伍、俺と秘境の地底湖
「おっ、出口か?」
そうこうしているうちに、出口が見えてきたようだ。
チビが洞窟内を照らしているとはいえ、外の明るさを感じるとほっとする。
俺は探検が趣味みたいな冒険ヤロウじゃないから、余計ほっとるんだよな。
だから、
<見ればわかるでしょ!>
ツンっと澄まして可愛げのない態度を取られても、大丈夫。
怒ったりはしないよ。
ただ、
「後でお尻ペンペンな」
<えっ!!>
指導員的立場として減点ってことで、ね。
さっとお尻隠してもやるっていったら、やるから。
どうして、お仕置きされるのかわからないとか言い始めてるけど、
「それがわかんないようだったら、追加かな……」
出口に向けて歩く道すがらつぶやく俺に、チビの顔が青ざめていたのは、きっと光の具合によるんだろう。
うん。そうに決まってる。
天使様ともあろうものが、人間の、しかも“一般人”の俺なんかを怖がったりなんかしてないよな~。
ね~、天使のチビ助。
軽快な足取りで進む俺を、ちらちらと窺いながら先へと進むチビ。
俺はニコニコ、爽やかな笑顔をチビへと向ける。
「なんて邪悪な笑顔なの!」
小声でチビが言い放った一言に、俺は若干傷ついたがそれに文句を言う余裕はなかった。
「すごいな~」
進む先、一瞬白んだ視界が晴れる。
俺の視界に外の景色を映し出されたのだ。
そこに広がっているのは………
「って、ここ外じゃないじゃないか」
一面に広がる湖と天井をびっしりと埋める水晶。
蒼なのか、碧なのか。
咄嗟に何色なのか判断ができない。
ただ、凄まじいまでの絶景が目の前を埋め尽くしている。
どこから光が入っているのかと見れば、どうやら壁にびっしりと生えている光苔が湖と水晶に反射されたために、普通ではありえない絶妙な明りが生まれているようだ。
その光景は、筆舌に尽くしがたい。
憎まれ口を叩こうにも、それを言おうとする口は完全に動きを止めた。
この光景を前に、つまらない説教をするのもバカらしい……
そんな風に思う。
確かに思うんだけど……な~~~
<ここに、あります!>
美しい景色に陶然としていた俺の前を、ふよふよと行ったり来たり。
俺が諦めて目線を合わせれば、実に堂々と胸を張って宣言するチビに俺はげんなりした。
人が感動しているんだから、少しぐらい付き合ってくれてもいいじゃないか?
そう思うのは、ヒトの勝手ってもんなんだろうか?
俺のそんな思いは当然無視され、チビは<ここ、ここ>としきりに言い募っている。
それは別にいいんだが……
「それで、ここってどこだ?」
<それは、あそこです!>
とりあえず、件の『盗まれた魔法』がどこにあるかを聞けば、天井に幾つも張り付いている水晶の一角を指差された。
確かにその大きすぎず、小さすぎない水晶の中にはループを描くように術式が回っている。
ちらちらと青く、赤く光る様は、一度目に着くとどうしようもなく違和感を覚える。
淡い幻想空間に紛れ込んだ“異物”。
そうとしか見れなくなるような、人工的な不自然さが……いや、もう正直に言おう。
実に見え透いた、見つけてくれと主張し過ぎな感が拭えず、御仁方の手抜き具合に俺は疲労を感じる。
いくらなんでも、酷過ぎないか? とは思うものの、時間がないのかも……と前向きに考えたい!
厭きてきたからとかだったら、目も当てられない。
それが一番可能性としてはありそうな気がするが、そうではなければいいなと、俺は小さな希望を捨てたくはない!!
7日間、俺とチビの動向を見ている御仁方は、どうやら相当面倒くさくなったのではなかと思いたくなるような。
滅茶苦茶分かりやす過ぎる代物を前に、俺はそっと目尻を押さえた。
それから数瞬。
まぁ、俺は御仁方の“お願いごと”という名の任務を遂行できりゃそれでいいや!
と半ば以上投げやりな気分で立ち直りはしたが、はてさて、チビの教育はこれで完了でいいのかね?
