第14話 樹鹿の森
《樹鹿の森》
俺達の街に近い人外領域の一つ。
最も身近で、最も価値が高く、最も“マシ”な領域だ。
ただし、その最も“マシ”は危険度が低いって意味じゃない。
領域支配者の通称『樹鹿』は、その名の通り樹木を纏ったビル並みにでかい鹿だ。
俺も遠くからしか見たことはないが、全身が植物に覆われていて、植物が鹿の姿をしているのか、鹿が植物を生やしてるのかは誰も知らない。
何故なら、樹鹿に接近して生きて帰ってきた者は一人もいないからだ。
森の深奥から動くことがないから出会うことはないが……。
見ただけでもわかったよ。
あれは正直、俺が見た中でも三本の指に入る化け物だ。
「と、言うわけでそんな化け物の巣、樹鹿の森がこちらになります」
樹鹿の森の領域外端。
草原と明らかに植生の変わったラインの前で解説していた俺は、わざとらしく手で森を指す。
ぱっと見、木々が程よく離れ、地面まで日の光が届く雄大で豊かな森にしか見えない。
「そんだけ脅されてはいそうですか、とはならねぇよ?」
それはそう。
とはいえ、脅かしておかないといけないんだよ、人外領域は。
甘く見ていいことなんて一つもないから、警戒し過ぎで丁度いいぐらいだ。
「百聞は一見に如かず、体験しないとそのやばさは理解できないだろうから実践あるのみなんだが……」
百聞せずに一見したら目を焼かれるのが人外領域。
事前に注意事項はしっかり説明させてもらおう。
「まず、入ったら出るまで一度も休憩はしない。というか、危険すぎてできない」
完全に領域に溶け込める技術があるなら話は別だが、俺しかできないなら意味がない。
「で、危険回避の為の禁止事項がこちら。
一つ、大声や悲鳴を上げる事。小声はいいが、それでも最小限に。
二つ、自衛を除いて魔器を抜いたり魔力を通す事。
三つ、植物に極力触らず、絶対傷付けない事。採取する際は手順を教える。
四つ、火気厳禁。まぁ、魔力の火はまだ出せないだろうから大丈夫だとは思う。
これらは、森を巡回する“眷属”っていう化け物どもを呼び寄せる要因だから絶対守る様に」
樹鹿と比べるとはるかに格は落ちるが、それでも化け物と言っていい連中だ。
会わないことが何より大切なんだが……。
目撃情報が増えてるらしいから嫌な予感しかしないんだよなぁ。
「はい、ヴァイスさん!」
「なんでしょう那砂さん」
ピンと手を挙げた那砂が質問してくる。
正しい質問の仕方に感心してしまうな。
「その眷属っていうのは、どういう姿なのでしょうか。そして、もし出会ったらどうしたらいいですか?」
「眷属の見た目は、基本的に森に居る動物が、全部でかくなって、全身に植物を纏ってる姿をしてる。狐とか、狸とか、熊とか、兎とか、猪とかの目撃例があるな」
微妙に違うが、地球の動物と似てるから識別は大丈夫だろう。
「もしも出会ったら戦おうとか思わずに、俺を挟んで下がる事」
「ヴァイスを犠牲にして逃げればいいんだね」
「マリネさん、せめて囮って言ってくれませんかね!?」
なんでやられる前提なんですかねぇ!
