第103話 痕跡
■ヴァイス視点
エリオの言う「嫌な匂い」は、少し進めば俺にもわかるほど濃くなった。
「なんの匂い、これ?」
ルメールが初めて嗅いだのだろう、嫌な匂いに人形の体が僅かに硬くなったのがわかった。
「……まさかこっちで、こないな匂いをまた嗅ぐことになるとは思わへんかったわ」
だが、来訪者である俺と転生者のエリオには、この嫌な匂いが“腐臭”だとすぐにわかった。
魔素の影響で、この世界では基本的には“腐らない”
それは、微生物の精神では魔素を変換できないため、微生物が存在しないからだと推測している。
腐敗がない代わりに、意志を失い、意志が通わない状態で放置された生物は、ゆっくりと分解していく。
だから、この世界では腐臭が存在しない。
はず、なのだが……。
目的地に進むにつれ、より強くなっていく腐臭に俺は警戒心を最大限まで引き上げた。
「……近いで」
先頭を行くエリオが、鼻を押さえながら村へと続く坂道の先を見据えて呟いた。
「なんや、これ」
村を見下ろせるはずの小高い丘にたどり着いたエリオが、茫然と呟く。
俺も足早に追いつき、丘の下を見下ろすと。
――そこには、何もなかった。
正確には、建物と、人の気配がない。
代わりに、巨大な何かに抉り取られた後、鱗で整地されたような痕跡。
「……ここや。ここに、村があったはずや、間違いない。間違いない、はずなんや」
エリオの細い目が見開かれ、声が震える。
無理もない。
俺も、二十年前の景色が思い出されて血の気が引く思いだ。
「間違いない、国喰いに呑まれた跡だ」
大きな街から外れた村とは言え、それはこの世界で人の集落を築くという事は支配領域を持つ事だ。
当然、村の長は相応の実力者が支配者となっていたはずだ。
「エリオ、ここの村長はどの程度だった」
俺の問いに、エリオが目を細める。
「……少なくともわいと同じぐらいには強い人でしたわ」
三級戦力上位のエリオと同等か。
村の長としては十分な実力者だな。
……それが居ながら、近隣の街に被害報告がないってことは、文字通り全滅か。
想像はしていたが、やはり国喰いはとんでもないな。
「なら、大したことないんじゃない?」
「姐さん達と比べんでもらえますぅ!?」
ルメールのいじりに、エリオが必死に声を荒げていた。
緊急時に楽しそうだなおい。
あと、三級上位は普通に強いからそれくらいにしてやれ、ルメール。
丘を降り、国喰いが這ったであろう痕跡に近づく。
村を形成していた領域は跡形もなく、境界に取り込まれつつあるが、僅かに村の気配が残っていた。
よく見れば、村があった痕跡らしきものが擦り潰されているのがわかる。
痕跡の上を歩く靴裏の感触が、場所によって違い過ぎる。
膝をつき、地面に意識を向ければ明白だ。
村を覆っていたであろう石垣、家の残骸、擦り切れた布、粉砕された魔器。
そして、元が何だったか考えたくもない真っ赤な染み。
間違いなく、ここにあった村の成れの果てだ。
だが。
「……ここじゃない?」
獣人程じゃないが、それなりに働いてくれる鼻が、匂いの元がここじゃないと告げている。
「ヴァイス」
あぁ、見るまでもなく漂う腐臭で気付くさ。
俺の背中から重みが消える。
ルメールが俺の背から飛び降り、鉄槌を両手で構えたのが気配でわかる。
「……嫌な匂いが近づいて来とると思うたら、そういうことかい」
エリオがテン族特有の尻尾を立てて両手を構える。
背の高い草をかき分け、腐臭の元が這うように現れる。
「ぐっろ! あかん、ああいうんは苦手や!」
エリオの言葉に全面的に同意したい。
シルエットは、獣。
だが、明らかにそれは歪で。
――あれの、元が何であったのか。
分かりやすいって言うのは、いい事ばかりじゃないなと息を吐く。
それは、“人と獣と魔物を混ぜて固めたような異形”だった。
そして。
その異形からは、二十年前に記憶に刻み込まれた、国喰いと似た気配が漂っていた。




