四、俺と神様のペット
俺の視界がちょっと人とは違うことを知ったのは、実はそんなに昔のことではない。
片田舎で育った俺が、些細な好奇心と多大な意地のために外に出たのが数年前のこと。
そのとき俺は自分の視界が変なことを知り、その結果、神様に目をつけられるはめになったのだ。
思い返す度に思う。
俺は片田舎で満足して、一生を過ごすべきだったのだ。
そして、そんな田舎から外の世界に思いを馳せるだけにしておけばよかったのだ……。
と、何百度目かの過去への恨み節を利かせているわけだが、これには深い理由がある。
姫さんの後ろを歩かされるとか、背後からツンツンと槍で刺されそうになるとかよりも、もっと深刻な事態へと俺が突き進んでいる、というより突き進まされているという悲しい現実を見たくないからだ。
ぶっちゃけ、現実逃避。
俺の目には姫さんの横で、こっちこっちと手招きしている奴が見えている。
ひらひらとした衣装を身に纏う彼女は、大層きれいだが、俺は顔を顰めた。
そんな俺に気づいたのか、彼女は拗ねたような顔をするが、俺は一向に気にしなかった。
なぜなら、彼女は宙空にふよふよと浮かび、半透明の体で………つまり、精霊だったからだ。
精霊姫とはそういうことか。
この時になって俺は姫さんの正体を知った。
姫さんは精霊が見え、精霊の思念を多少掴むことができる。
つまり、精霊使い一歩手前の人だったのだ。
しかも訓練すればそれなりの、マージナルに正式採用されるかも?と予想がつく精霊使いの卵だった。
しかし、姫さんが訓練をすることはないと思う。
アユリオースの民にとって、風の精霊の姿を目にでき、断片的にでも思念をも掴むことができるのなら、姫さんを“精霊姫”と崇められるのだから、それだけで十分だろう。
寧ろ、強くなられては困るということも在り得る。
今の姫さんを見ていれば、ちやほやと甘やかされていることがよくわかるし、勉強ができない子なんだろうとも思う。
なんせ、地図さえ碌にわからず泣きだすような子なのだから。
つまり甘ったれのお馬鹿さんだ。
そうなるように仕向けているのが部族長たちなら、姫さんがこの先も強くなることはないだろう。
原石は原石のまま。
磨かれることも無いままに、終わっていくに違いない。
しかし、
「きゃーーーーーーーーーー」
ふんふんっと鼻歌を歌いながら進んでいた姫さんが、不意に絶叫を上げた。
俺の後ろでも息を呑む音と、悲鳴が聞こえる。
姫さんも後ろの連中も、恐怖に身を竦ませ、身体を動かすこともできないようだ。
「才能が磨かれるのなんて、些細なきっかけだったりするんだよな。」
そんな悲鳴の只中での俺の独り言を、精霊がにっこりと笑って聞いていた。
その笑顔に俺は心底げんなりした。
風の精霊は明らかに“アレ”を見せることで、お気に入りの人間を成長させようとしている。
確かに“アレ”は些細なきっかけにはなるかもしれないが、平和的とはほど遠い。
こういうのを有難迷惑というのではないだろうか。
可哀そうに……
哀れみを込めて姫さんへと目を向けると、計ったように姫さんがこっちを向いた。
そして、
「なんなのあれ~~~~~~」
姫さんの上げた絶叫が耳に痛い。
ついでに、突進の勢いで食らった腹への一発と、ぎゅ~~~っと掴まれている腕が、かなり痛い。
なんで、後ろにいる護衛役兼監視役連中に行かずに、俺のところに来て、あまつさえしがみ付くのか?
さっぱりわからない。
そして、大事な姫さんが俺にしがみついているというのに、後ろの奴らは姫さんを引き取ってくれないのが何故だ?
普通はさっさと姫さんを中心に円陣でも組むんじゃなかろうか?
と思って後ろを振り向くと
ああ、そういうこと。
何と後ろにいた連中は我先にと走り出していた。
ぎゃいぎゃいと騒ぎながら、自分より前にいる奴を張った押し、どけどけとばかりに荒々しい足音を立てて走っていた。
見事な走りだ。
あまりの素晴らしさに感動すら覚えた。
遥か遠くに向かう先頭集団は、天晴れとしかいいようがない。
さながら豹のようだ。
野生の獣のようにしなやかで、無駄のない走り方。
本当に見事としかいえない。
しかし、
「お前、置いてかれてるぞ。」
「えっ!!」
またまた哀れみを込めた眼差しで言ってやったら、姫さんは愕然として
「うそ!!! なんで置いてくの??」
呆然と呟いた。
それに俺は、内心で呟く。
自分の命が一番可愛いからな、と。
そりゃそうだろう?
“アレ”を見ろよ。
ライオンの肢体に、なぜか肢体を覆うほどの翼が生えているだけでも足が震えてくるってのに、その肢体はあり得ないぐらい巨大だ。
しかもその獣は、炎を吹き出しながら威嚇してるとくりゃ~、なぁ?
逃げ出したくもなるってもんだと思うよ。
俺も正直逃げ出したい。
だけど、
「なんで、あっさり見つかるかな?」
その見たことも無い巨大な珍獣は、神様からの“お願いごと”の張本人。
彼の御仁の大切なペットで、彼の御仁曰く、目に入れても痛くないほどの大層可愛らしい“にゃんこ”なのだそうだ。
情報を叩きこまれた俺としては、全くもってそんな風には思えなかったし、今目の前にしてもカワイイ“にゃんこ”とは、絶っっ対に視えない!!
けれど、俺がどうこう言おうが関係ないのだ。
だって、神様のカワイイ“にゃんこ”であって、俺のペットではないのだから。
「しかし、どうすりゃいいんですか?」
数百メートル先からこっちを睨んで、ぐわ~~っと大口を開けては炎を吹き上げる“にゃんこ”に、俺が打てる手立てはない。
神様なんとかしてくださいよ。と言ったところで、神様方の御声を拝聴できるということはなかった。
ただ、
<がんばってね~>
にっこり笑顔でほほ笑む風の精霊が、他人事のように俺に声援を向け、
「なんとかしてよ~~~~」
えぐえぐっと涙を流しながら、俺の腕にますますしがみつく姫さんの声が耳に入ってくる。
そんなこと言われても……
「俺は、一般人だから何もできんぞ。
むしろ、精霊姫なんだからお前がなんとかしろよ。そいつと一緒に。」
空いている方の手で風の精霊を指差し、そう返すしかないじゃないか。
なんたって俺は“普通”の人間なんだから。
そして、斯く言う姫さんは“精霊使いになれるかもしれない”人間で、曲がりなりにも“精霊姫”と崇められている存在でもあるんだから、ここは一つ、姫さんにがんばってもらうしかないと思う。
俺はそんな思いを込めて見つめること、しばし……
―――――姫さんは完全に停止した。
どうやら、空の彼方へ意識を完全に飛ばしているらしい。
俺の腕がもげそうなほどの手の力は、気絶しても俺の腕から外れることはなく、痛いまま。
どうせ気絶するなら、力が抜けてくれてもいいと思うのだが……
痛みで顔が歪む。
肉体的にもだか、主に精神的な痛みで。
本当に嫌になってくる。
そんな人間たちの態度が気に入らなかったのか、がお~~っと“にゃんこ”が一吠え。
草原の一部が『ぼおおっ』っと瞬時になくなった。
気絶している人間と、青ざめている人間。
それに威嚇する“にゃんこ”
<どうするの?>
くすくすと意地悪く笑う風の精霊だけが、楽しそうにしていた。