第57話 狂気の宴
進み続ける先で、海魔たちは自らの身体を使い、両脇の割れた海の壁に不気 味な橋をかけていた。
それはまるで花のアーチを海魔で置き換えたかのような、恐ろしくも異様な光景だった。
海魔の体はぬらぬらと光り、その表皮からはしつこい視線がこちらを睨みつけていた。
恐怖が蔓延し、使節団の中でも戦える者は限られていた。
エミリアは前を進み、道を切り拓くために力を使い続けていたが、その代償に徐々に疲労が蓄積していた。
後方では、恐怖に耐えきれず失神したセレナや数人の使節団員が、地走獣に引かれる荷車に横たわっていた。
戦闘可能な者は、もはや十名ほどしかいなかっ た。
カレンはこの異常な状況を打開するため、決断を下した。「総員、目を閉じよ!」
彼女の声が響く。「エンルケ・ギ、エミリア様を背負い死守せよ。アイリス、シリウスは護衛につけ。ノア、ゼクスは後方を警戒し、敵の気配がしたら迷わず撃て!」
彼女の命令は的確であったが、エンルケ・ギはすぐに異を唱えた。
「目を閉じるのはいかんぞ、カレン。視界を奪われたら、こちらが圧倒されるだけだ!」
彼は苦々しげに言ったが、カレンはその警告に耳を貸さなかった。
「私に任せて。今しかない。」カレンは静かに、しかし決然と目を覆う布を手に取った。
彼女の右目を覆っていた魔眼封じの布を外す瞬間がやってきた。
カレンは発狂の魔眼を発動させた。
海魔が一瞬ひるみ、その不気味な視線が揺れ動く。
しかし、それでも海魔は餌がやってくるのを待ち構えていた。
彼らの飢餓感は、強大なカレンの力に抗おうとしていた。
「化け物ごときが、我が魔眼の前に屈せよ。そして貪り食え!」
カレンはそう叫び、今度は左目に隠された「飢饉の魔眼」を解放した。その瞬間、海魔の意識は一変した。
海魔たちは突如として、得体の知れない強烈な飢えを感じ始めた。恐怖を感じることなく、ただ一つの欲望に支配されていた。
「ヒモジイ」
啤くように、海魔たちは今までに感じたことのない空腹に苦しみ始めた。
遠くにいる使節団などどうでもよくなり、彼らは今、目の前にある「ご馳走」を狙い始めた。
自らの仲間であるはずの海魔たちを、貪り始めたのだ。 巨大な口が開かれ、無数の牙が海魔の 身体に食い込む。
狂気の宴が始まり、 海魔たちは次々と互いを喰らい合い、海底は血と肉で覆い尽くされた。
海魔のうめき声、悲鳴、そして裂ける音が響き渡り、海底はまさに地獄のような光景となった。
使節団たちは、目をしっかりと閉じて、カレンの指示に従っていた。
彼女の「発狂」と「飢饉」の魔眼は、対象外の者にも影響を及ぼしかねないため、誰一人としてその光景を見ようとはしなかった。
しかし、目を閉じていても、耳に入ってくる異様な音と、嗅覚を刺激する鉄の匂いは、凄惨な光景を想像さ世るには十分だった。
カレンの魔眼は、海魔たちの本能を狂わせ、今や彼らの内部で戦いが繰り広げられていた。
使節団が割れた海を渡り切るまで、海魔たちが自滅する時間は十分に稼げた。
だが、その代償に、 海底はかつて見たことのない惨状を呈していた。
彼女はその場で静かに目を閉じ、魔眼の力を徐々に封印していった。
「これで進めるわ。」カレンはそう言うと、 額から汗を拭い、使節団は静かに進み始めた。




