第十二話
「……凄い。まるで黄泉の国だ。どうして、ここの人たちはこの中で変わらず暮らしていけるんでしょう」
肌を掠める風が、次第に冷たさを増していく。
陽が落ちるのが早くなったせいか、空の色はみるみるうちに移り変わり、すでに藍の帳が降り始めていた。
その深い色の中に、星がぽつり、ぽつりと瞬きはじめる。
等間隔に並んだ外灯の明かりは、時折チカチカと瞬きながら頼りなく光を落とし、薄暗くなりつつある足元を心許なく照らしている。
人通りの途絶えた田舎道は、風の音すら遠く、聞こえるのは自らの息づかいだけだった。
幽心は、懐かしさを覚える田園風景に感動するでもなく――むしろ、他の誰にも見えていないであろう“何か”に心を奪われていた。
哀愁を帯びた風景の隙間を縫うように、赤黒い霧がゆらゆらと立ち込める。
その中で、先ほど見かけた異形の者たちが蠢きながら、一斉に同じ一点を見つめていた。
「……オワライサマ」
幽心は小さく呟き、部下である調月 尊から送られてきた資料へと視線を落とした。
その資料の中には――いったいどこから探し出したのか、かつてこの辺りを調べていた民俗学者のレポートの一部が、写真として収められていた。
書体は古く、ところどころ掠れていて判読しづらい。だが、その中には「オワライサマ」という言葉が幾度となく記されている。
【鳴神村周辺に古くから土着していた信仰。村の者は皆、オワライサマと口にしては口元に笑みを浮かべ、ご神体のある方角へ向かって手を合わせる。】
【この村は双子が多い。かつては忌み子として疎まれた存在が、なぜこれほどまでに多く生まれるのだろう。】
手書きのレポートはそう多くなく、片手間に読み終えられるほどの分量だった。
しかし、そのページには当時の写真が添えられており、そこには双子の姉妹らしき幼い少女たちと、学者本人と思しき男の姿が写っている。
どうやらこのレポートを残した学者は、ある時期を境に消息を絶っているらしい。
記述の密度からして、彼はこの村を何度か訪れていたようだが、その後の足取りはぷつりと途絶えていた。
そして、レポートの最後には、走り書きのような一文が残されていた。
【鳴神村には五年に一度執り行われる秘祭があるという。村人以外は立ち入ることを許されぬ祭事らしい。どうにかして、内部を見られぬものだろうか。】
秘祭――馴染みのない響きだが、幽心はその言葉に強く惹かれるものを感じた。
おそらく、当時の学者も同じだったのだろう。
彼はその祭りが行われる時期に鳴神村を訪れ、そして何かが起きて、戻ってこなかった。
この手記は昭和初期に書かれたものとされ、学者本人は当時、帝国大学に籍を置く研究生だったようだ。
昭和初期――鳴神村一帯がまだ鳴神家の所有地だった頃。
当時の当主は現当主・将功の祖父であり、彼から将功の父へと代替わりするあたりで、例の“秘祭”が執り行われていたのかもしれない。
幽心は、すぐ傍らで蠢く異形の群れを見つめていた。
現世に留まり続ける幽霊という存在は、人という器を失った時点で理性から解き放たれ、剥き出しの感情だけを漂わせていることが多い。
生前に抱えた恨みや憎しみが強ければ強いほど、その存在は闇に傾き、人へ害を及ぼす。
なかには善性を保つ者もいる。
しかしそれは、死に際に抱いた想いが未練として残ったり、最期の強い感情が残留思念としてその場に刻まれた結果であることが多く、いわば「幽霊」というよりは“伝える者”――メッセンジャーのような存在だ。
妖は幽霊とは異なる価値観で動く。
善にも悪にもなり得る存在であり、猫又となった幸太郎のように話の分かる者もいれば、人に害をなすことを当然と考える者も同じほどにいる。
この現世には、人の目に見えない存在が確かに息づいており、幽心や新平は、ただそれを“見える”ようになっただけのこと。
見えないだけで、人は常に異形たちと共に生きているのだ。
――それにしても。
この異形たちからは、何も感じ取れない。
怒りも、悲しみも、恨みさえも――彼らを形づくるものではない。
では、いったい何が彼らをここに留めているのか。
その異常なまでに歪な姿。
祈るように手を合わせたまま、ズタ袋に詰め込まれたその体は、まるで貫頭衣を着せられた囚人のようだった。
縫い合わされた目や口を見る限り、まともな死を迎えたとは到底思えない。
それでも、彼らからは何ひとつ感情が伝わってこない。
おそらく――感じることすらできぬほどに、壊されてしまっているのだ。
壊され、抜け殻になってもなお、現世に繋ぎ留められているのはなぜなのか。
その理由は、彼らの視線の先にあるのだろう。
――鳴神家の別邸に、すべてが隠されている。




