第32話 王級
領域支配者。
一定の支配領域を持ち、その領域内のものを従えている存在のことを指す。
樹鹿の森の“樹鹿”
小鬼の森の“賢鬼”
俺達の街の領主も、街という領域の支配者という意味では該当するか。
そのような存在は、戦力等級という区分けにおいて“王級”と区分されている。
戦力等級というのは、基本的に一級から四級で表される、この世界における強さの指標だ。
詳しい説明は省くが、ざっくり俺やカディスが二級、ペドロでも三級、本気のルメールが一級といった所か。
……王級はその枠から外れた規格外等級の一つだ。
領域の規模などによってその脅威度は天と地の差はあるが、下から数えても化け物揃い。
最低でも一級相当、確実に俺より格上だ。
だが王と言われるだけあり、基本的に自分の支配する領域から動くことはない。
特に領域の中心に鎮座しているのが基本で、眷属やその配下を動かし、それらから献上される魔力を蓄える。
それ故に領域の規模が大きくなればなるほど、その脅威度は膨れ上がるわけだ。
ここ近隣で最大規模の支配領域である樹鹿の森の樹鹿が、特にやばいのはこういうことだ。
ただし、強大すぎるが故に支配領域に最適化され過ぎて、鯨が海から出てこれないように支配領域から出るのは大きな苦痛が伴うらしい。
だから、領域支配者が他の領域に現れることはまずありえない。
ありえないはずだったんだが……。
苦痛を感じてるとは思えない自然体でたたずむ、ゴブリンと言うには佇まいに貫禄があり過ぎる姿。
同じゴブリンだから、他人の領域でも問題ないってことか。
明らかに纏っている雰囲気の格が違う。
言っちゃ悪いが、うちの領主よりも貫禄があるし強そうだ。
うちの領主より強そうって時点で、王級しかありえないわな!
くそったれ、小鬼の森に別の王級が来てるとか予想外もいいとこだぞ!?
「ペドロ、下がれ」
「……うむ」
経験も技量も信頼できるペドロだが、単純な強さでは俺やカディスより一段落ちる。
最悪の場合は一人でも街に知らせてもらわないと困るからな。
王として堂々と群がるゴブリン達をあやしていた奴――鬼王とでも呼ぶか。
その視線が、こちらに向いた。
俺達を一瞥し、そして地面に転がるゴブリン達の亡骸を見て。
――空間が、割れた。
そう錯覚する程の圧と共に、奴の顔が怒りに歪み。
爆音が響く。
次の瞬間には鬼王が眼前に居て。
圧縮された領域を纏い、魔素を強引に削る轟音を響かせながら右手に握られた骨の大剣が振り下ろされる。
それを、俺とルメールとカディスの魔器が迎え撃った。
咄嗟に、だが全力の魔力と意思を込めた鉄剣が、鉄槌が、魔剣が大剣とぶつかり。
領域が鬩ぎあい、意志と魔力がぶつかり合う轟音が響き。
一瞬の硬直の後に、競り負けた俺達が三人ともに吹き飛ばされた。
威力の大半は相殺できたから、三人揃って後方に飛びのき、体勢を立て直す。
三人がかりで押し負けるとか冗談じゃない。
鬼王も、驚いた顔でこちらの様子をうかがっている。
……王級の一撃だ、俺達が三人とも無事なのが驚きなのだろう。
そうだ、お前に届きうる相手だぞ。
だから、退いてくれないかね?
リスクを背負うのは王としてはよくないと思うんだが……。
不思議そうに大剣を握る手を見ていた鬼王が。
満面の笑みを浮かべ、大剣を両手で握りなおす。
くそが、好戦的な脳筋王じゃねぇか!?
簡単に壊れないおもちゃが現れてご満悦って感じかな!
……ったく、退けないなら活路を開くしかないな。
「俺が出る。援護頼む」
火力ならルメール、人型相手の技はカディスが上だ。
なら、一番守りが得意な俺が二人の隙を作るしかねぇよな!
背の低いゴブリンとは真逆。
2メートルを超える長身から振り下ろされる大剣を、俺は見上げるような姿勢で斜めにした鉄剣で受け流す。
受け、流せてるかなこれぇ!?
鉄剣に纏った領域が一瞬で削り取られ、全力で込めているはずの魔力が、一太刀ごとに霧散していく。
腕を痺れが襲うが、逸れた大剣が地面に突き刺さる。
それを踏みつけ、少しでも抜けぬように抑えながら、全力の回し蹴りを喉元に叩き込む。
無防備な喉元に突き刺さったはずの鉄板入りのつま先が、岩でも蹴ったような感触を伝えてくる。
喉元でこれかよ!?
