けるのを見越していた収穫者が、燃え盛るフレイルを空中にいる俺に向かって振り上げた。
空中ならば避けられない。
ただな、ここは境界!
境界の魔素は水のごとく御しやすい。
だから、足場の魔素を氷のごとく踏み固めれば、空を駆けることもできる!
空中でのもう一歩の跳躍でフレイルを躱し、天地逆転した俺は、さらにもう一歩を踏み固める。
空から大地に向けて落ちるように跳んだ俺は、その勢いのまま鉄槌を振り下ろす。
燃え盛る炎に焼かれながら、それでも強引に振るった鉄槌が、収穫者の頭蓋に叩き込まれる。
叩き潰した確かな感触を感じながら、それを目で確かめる暇もなく転がるようにして距離を取った。
「熱っちい!!」
青い炎が引火した革鎧を脱ぎ捨てる。
地面に落ちることなく燃え尽きていく、長年の相棒だった革鎧を横目に、収穫者に向き直る。
頭を潰したおかげか、全身を纏った炎は少し勢いが弱くなった。
だが、すでに頭は元通りだ。
割者が厄介なのは重々承知だったが、収穫者が想像以上すぎる。
ゴブリンを刈ることに特化した弊害か、かつての剣技は太刀筋以外見る影もない。
大振りだから何とか避けられているし、普通なら触れたら終わりだろう青い炎も、幸い俺は“相性がいい”
流石に大盤振る舞いし過ぎた。
精神の量と重さには自信があるが、それでもルメールを振り続けてる以上限界はある。
すでに優斗達は安全圏まで逃げ切っている。
十分に役目は果たしたと言いたいところなのだが……。
不退転の誓いを破るわけにはいかなくてね!
退くことを禁ずる誓いは、俺に逃げるという選択肢を赦さない。
誓い抜きで相手にできる相手じゃなかったが、こういう事があるから安易に誓うべきじゃない。
とはいえ、だ。
「お待たせしました!」
時間稼ぎは、成功したらしい。
カディスの声と同時に、収穫者の顔がカディスの声の方に向いた。
白いコートが薄汚れたカディスが、俺の隣に駆けつけ。
収穫者は、俺達にみむきもせずに草原に向かって歩き始める。
その先には、足を切られて動けなくなったゴブリンの姿。
それも、小鬼の森に向かって連なる様に何匹も。
「……正直、助かったよ」
草原に一条の焼け跡を刻みながら、収穫者がゴブリンを焼きながら小鬼の森に向かって進んでいく。
その背中を眺めて、俺は大きく息を吐く。
自分より格上のルメールを強引に振るった反動で全身が悲鳴を上げている。
誓いの効果が切れたのも相まって正直立っているのも辛いぐらいだ。
収穫者がちゃんと進むのか見届けていたのだろう、ペドロが遠くから向かってくるのが見えた。
ペドロに預けていたルメールの体も無事だな。
最悪は免れた。
まだまだやることは山ほどあるが……。
「帰るぞ!!」
今日はこれ以上無理!




