第10話 境界
俺は往生際悪く離れなかったルメールを何とかして引きはがし、鉄槌に座らせ。
優斗と那砂にチュートリアルの酒場謹製の開拓者セットの入ったリュックを渡して背負わせる。
下手なものを買わせるより、まずはいいものを揃えさせる。
そういう意図で開拓団古参が吟味した道具一式を新人には与えるようにしている。
もちろん、出世払いはしてもらうが。
正直、そこを妥協できないぐらいに町の外は危険なんだよな。
俺も似たようなリュックを背負うと、酒場の外に出る。
「それじゃあ、出発と行きますか!」
「「「おー!」」」
ノリのいい声が三人分。
優斗と那砂と。
その身長には大きすぎるリュックを背負った、マリネだ。
眷属の目撃情報が多いということで、今回同行をお願いしたら快く受けてくれた。
マリネのお気に入りの果物の在庫が少なくなっていたので、それの採取を口実に誘った。
マリネは、幼い。現代日本だと、小学生か中学生ぐらいだ。
だが、獣人種の強靭な肉体はポーターとして極めて優秀。
荷物を放棄すれば、優斗と那砂ぐらいなら抱えて街まで逃げられるぐらいの力と持久力がある。
また獣人種の中でも、小動物系特有の警戒心の強さと索敵範囲は頼りになる。
特に、ある程度強さに寄ってしまうと、小さくて弱いが危険な存在の探知が非常に難しくなる。
その点、戦闘はからっきしのマリネは俺以上の探索の達人と言っていいだろう。
「今回は街道を通って野営地で一泊。翌日に森で採取を行い、夕方には街に戻る」
そこまで遠いわけではないんだが、街の外を経験させるために一泊は必須だからな。
「おっさん、俺午前中の稽古の疲れ抜けてないんだけど、いいのか?」
「野営で回復するのに慣れるためだよ。特にお前は前を張るんだから、疲れてましたは言い訳にならないからな」
「……まぁ、確かに」
納得していただけましたか。
疲労を如何に回復するか、が開拓者の必須能力なんで慣れてもらわないと困る。
快適な日本社会で育った若者にとって、野宿は貴重な経験になる。
「ギルドから門がすぐ近くなんですね」
「あぁ、有事の際に対応することも多いからな」
開拓者ギルドは即応性の関係から、街の出入り口に近いのが基本。
俺達のチュートリアルの酒場もその例にもれず、ギルドのすぐそばに門がある。
今は開いているが、堅牢で分厚い木で作られた門が夜は完全に閉じられる。
顔見知りの門番に挨拶をして、三人を連れて街道に。
一歩。
門を出た瞬間に、空気が切り替わる。
いや、水のように纏わりつくと言った方がいいだろう。
優斗と那砂が、息をのむのがわかった。
水圧のような圧が領域に圧し掛かり、周りの圧によって少しだけ小さくなる。
呼吸をするのにも少しだけ力が必要になり。
何よりも、当たり前に思っていた安心感が剥ぎ取られていく。
歩き出せば、僅かに水の中を進むような抵抗を感じることだろう。
「ようこそ、境界へ。呼吸の仕方を忘れるなよ?」
人々の集団無意識で守られた、人の支配領域である街。
それがどれだけ過ごしやすかったのか。
そのありがたさを、よく感じてくれたまえ。
俺達の街は、大きな街道の上に乗る様に建っている。
街道の周囲には草原が広がり、その先には街道で二つに分かたれたように森が分かれている。
向かって左側の森は明るく青々としているが、右側の森は暗く鬱蒼とした雰囲気が見て取れる。
そして、どちらもぼんやりとだが、上空には空と色の違う境界線が見て取れる。
「色が違うだろ? あれが、支配領域の境界線だ。影響力が強いと色も変わってきて遠目で見ると分かるんだよ」
「ほんとですね! 左の森は緑色ではっきりと違って、右の森は少し暗いぐらいだけ?」
そうそう、色のついた泡のドームのようにも見えるよな。
この色ってのは大事で、色が濃いのはやばい証でもある。
それだけ周囲と中の環境が違うってことだからな。
