第20話 豚と猪
後ろを振り向くのが怖い。
大暴れしているルメールの振るう鉄槌の破砕音が響き渡っている。
眷属の狐と熊諸君ご愁傷様である。
とはいえ、悠長にしていたら俺もルメールに追いつかれてしまう。
流石にそんな情けない姿は見せられない。
走り抜けた先には、大きな気配が二つ。
奥の一つは覚えのある樹狸の気配。
手前のもう一つは、樹狸程ではないが、狐や熊より大きい。
となると、樹鹿の森の階級からしてあいつだろう。
奥までたどり着くと、そこには二匹の巨大な獣が佇んでいた。
その二匹を中心に領域が境界を塗りつぶし、小さな樹鹿の森を作り上げている
後ろに控えるのは樹狸。像程の巨体を丸めてこちらをじっと見つめてる。
その前に立ちふさがるのが、像程の大きさを誇る樹狸よりも全高は低いが、重さは負けていない重量級。
樹鹿の森において、樹狸に次ぐ眷属・樹猪。
牙のように伸びた一際太く鋭利な枝と、全身を覆う鎧のような硬質の枝。
樹鹿の森の眷属の中で、危険度で言えば最も高いのがこいつだ。
最も多くの開拓者を殺したと言ってもいい。
何せ、外敵を見かけたら迷わず突進してくるんだからな。
そして、一度走り出したらどこまでも追いかけてくる執念深さ。
と言うべきか、それとも一つの事に夢中になったら他が目に入らないぐらいのお馬鹿というべきか。
だが、それゆえにこいつにやられた開拓者は数知れず。
「こいつを倒してみろってことかな、樹狸さんよ」
それもできない相手なら、自ら相手をするまでもないってか。
上等だよ。
あれだけ熱烈に視線を交わし合ってなお、俺を侮るのなら。
俺も覚悟を決めさせてもらおうか。
誓いの言葉――それは、この世界における覚悟の証。
己の覚悟を、世界に、自分に、魂に宣言する儀式。
バッカスへの誓い唄にも似ているが、もっと個人的なそれは。
その誓いを破ったのならば、命よりも大事なものすら失っても構わない。
その誓いを守るためならば、どんな困難であっても超えて見せる。
それを自分だけの言葉で紡ぐ。
この世界における、覚悟の証明。
□
「俺が誓うは不退転――」
その瞬間、ヴァイスを包む領域が白磁のように輝き、硬質な膜となって空気を押し分ける。
声が届かない程に離れた優斗達の耳にも、その声は聞こえていた。
ルメールが歓喜の声を上げ、その声に込められた熱に優斗と那砂は息をのむ。
「俺が願うは道標」
圧が走り、草原は根ごと折れ伏し、大地すら沈み込む。
魔素は想いを伝播させる。
水中の音が遠くまで響くように。
草原を、境界をその声が呑み込んでいく。
「この背に守るものあるならば」
どこからともなく猪のような唸りが響き、踏み出す一歩ごとに
陶器がぶつかり合うような、硬質な音が魔素を震わせ、境界一帯に響き渡る。
「彼らに背中を見せつけて、万難全て退けようか!」
――その誓いは、硬く、重く。
守る者を背にしたこの背中は、一歩として退くことなどありえないと告げていた。
□
気合十分、覚悟十全!
さぁ、勝負と行こうか樹猪くん!
訳あって、俺はお前が他人とは思えなくてな!
同族嫌悪だ、思う存分力比べと洒落込もう!
あちらさんも、領域を纏ってやる気満々だ。
後ろ足で地面を蹴るたびに、爆発するように地面がえぐれている。
「優斗、那砂!」
今の俺の声なら届く。
それを知ってる俺は、後輩に向かって声を張り上げる。
「この世界で、俺が最高に気に入ってる法則を教えてやるよ!」
俺は、鉄剣を両手で構え、前傾姿勢になると、これこそが俺の牙だと言わんばかりに握り締める。
「必殺技はな、格好良く叫んだ方が強いんだよ!!」
鉄剣が圧縮した領域を纏うと、一本の牙のように鋭さを増し。
込められた魔力が、鉄剣を白い牙のように輝かせる。
行くぜ、俺のたった一つの剣技にして必殺技!!
「豚だって牙があれば猪よ!」
だからこそ、無いはずの牙を握り締め。
外付けの牙を得たならば、豚が猪に負ける道理はない!
樹猪も、俺の気配に負けじと地面を爆ぜさせながら全力で突撃してくる。
いいだろう、真っ向勝負だ!
「猪突猛進!!」
魔力を込めた脚が、一瞬にして俺の身体を最高速に引き上げ。
まっすぐに通した領域の限界にまで俺の身体を加速させる。
「――ぶち抜け!【エーベル】!!」
猪の名を関した俺の牙が、樹猪の牙とぶつかり合う。
一瞬の均衡と共に世界が静止したような静寂に包まれ。
次の瞬間。
樹猪の牙が砕け散り、爆音とともにその巨体が吹き飛んだ。
巨体が数メートル吹き飛ぶと魔素の壁に叩きつけられ、地面に崩れ落ちるとピクリとも動かなくなる。
「次はお前の番だが……さぁ、どうする?」
立ち上がった樹狸に、俺は鉄剣を突き付ける。
お前に地の利はない。
お前を助けてくれる仲間はここにはいない。
そして俺は絶好調で、俺の後ろには心強い仲間がいるぞ。
さっきとは立場が逆転した訳だが。
樹狸と視線が交差する。
敵意はある。
だが、怒りではない。
俺という個を、見極めようとしている目だ。
対等以上と認めてくれた、っていうのなら。
俺は、鉄剣を鞘に納める。
「お前は一度見逃してくれた。だったら、次はこっちの番だ」
色々な思惑があったにせよ、お前は俺を見逃してくれた。
なら、礼には礼を返すべきだろ?
樹狸が、一歩下がる。
俺は動かない。
もう一歩下がる。
俺はただじっと見つめる。
再度、視線が交差した。
敵意はない。
敬意を含んだ、まっすぐな瞳だった。
「ヴァイスブルストだ。また会おう」
俺の自己紹介に、樹狸は応えるように一度だけ小さく唸り声を上げると。
ゆっくりと振り返り。
こちらを見ることなく悠然と森へと帰っていった。




