参、俺と蒼の精霊姫
風の民。
草原の覇者。
永遠の遊牧民。
彼らを称する言葉は数あるが、
「蒼の民にして、風神アユラの子、アユリオースの民よ。」
彼らからすれば、部族ごとに部族の名を持っているのに、他と一緒くたにされてはたまらないということらしい。
「そして、私はアユリオースの“精霊姫”よ。」
ふふんっと鼻をならし、ついでに胸もそらして自己紹介された。
精霊姫? なんじゃそら? と思ったが顔には出さないようにした。
疑問を顔に出せば厄介なことになりそうだと本能的に悟ったからだ。
だからその自信満々な主張に俺は、
「そうですか。」
ズズズッと茶をすすりながら応えた。
うん、これなら知ってる風だし、問題ないな。
と思ったら、ちょっと離れたとこに立っていた筋骨隆々の男に、バコンッと頭を叩かれた。
その拍子に啜っていた茶が鼻に入って、痛いのなんの。
頭と鼻のダブルパンチにまたしても沈没するところだった。
姫さんによると、瞑想中に“風の導き”を聴き、守護精霊のお告げ通りに出掛だそうだ。
そのお告げの場所にきたら、旅人、つまり俺が倒れていたから部族の人を使ってここ、アユリオースの集落まで運んでくれたのだそうだ。
それについては、感謝を述べておいた。
ぺこりと頭を下げて、「どうも」と。
その対応が気に食わなかったのか、俺はまた筋骨隆々男に叩かれた。
今度は茶から顔を放しておいたのが功を奏して、ダブルパンチにはならなかった。
だが、さっきと寸分違わぬところを叩かれたせいか、かなりの痛みに呻くことになった。
そんな俺の様子に、男はちょっと満足げだ。
人が痛がっているのに何がいいんだか。趣味悪~
内心の呟きに、ギロッと男の目が光った。
何て男だ!
俺は素直に感心するだけしておいた。
なんか、余計なことを考えてたらまた一発くらいそうだ。
それは、いやだな~と思って、俺はとりあえず他に意識を向けることにした。
「私のおかげなのよ、さぁ、もっと感謝しなさい」
意識を向けた途端、自慢げにほほほほほっと似合わない笑い方をしているそいつに、ちょっとげんなりしながら、
「それで、ここはどの辺何だ?」
「蒼の草原よ」
俺が茶を置いて尋ねると、無い胸を張って言われた。
そう言われても、当然ながら俺には分からない。
アユリオースの民という彼ら部族が治めている、と豪語している草原一帯を「蒼の草原」と自称しているのだ。
地図にも載っていない名前を言われて、わかったと頷けるわけがない。
俺はごそごそと懐を探る。
それを怪しいとでも思ったのか、筋骨隆々男がズンズンと近寄ってきたので、俺は素早くそれを引っぱりだし、パッと絨毯の上に広げた。
広げたのは大陸中央部の地図だ。
今回のマージナルの仕事と、“お願い事”のために突っ込んできたものだった。
「あ~っと、この地図の中のどこよ。」
「蒼の草原って書いてないの?」
「書いてないな……だから、どの辺か示してくれ。」
「そんなこと言われても………」
「分かんないのか?」
「………………」
「どこなんだ?」
「……………わかんない?」
いや、疑問形で返されても。分かんないから聞いてるんですが。
という意志を視線に込めて目を向けると、なぜか目を潤ませていた。
何故に?
びっくり仰天!
ギョッとしてちょっと身を反らしたら、何泣かせてんだこの野郎という険しい眼差しが刺さった。
そして、
「載ってないよ~~~~ぅぅぅ、書いてないよ~~~~~
なんでなんで~~~~~、ぅぅうえぇぇ~~~~~~ん」
何故か本気で姫さんが泣き始めた。しかも幼児泣きで。
俺がその泣きっぷりに呆然としていると、あらびっくり。
突如として「大丈夫ですよ~」「安心してください~」と、おばさんと言ったら確実にキレそうなお姉さん方が寄り添って姫さんを部屋から退場させていった。
何だったんだあれ?