これ以上長く“お願いごと”に付き合うのも時間的に厳しいので、俺としては助かると言えば助かる。
「………それで?」
<それでって?>
「それで、あれをどうするんだ?」
人間種で、その中でも“普通”に分類されている俺に、御仁方の御心情など測れるはずもないので、取りあえず違和感の原因、光のループを描く水晶に思考を移した。
俺はこのことについては、何も言われてないんだよな。
回収しろってことは最初に言われてたけど、無理でしょ。
<回収するに決まってるじゃないですか>
「だから、どうやって?」
<パパッと回収です!>
「誰が?」
<あなたがですよ!>
「無理」
俺の身長の5倍以上ある天井から垂れ下っている水晶。
そしてその下にある、恐ろしい透明度を誇る地底湖。
観賞には持って来い! 秘境の神秘をどうぞご堪能あれ! 的な絶景観光地としては最高のロケーションではあるが、この自然の産物の中に挑むだけの勇気はない。
そんな無謀さがあれば、今頃冒険者の端くれぐらいにはなれただろう。
そして、実際の俺はしがない準公務員。
しかも、事務要員であって戦闘要員ではない。
「普通に、無理だろ」
俺の発言は予想してしかるべきだと思うわけだが……
「なんだ、その顔は? 不甲斐ない奴みたいな目で、何で見てるのかな?」
俺より能力が断然高いくせに、わざわざ俺にやらせようとしているところからして間違っていると思うわけだが、何故そんな顔をする!
馬鹿にするぐらいなら、何も言わずにさっさと自分で行けばいいのだ!
俺はそれが非常に、ひっじょ~~~~~に頭にくる!!
<そっ、それ……その手は、なんなんですか~~~>
うん? 何って?
俺は何のことやらと笑いながら、手をワキワキ。
チビを捕まえるべく行動を開始。
そんな俺を見て、わーわー言いながら慌てて逃げようとしているチビ。
本来、回避速度は俺なんかがついていけるよなレベルじゃないんだが、悲しいかな。
チビは知らずとも、俺は知っている。
チビが御仁方に動きを制限されていることを。
だからこそ、
「ほらよ」
ひょいっと木の葉を掴むよりも簡単にチビは俺の手に収まった。
俺の手の中のチビは、哀れっぽく目に涙をためている。
それは万人の心をギュッと鷲掴みするような、罪悪感さえ込み上げる表情。
それを目にすると、
「許してやる、なんて誰が言うか!!」
そんな、うるうるな目を向けたって俺には全然効かないし、説教の一つもしないで手を離すこともない!
天使の涙目に良心の呵責なんて、今さら湧きようもないのだ。
この7日間で湧く余地が残っていれば、俺は今頃、善意と万人への博愛を常とする高名な聖職者にでもなっているだろうさ。
教育的指導なら、行動制限が働かないって素晴らしい。
つまるところ、俺の行動全てが教育的指導って受け取られてるってことだしね。
ただ、ぺしぺしと教育的指導をしながら思うのも何だが……
こいつの周りって甘い大人しかいなかったのかね?
ここまで事あるごとに指導が必要な天使ってのは、おかしい。
相当な甘ったれだから、こんなことになっているのだと思うのだが、あの御仁方の御前に侍る栄誉を賜るべく切磋琢磨しているはずの天使達が、そんな愚かなことをするとは思えない。
何かが起こっているのか?
俺には所詮、天上人の事情など分かるわけもないのだが、関わってしまうと少しばかり気になりはする。
このチビだけだけが、こうならまだいいんだが、そうではない場合は?
俺はぺしぺしとお仕置きをしながら、小さく身震いした。
まだ教育中の天使たちまでもこんな状態だったら……
なんて、恐ろしいんだ!!!
教育的指導をしながら、俺は切にチビだけが例外であり、そのほかはまともな天使様に育っていることを願わずにはいられなかった。
「今後ともよろしくとか言われたら、幾らなんでも泣き喚くぞ。」
わんわんと五月蠅いチビに、泣きたいのはこっちだよと俺はため息をついた。