第109話 鍵宮
■陽葵視点
境界での出来事から一夜明け、少し疲れていた私は寝坊をしてしまった。
自分でも思った以上に疲れが出たみたい。
今思えば、あれだけ歩いたのは初めてだったかも。
学校の遠足でも、私はお留守番しかできなかったから……。
私は優斗さんと那砂さんに挟まれるように座って、温かいスープを飲む。
もう昼前なので、これは朝ごはんというより早めの昼ごはんだった。
スープの温かさに、昨日のうさぎに埋もれた温かさを思い出して、少し頬が緩んでしまった。
「……今日は、どうしましょうか」
私が呟くと、優斗さんがパンをちぎり、口に放り込んで考え込む。
まだ出会って数日だけど、優斗さんらしくない、渋い顔をしているのが気にかかる。
「……そうだな。今日は、街の中でできることを探してみようか」
口の中のパンを食べ終えた優斗さんの提案に、私は小さく頷く。
確かに、私には街の中でできる仕事の方が向いているかもしれない。
……何が向いてるかは、ちょっとわからないけど。
私が自信無さげに手元の皿を見つめていると、野菜の乗った小皿が寄せられる。
見覚えのある素材が多いのは、昨日採ったもので作ったサラダだからかな。
顔を上げると、那砂さんが小さく笑っていた。
「そうだね。街の人は私たち来訪者に優しくしてくれるから、色々聞いてみるのもいいかも」
実際に二人は、街の人に優しくしてもらっているみたいだ。
優斗さんも強く頷いている。
だったら、少し気が楽かもしれない。
「じゃあ、今日は街の中で――」
私がそう言いかけた、その時だった。
酒場の扉が開く音と共に、明るい足音が近づいてくる。
軽やかな足音と、規則正しい二つの足音。
「はーい、お姉さんがお届け物よー。ついでにお昼、席あるかしら?」
自然とそちらに顔が向く。
そこには知らないのに、どこか懐かしい気がする女性の姿。
顔も、声も、記憶の誰とも合わないのに、懐かしくて胸がぎゅっと締め付けられる。
そして、その隣。
大きな荷物を軽々と抱える、一人の、人間離れした美貌の女の子。
白い肌。整い過ぎた輪郭。
クラシックなメイド服に身を包み、指先までも手袋で覆い、完璧に整えられている。
――まるで、人形みたい。
そう思ったと同時に、よく似た美貌の人形が脳裏によぎる。
仲の良かった女の子が、大切にしていた人形にそっくりだと。
「俺達と相席でよかったら、ありますよ」
優斗さんが立ち上がり、軽く手を上げて挨拶する。
「お久しぶりです。今日はどうされたんですか?」
那砂さんも立ち上がり、親し気に笑いかける。
その反応で、二人にとって彼女が親しい関係なのがよくわかる。
「あら、じゃあお邪魔しようかしら。そうそう、今日は頼まれていた衣装がね」
そう言いながら、近づいてくる彼女。
私は、慌てて立ち上がって頭を下げた。
「は、はじめまして! 陽葵です、よろしくお願いします!」
そう私が名乗った瞬間、彼女が凍り付いた。
笑顔が固まり、視線が私に向けられる。
「…………」
空気が、変わった気がした。
正面から見つめた女性の顔に、なぜだか私の胸がぎゅっと締め付けられる。
「……えっと?」
私がどうにか首を傾げると、彼女は大きく深呼吸をして肩を落とし。
「……あー、そういうことね。うん、はいはい、なるほどね」
何か一人で納得したみたいに呟き。
「えっと、カギ……」
那砂さんが何か言いかけ――
「ちょっと! あいつに! 言わないといけない事ができたわ!!」
その言葉に被せるように声を張り上げると、踵を返し。
そしてそのまま、お供を連れて厨房の奥に突撃していった。
「……えっと」
止める間もなかった。
厨房の奥から何か音と声が響いてくるけど、内容までは聞き取れなかった。
残された私たちは、見事に取り残された。
「今の人は……?」
まったく事情が分からない私は、救いを求めるように残った二人に視線を向ける。
優斗さんは肩をすくめ、那砂さんは苦笑いを浮かべていた。
「勢いのある人ではあるね、カギミヤさんは」
「そうだね、ちょっと……面白い人ではあるかな」
「へぇ、“鍵宮”さんっていうんだ」
口に出してから、遅れて理解する。
私は、その名前を知っている。
「……あの、一緒にいた人の名前、わかります?」
思い出せそうで、喉元まで来ているのに掴めない、そんな違和感。
声が震えそうになるのを、どうにか堪えて紡ぎ出す。
そんな私に気付かず、那砂さんが笑顔で応えてくれる。
「あの子は、カギミヤさんの人形で、クラリッサって言うんですよ。カギミヤさんは、裁縫師でもあり人形師でもある凄い人なんです」
クラリッサ。
その名前を聞いた瞬間、頭の中で何かが“かちり”と噛みあう音がした。
「……クラリッサ……?」
もう、声が震えるのをごまかせなかった。
「……陽葵ちゃん?」
私の異常に気付いた優斗さんが、心配そうに声をかけてくれるけど。
私はそれに応える余裕はなかった。
「クラリッサは……私のクラスメイトの友達が、大事にしていたビスクドールの名前で……」
首を傾げる優斗さんと、はっと驚いた顔で私を見る那砂さんが視界によぎる。
「その、私が仲良しだった友達が……」
喉が渇いて、舌が張り付く。
それでも、口は勝手に動いていた。
「……鍵宮ちゃん、なの?」
勝手に自分の口から出た言葉に、私自身が驚いていた。