俺は、姫さんの後ろ姿を呆気に取られて見ることしかできなかった。
いや、ほんとにマジであれは何なんだ?
結局俺はその日、訳の分からないまま客人用のテントという、家畜を囲っている柵に一番近いテントに押し込まれ、
「おやすみなさいませ」
慇懃無礼な言い方と、強烈な眼光に睨みつけられて就寝する羽目になった。
場所を聞いただけで、何でこんなことになってんだろ?
耳を澄ませば家畜の動く音が。
そして、動けばガチャガチャと鎖の音が……
何故に?
俺は今、テントの中にあった鉄柵に囲まれ、右手首には冷たい手枷が付けられ、手枷から伸びる鎖が鉄柵に繋がれていて………
「どうなってんだ、これ? 俺は罪人か?」
姫さんを泣かせただけで、どうやら俺は罪人決定の裁可を待つ虜囚にでもなったようだった。
そして、朝が来た。
テントの隙間から、朝日が差し込み、冷たい風が肌を刺す。
いや、風についていえば、寧ろ優しくなったのか?
「はっくしょん」
ペラペラの薄布の上から身体を擦る。
昨日、草原の真っ只中で野垂れ死ぬのは免れた俺だが、危うく夜間の寒さで凍え死ぬとこだった。
夜の冷え込みは、半端なかった。
「はっっっくしょい」
盛大なくしゃみをして、ズズズッと鼻を啜る。
ブルブルと震えながら、あの夜をよくぞ薄布一枚で耐えた、よくがんばった!と自分を誉めてやりたい。
いや、誉めよう!
偉いぞ俺!
よくがんばったぞ、俺!
そうでもしないとやってられない。
「はっっっくしょ~ん!!」
特大のくしゃみが出た。
鼻水が出て辛いし、くしゃみ止まんないし、寒いし、腹減ったし……
誰か何とかしてくれないだろうか?
とかなんとか思ってた俺だが、こんな展開は望んじゃなかった。
もっと、こうなんというか……
平和的展開を望んでたんだが。
どうしてこうも期待を裏切ることばかりが起こるのか。
誰か説明してくれないだろうか?
今、俺は腹が満たされ、日の温かさでぬくまっている。
相変わらず鼻水は垂れそうになるが、朝ほどはひどくはない。
手枷も外され、少ない荷物も返却された。
このままどこへ行こうと構わないのではと思いたくもなるが、そうは問屋が卸さない。
「さぁ、行くわよ!!」
目の前でガッツポーズをしながら振り向いたのは、“精霊姫”とアユリオースの民が呼んでいる人物だった。
ぶっちゃけ、昨日地図に名前が載ってないことに多大なショックを受けて、涙ながらに退場したあいつだ。
こいつのおかげで飯は食えたが、俺は感謝なんか一つもしてはいない。
なぜなら、
「おい、返事はどうした。」
俺の後ろに槍を構えて、姫さんに聞こえない低い声で脅しをかけている男。
そして、その睨みつけてくる男と同じ視線を俺に向けている10人の男女。
彼ら彼女らの、俺への対応はかなりきつい。
飯を食うときもこの視線にさらされていたため、料理の味なんかしなかった。
腹はふくれたが、味がしない食事なんてつまらないことこの上ない。
必然、そんな状況へと追いやっている相手に、感謝する気が起きるわけがない。
槍で背中をつんつんとされ、冷え汗を流す俺のことなぞ気にした風もなく、姫さんはズンズンと進み始めた。
どこに向かっているのか分からぬまま、俺はそれについて行く。
歩くスピードも、立ち止まるタイミングも姫さんに完璧に合わせて。
じゃないと、早くなっても遅くなっても背中の奴らにブスリっとやられそうだ。
勘弁してくれよ。
嘆く俺の心情なんか知ったことかと、姫さんはふんふんっと鼻歌交じりに歩を進める。
時折立ち止まっては宙空をぼんやりと見上げ、こくこくと頷いたかと思ったら足の向きを変えて歩いていく。
その姿に、俺は何だこいつは? と思う―――――――べきなのだろうが………
俺は妙な納得と、これから先の展開を予測できて青褪め、そして諦めた。