にやり、と笑った鬼王が無造作に大剣を振り上げると、抑え込んでる俺なんぞ無かったかのようにあっさりと振り上げられる。
足元をすくわれた俺が空中で一回転し。
無防備な俺を切り落とそうと、振り上げた大剣が空中で静止し、振り下ろされ。
その瞬間、背後から頭部に縦にルメールごと高速回転した鉄槌が。
足元からアキレス腱を狙ったカディスの魔剣が。
それぞれ必殺と言っていい一撃が襲い掛かり。
当然のように反応した鬼王が、飛び上がってカディスの剣を避け。
振り向きざまに振るわれた大剣がルメールの鉄槌と鍔迫り合う。
お互いが空中、だが全力で振るわれた遠心力込みのルメールの一撃と、咄嗟の防御の鬼王では優位なのはルメール。
だが、拮抗した。拮抗してしまった。
となれば後は純粋な膂力勝負になる。
そうなれば、逃げ場のないルメールが危ない。
振り向きざまに弧を描く足が動けないルメールに向かって振り上げられる。
「ふっ!」
それを、裂帛の気合で軌道を変えたカディスの魔剣が、空中の鬼王を追いかける。
腱は外したが、それでも鬼王の足に一条の傷を刻み込む。
「ルメール!」
地面に着地し、体勢を立て直した俺が手を伸ばす。
俺の言葉に反応したルメールが、人形の腕の関節を外して手を伸ばす。
それを握ると、全力で空中のルメールを引き戻す。
先ほどまでルメールがいた場所に、カディスの一撃で一拍遅れた鬼王の蹴りが打ち込まれる。
虚空を打ち据えた足が、魔素を叩く硬質な音を響かせる。
あんなの受けたらひとたまりもないぞ!
「ありがと、ヴァイス!」
「間一髪!助かったカディス!」
「……皮しか切れませんでしたが」
三人とも即座に鬼王の領域外に飛び退く。
カディスの魔剣で皮しか切れないってどうなってやがる。
……技術は大したことないが、単純に膂力と硬さと反応速度がいかれてやがる。
王級とまともにやりあうのは初だが、領域を支配していない状態でこれかよ。
正攻法で倒せる相手じゃないぞ、これ。
「ヴァイス、誓いは?」
「ここじゃ無理だ、条件に合わん。お前は?」
「私も無理ですね」
カディスの問いに、無理と返す。
そういうカディスも無理か。
誓いの言葉は、自身に多大な制約を課す代わりに、自身の力を引き上げる。
それこそ、格上相手であっても通用するだけ底上げすることも可能だ。
ただし、当然いつでも誓えるようなものではなく、条件があるのが一般的だ。
俺の場合は、守りと導き。背中に守り導く相手がいることが条件だ。
今回はそのどっちも満たしていないし、不退転の誓いは俺から撤退という選択肢を奪うことになる。
カディスの誓いは知らないが無理らしいし、ルメールもここで誓うことはないだろう。
バッカス信者のペドロは普段からよく誓いを唄っているが、あれも守りの誓いだからな。
なので、ここで誓いの言葉を唄うことはできない。
となれば、地力で対処するしかない。
……ルメールの攻撃は確実に防いでいる以上、ルメールの攻撃は通じると思うんだが。
だが、よほどの大技でもない限りダメージにならないし、それで倒しきれるとも思わない。
マジでどうすっかなこれ!
「……ん?」
ふと、地味に利く俺の鼻が異臭を嗅ぎ付ける。
……焦げ臭い?
木が、肉が焼ける臭い。
俺に遅れて、みんなが、そしてゴブリン達がその焦げ臭さに気付く。
一拍疑問を挟む俺達とは違い、ゴブリン達の反応は劇的だった。
鬼王ですら、俺達などどうでもいいように、焦げ臭さの方向に向き直り、その顔に焦りが浮かんでいた。
王級が?
焦げ臭さに遅れて、息ができない程の熱気が流れ込んでくる。
怒りが。
先ほどの鬼王の怒りなど、子供の癇癪だと言わんばかりの怒りが、憎悪が熱を持って領域を塗り替えていく。
――暗い人魂
青く暗い炎が、森の奥から人魂の様に浮かび上がる。
その背後を、赤い炎で染め上げながら、巨大な。
鬼王の二倍はあろう巨体が、音もなく現れる。
青い炎を宿したランタンを吊るしたフレイルを掲げ。
直角に曲がった巨大な曲剣で無造作にゴブリンを刈り取りながら。
窪んだ眼窩の奥から覗く、青い憎悪に濡れた瞳に背筋が凍り付く。
巨大なゴブリン。
そうとしか言えない、だが明らかに違う異形。
――収穫者。
俺の記憶より、遥かに違う何かに変貌していた奴と、俺は再会を果たした。




