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道下幽心の心霊奇譚  作者:
第二章 幸福の家

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第九話










「その、今回向かう別邸なんだけど、ほとんど当時のままになっててさ。一応、定期的に管理は入れてるらしいんだけど、建物の老朽化が進んでて、所々朽ちてるところもあるだろうって――爺ちゃんが言ってた」


「ああ、まぁ……そりゃそうだよな」


「俺も、別邸には本当に小さい頃に行ったきりでさ。正直、あんまり記憶にないんだ。だから、あんまり役には立てないかも……」


「いえ、君は“居るだけで”役に立ちますよ」


 五郎との会話に割って入るように、幽心が穏やかな口調でそう言った。

 その言葉の意味がわからず、司は呆けながらも、どうにか聞き返す。


「えっ、それってどういう……」


「僕の考えが正しければ、君がいないとダメなんです。君というより、《《鳴神家の血》》を色濃く引いた人物がいなければ、繋がらない」


「……繋がらない?」


「現場を見たわけではないので確証はありませんが、おそらく……いえ、楽しみはとっておきましょう」


 幽心は意味深に微笑むと、額にかかる前髪をそっと指で払いながら再び口を閉ざし、窓の外へと視線を移す。

 そんな幽心の様子に、五郎と新平は「また始まった」とでも言いたげに肩をすくめ、苦笑を浮かべた。


 一方の司は、幽心の言葉の真意が掴めないまま困惑のまなざしを前席の二人に向ける――ちょうどそのとき、車は長いトンネルに入り、視界は一気に暗転する。

 オレンジと黒の明滅が窓を流れる中、車内の会話はいつの間にかたわいもない雑談に変わり、スピーカーから流れる軽快なジャズと混じり合いながら、ゆるやかに空気の中へと溶けていった。





 目的地近くで高速を降りると、観光地らしく、目に入る一帯にはホテルやリゾート施設が軒を連ねていた。

 近くには有名な遊園地もあるせいか、平日にもかかわらず人通りは意外に多い。


 だが、中心街を外れてしばらく進むと、景色は一変する。

 周囲は再び暖色に染まった木々に覆われ、枯葉がふわりと風に乗って車を掠めていく。

 曲がりくねった道を進む先には、森に呑まれてしまいそうなほど寂れた店の跡地や、使われなくなった別荘が静かに佇んでいた。


 ひび割れたアスファルト、そして昭和を思わせる色褪せた看板――それらは否応なく、時代の流れがもたらす哀愁を漂わせていた。


 そんな栄華の名残を横目に車を走らせていると、やがて森が開け、ぽつりぽつりと住宅が姿を見せ始めた。

 道路脇の看板には『この先 鳴神村』と書かれており、ようやく目的地に近づいたのだとわかる。


 かつてこの一帯はすべて鳴神家の所有地だったという。

 いまはわずかな土地と地名にその名残をとどめるだけだが、古くから暮らす人々の多くはいまも鳴神家と何らかの縁を持っている。


「ええっと、今日泊まる宿は手配してあるから、とりあえずそっちに向かおう」


 司がスマホの地図を確認しながらおずおずとそう申し出ると、五郎が疲労を誤魔化すように首を鳴らし、同意を示した。


「あぁ、そうするか。さすがに運転しっぱなしじゃ堪える。ちょっと休みてぇわ」


「今日はどのみち周辺を散策する予定ですからね。別邸へ行くのは、ちゃんと準備を整えてからにしましょう」


「準備? 見に行くだけなのに、なんか必要なもんあったっけ……」


 新平が首をかしげると、幽心は小さく笑みを浮かべ、静かに頷いた。


「些細なことでもかまいません。現地で得られる情報が欲しいんですよ――外側から見た“幸福の家”の情報がね」






 ***





 鳴神村は、田畑と森に溶け込むようにひっそりと存在する小さな村だった。

 観光地から少し離れているせいか、人影はまばらで車通りも少ない。都会の喧騒とは無縁の静けさは、かえって耳が痛くなるほどだ。

 現代社会から切り離されたような、どこか懐かしさを帯びた風景の中に、目的の民宿「なごみ」はあった。古民家を改装した趣のある造りで、手入れの行き届いた庭と、時を重ねた木造家屋とが対照を成し、独特の美しさを醸している。


 広めの玄関をくぐると、恰幅のよい女性がにこやかな笑みを浮かべ、幽心たちを迎えた。


「はいはい、いらっしゃいませ。本日ご予約の鳴神様ですねぇ。……あら、やっぱり司君だったのね。まぁ、大きくなって」


 出迎えの挨拶もそこそこに、女将は懐かしそうに司へ声をかける。


「えっ……あ、お久しぶりです……?」


「あぁ、ごめんなさいね。司君は小さかったから憶えていないでしょうね。夏になると、この辺りで従兄の文人君と一緒になって遊んでいたものだから、つい懐かしくなってしまって」



 そう言って、目の前の女将が人のよさそうな目を細めて笑った。その笑みには、どこか寂しげな影が差しているようにも見える。

 車中で話したように、司がこの地を訪れたのは幼い頃の夏のひとときだけだ。何十年も前の色褪せた記憶の中に、この女性の姿や在りし日の従兄の姿など残っているはずもない。司は曖昧に笑みを浮かべ、取り繕うように頭を掻いた。


「さぁ、皆さんのお部屋へご案内しますねぇ」


 女将はすっと手を奥へ伸ばし、廊下の先へと促す。

 民宿は「民宿」というには広く、「旅館」というにはやや手狭で、古き良き日本家屋の趣を残しながらも、ところどころに現代風のインテリアが配されていた。

 軒先からのぞく庭は小ぶりながら風情があり、もし夏であれば、うちわ片手に夕涼みを楽しみたくなるほどだ。


「古民家リノベーション……和モダン風の高級貸別荘路線か……」


 五郎は内装に視線を巡らせながら、まだ見てもいない鳴神家別邸の今後に思いを馳せているようだった。


「どうぞごゆっくり」——そう言い残して部屋を後にした女将の背を目で追いながら、五郎と幽心はボストンバッグを畳の上に下ろした。

 さすがに大人四人が一室に泊まれるほどの大部屋はなく、司と新平は隣の部屋に泊まることになっている。


 室内は素朴ながらも隅々まで気配りが行き届き、艶のある座卓の上には急須とお茶請けが整えられ、脇にはふかふかの座布団が並んでいた。畳の香りがほのかに漂い、その懐かしい匂いに自然と心が落ち着く。


「あぁー、疲れた……」


 五郎はそう言いながら畳に大の字に倒れ込み、近くの座布団を手繰り寄せて枕にした。


「お疲れさまです。僕は少し周辺を散策しようと思いますが、五郎はどうします?」


「パス」


「では、夕食の時間には戻ってきますね」


「おー、いってらっしゃい」



 そう言って気だるそうに手を振る五郎を背に、幽心はのんびりとした足取りで部屋を出た。







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