「今回の目的地は左側だな。あれが“樹鹿の森”だ」
「右側の森も、名前があるんですか?」
好奇心も旺盛な那砂が、明らかに景気の悪そうな暗い森の事を聞いてくる。
「右側は“小鬼の森”だな」
「小鬼、ですか?」
「あぁ。ファンタジーお馴染みの敵役のゴブリンだよ」
その言葉に、那砂は露骨に顔をしかめ、優斗は食いつくように聞き入る。
うーん、男女の反応の違いが面白い。
「異世界で雑魚として有名なあのゴブリンか?」
「優斗、残念ながら雑魚とは程遠いほどに危険なのがこっちのゴブリンだよ」
過酷極まるこの世界で、生態系を築くってことは、それだけで強者なんだよ。
「お前のイメージするゴブリンってどんなんだ?」
「子供ぐらいの体格と筋力で、汚くて、凶暴で、存在が猥褻?」
「何を見て学んだのか大体察するが、一つ除いて合ってるな」
小さくて、汚くて、凶暴で、存在が卑猥。
これは、まぁ大体正しい。
「地球にチンパンジーっていただろ。身長は低いけど、握力強くて実は凶暴な奴」
「はい、動物園で見たことあります。握力が200kgぐらいあるんでしたよね」
「こっちのゴブリン、チンパンジーより強いぞ」
武器なしでは人間じゃ敵わないって言われるチンパンジー。
それに匹敵する身体能力に、繁殖力と悪辣さと悪知恵を付け加えたのがゴブリンだ。
「数が多いうえに、武器も道具も罠も使うし、筋力も強い。持久力はないけどな」
「……想像するだけで怖いです」
「そんなやばいのか」
なんでゴブリン退治は特大の地雷だよ。
俺達もひどい目にあったよ、本当に。
「敵の強さなら樹鹿の森のほうが強いのは多いが、危険度では圧倒的に小鬼の森だ」
なんせ、あいつら積極的にこっちに襲い掛かってくるからな。
今は訳あって大人しいからいいけども。
森に入らなければ何もしてこない樹鹿の森の連中を見習ってくれ、マジで。
「ま、今回はあっちに用事はないから会うことはないだろう」
「あいつら臭いから、すぐわかるから安心してね!」
頼りにしてますマリネさん。
そして俺も臭くならないように気を付けよう。
ゴブリンみたい、なんて言われたら心折れちゃう。
「街道は、結構のどかなんですね」
「魔物がそこら中に居るのかと思ってた」
人外領域の圧に多少慣れてきたのか、周りを見る余裕ができてきた二人。
「この辺りは街が近いし、何よりそのための街道だからな」
マリネもいることだし、警戒はマリネに任せて少し説明しておこう。
「この世界は、人の住む街や魔物の住む森みたいに“支配領域”があって、地図を色で塗り分けるみたいに勢力争いをしてる。
その支配領域と支配領域の間にあるのが“境界”。
水性絵の具を隣同士で塗ると、端っこが混ざるだろ? その混ざった部分が境界だな」
どっちのものでもないから、比較的安全な場所と言える。
「その境界の中でも、人類が有利になる様に整えているのが街道だ」
人の手が入っている道、それだけでも精神的優位性はかなり違ってくる。
もっとも、手を入れすぎると周囲の支配領域を刺激して破壊されることになるから、ほどほどが限界なんだけど。
「今は周囲も草原だからいいけど、この先にある左右を森に接する街道とかは二人で絶対行くなよ」
街道だから森の中よりはましな方だが、それでも数人で行動するのは襲ってくださいと言ってるも同然だからな。
「ヴァイス」
先頭を歩いていたマリネが足を止める。
尻尾が逆立ち、耳が小刻みに動いている。
「何匹だ?」
「四匹。左前200先、狼。こっちには気付いてない」
お、そいつはちょうどいい。
運よく手ごろなお相手だ。
俺は振り向くと、緊張した顔をした二人に笑顔を向ける。
「森を前に、一度実戦といこうか二人とも」
二人の表情が強張り、唾をのむ音が聞こえる。
「……ヴァイスのその顔、すごく怖いから気をつけなよー」
え、これ笑顔のつもりなんだけど!?