「俺に余裕があれば指示する。余裕なかったら、マリネの判断に任せる」
「はーい」
逃げる判断に関してなら、マリネでも大丈夫だろう。
「それじゃ、行くとしますか」
見てわかるほど色が違う領域という泡の向こう側。
人外領域《樹鹿の森》へ。
領域をくぐった瞬間、水のようだった境界とは環境が激変する。
植物系の領域支配者だけあって、空気のような魔素と木々の匂いに満ちている。
ただ。
それが、あまりにも濃く、重い。
優斗と那砂が膝をつき、溺れているように胸元に手を当てている。
そう。
濃すぎる空気に“溺れて”いるんだ。
俺は、少し強く二人の背中を叩く。
「大丈夫だ。ここは、地球の森と変わらなくて、息は吸えると強く意識しろ。自分の領域を思い浮かべて、そこに新鮮な空気が満ちているんだと」
二人は大きくせき込み、何とか呼吸の仕方を思い出したようだった。
荒く息をしながら、引きつった顔を浮かべていた。
「なん、だよ。これ」
「空気に溺れるなんて初めてです……」
「うー、何度来ても、慣れない」
マリネは自力で呼吸の仕方を思い出したが、それでも荒れた息を整えるのに時間がかかっている。
「ここの魔素は染まっているから、息をするのにも精神を消費して上書きしないといけないんだ」
境界の魔素は染まっていないか、限りなく薄いから無意識でできるんだが、人外領域はそうはいかない。
「息をするだけで精神を常に削られる上に、気を強く持たないと領域を上書きされかねないって訳だ」
「マジかよ」
いいね、優斗。引きつっても笑えるなら全然マシだ。
ここで心が折れていたら、そんな余裕もでてこないからな。
「ようこそ、人外領域へ。ここからがチュートリアルの本番だ」
俺を先頭に、続いてマリネ、那砂、優斗の順で進む。
俺にとっては馴染の森。
どこに何があるかはよく知っているので、足取りも軽く、迷うことなく進んでいく。
今回採取するのは、実は結構なんでもいい。
正確には、雑草や危険物を除けば価値のあるものしかないともいう。
この森は宝の山なので目利きは重要じゃない。
重要なのは取り過ぎない事と、危険物を避ける事、気付かれない事の三点だ。
取り過ぎると、森が異変を感じて警報を鳴らす。ほどほどが大事。
毒キノコや、触れると警報を鳴らす植物などの危険物は触れるべからず。
気付かれないためには、隠密行動は当然として取り方に工夫をする。
「採取の際には、魔器じゃない採取用のナイフを使う」
一部の素材は素手では取れないし、もぎ取ると気付かれやすいので魔力に反応しないナイフを使う。
そして、魔力を遮断できる袋にしっかりと入れる事。
どちらも開拓者セットに入っている。
この魔器じゃないナイフと遮断袋の有用性に気付くまではトラブルが多くて大変だったよ。
完全に回避できるわけじゃないが、だいぶリスクを下げることが出来た。
……魔器で果実をとって、それを目印に追いかけられて逃げきれずに、って事故が何度もあったんだよ。
「これで……合ってる、よな?」
「そうだなぁ。まぁ、ぎりぎり合格点?」
「ぎりぎりかぁ……」
周囲を警戒しながら、マリネに教えられながら慣れない手つきで採取をしている二人を見守る。
二人とも息も荒いし、心身ともに疲労が顔を出し始めてる。
採取目標にはぎりぎりだが届いたし、潮時だな。
……むしろ来訪して早々に人外領域に連れ込まれてこれなら上出来だ。
結構な無茶をさせてる自覚はあるが、この世界の危険性は体験しないと身にならないからな。
「そろそろ撤収だ」
「はーい」
うん、マリネはまだ余裕あるな。
むしろ物足りないって顔してない?
元気だなマリネちゃん。
「やっとか……」
「疲れました……」
二人は疲労困憊だが……。
「まだ気を抜くなよ二人とも。何せ、帰り道はもっと危険だからな」
気の緩みは油断を生み、油断があればそこを狙われる。
精神状態は領域に表れるから、まじで油断大敵なんだよこの世界。
マリネ、優斗、那砂、俺の順で進む帰り道。
先頭を進んでいたマリネが足を止める。
「ヴァイス、最悪」
マリネちゃん、それだと俺が最悪みたいな言い方ぁ!
なんて、茶化す余裕はなさそうだ。
「どうした」
「この先に魔虫の群れ。しかも移動中で、通れそうな場所どこ通っても気付かれる」
確かにそれは最悪だ。
「戻れるか?」
「後ろの方に、ゆっくりだけど痕跡追いかけてる大きな気配があるからやめた方がいいかな」
流石の探知能力。
痕跡追われるのは消し切れてないから仕方ない。
大きな気配ってことはまず巡回中の眷属だから、後退はなしだ。
「森を抜けるまであと少しだから……俺が気を引けば、いけるか?」
「うーん、ぎりぎり?それでも交戦は避けられないと思うよ」
まぁ、多少は仕方ない。
この森の生態系的に魔虫は下の方で、眷属のおやつなのだが、それでもでかいやつは十分強い。
「でかいやつは?」
「少ないよ。最短ルートだと一匹かな。隠れてたり寝てたら、ちょっとわかんないけど」
魔力を使わずに、耳と肌感覚だけで探知できるだけ十分だ。
「そいつと周りのは俺がひきつける。マリネ、二人を先導してくれ」
「りょーかい」
俺は優斗と那砂の肩に手を乗せる。
「マリネに着いて走れ。どうしても交戦が避けられなかったら、魔器も解禁していい」
「あ、あぁ」
「わかりました」
頷く二人に、俺は笑ってやる。
「少しでいい。時間さえ稼げば必ず助けに行くから、安心しろ」
こう見えておじさんは強いからな。




