第42話 1日の終わりに
瘴気の森の出口近づき、エリシアは頭で迷っていた。
ディレードにどこまで話すべきか、考えを巡らせたが、彼の態度や背景を思い出し、すぐに決断した。面倒事を避けるより、全部話してしまった方が楽だと判断したのだ。
「まずね、今の私の立場は天帝なの。これだけは覚えておいて」と、エリシアは少し意識してゆっくり話し始めた。
ディレードは眉一つ動かさずにエリシアの言葉を待つ。彼の反応が薄いことに、エリシアは少しばかりの苛立ちを感じながらも、続けた。
「天帝っていうのはね、神威の権能を持っている者が元始天帝に認められた時に与えられる称号よ。神威っていうのは、簡単に言えば神の神経みたいなもので、霊脈を通じて特定の魂と紐付けられているの。選ばれる方法は分からないけど、おそらく霊脈を司る精霊や星が関わっているんでしょうね。」
ディレードは何も言わないが、しっかりと話を聞いているのは感じ取れた。その無表情に隠された思考をエリシアは読み取ることができなかったが、彼に対しては自分の話を最後までするべきだと感じていた。
「で、魔王って呼ばれるようになった理由はね――」エリシアは少し笑いを含ませて続けた。
「まぁ、前任の魔王、ルールーシーを倒した時に、そいつが私に乗り移ったのよ。魔族たちにとって天帝っていうのは敵みたいなものだから、彼らは私を混沌の神ケイオスだって勝手に呼び始めたの。」
ディレードは短く頷いたが、その表情には何か考え込んでいる様子が伺えた。エリシアは少し苛立ちを感じながらも、彼の沈黙を破るために質問を投げかけた。
「それで、あんたはどう思うの?私が天帝で、魔王だって知って。」
ディレードは一瞬目を細め、静かに答えた。「別に、どうでもいい。俺の任務は変わらない。あんたが何者だろうと、俺は監視役としてあんたの動きを見届けるだけだ。」
エリシアはその冷淡な返事に少しだけ肩をすくめた。「まぁ、そうよね。任務だもんね。」
彼女は軽くため息をつき、会話がこれ以上進まないことを悟りつつ、話を締めくくった。「ともかく、使節団と合流する前にもう一度確認しておくけど、私が魔王だってことは内緒よ。いいわね?」
ディレードはまたしても無言で頷いたが、その瞳には依然として感情の揺れは見られなかった。エリシアは彼に対して何かを期待するのは無駄だと分かっていながらも、どこか心の奥底で、彼の無表情の仮面がいつか崩れる瞬間を待っている自分に気づいた。
エリシアは、ようやく街の風景が見えてきた時、ほっとした気持ちになった。ここ数日間、疲れが蓄積しており、休む間もなく過ごしていたのは、言うまでもなく誰かのせいだ。瘴気の森での戦いと、ディレードとの苛立つような沈黙の旅路。ようやく冒険者ギルドに戻り、アジ・ダハーカ討伐の報告をしに向かう途中だった。
そんな時、遠くから見慣れた姿がエリシアの視界に飛び込んできた。エミリアが冒険者ギルドの前で嬉しそうに走ってくる。彼女の弾むような足取りに、エリシアは思わず微笑んでしまった。エミリアは本当に犬みたいだ、と心の中で思った。もし尻尾があったら、間違いなく今にも振り回しているだろう。
「お帰り、エリシア!」エミリアは、元気よく声をかけてくると同時に、まるで待ちきれないように話し始めた。「聞いて聞いて! 私たち、ついに銀級になったのよ!」
エミリアの声に、エリシアは一瞬驚いた表情を見せたが、次第に彼女の言葉に引き込まれていった。どうやら、エリシアがいない間に、エミリアたちは近くのダンジョンに挑戦し、見事にふたつのダンジョンを制覇したらしい。
「冒険者ギルドの受付のお姉さんがね、『これはすごいです!』って言ってくれて、ギルド長とも掛け合って、ついに銀級になれたの! ねぇ、すごいでしょ?」
エミリアはまるで子供のように嬉しそうに話していた。エリシアはそんな彼女の純粋な喜びが、まるで自分の心を癒してくれるかのように感じた。いつもなら、こういう無邪気なエミリアの話に少し苛立つこともあったが、今は違った。
「あ、ごめんね、私ばかり話して。大丈夫だった? 怪我とかしてたら、私の癒しの権能で治してあげるよ。」
その言葉を聞いた瞬間、エリシアの心の中で何かが解けた。今までの疲れや苛立ちが一気に消え去り、エミリアの温かさに包まれるような感覚だった。気づけば、エリシアはエミリアにぎゅっと抱きついていた。
「く、くるしいよ…」エミリアは困った声をあげたが、エリシアは彼女を離す気配はなかった。エリシアの疲れた心が、エミリアの優しさに癒やされ、ささくれ立っていた感情が穏やかになっていくのを感じた。
「ありがとう、エミリア…」エリシアは小さな声でそう呟きながら、エミリアの存在が自分にとってどれほど大きなものであるかを改めて実感した。
エミリアはエリシアの抱擁から解放されると、ふとエリシアの背後に視線を向けた。
そこには、大剣を軽々と担いでいる同世代くらいの少年が立っていた。
その無表情でどこか陰のある雰囲気が、エミリアの好奇心を引き立てた。
「ねえ、エリシア。その子誰?」と、エミリアは元気よく声をかけた。
彼女のその明るさに、周囲が一瞬和んだように感じた。
エリシアは一瞬、考えに沈んでいたようだが、エミリアの声で現実に引き戻された。
「ああ…」とため息をつき、いつもの余裕ある表情を取り戻す。
「これは私の護衛よ。名前はディレード。」
ディレードは、依然として無表情のまま、エリシアの指示を聞いている様子だったが、動こうとはしない。
エリシアは少し不満げに彼を見やり、厳しく言い放った。
「ディレード、挨拶しなさい。」
その言葉に促され、ディレードはわずかに表情を動かし、エミリアの方に視線を向けた。無愛想だが、しっかりとした声で
「ディレードだ」とだけ言った。
余計なことを一切言わない、淡々としたその態度に、エミリアは少し驚いた様子を見せたが、すぐににっこりと笑って返した。
「よろしくね、ディレード!」
エミリアは、いつも通りの明るさで手を差し出した。ディレードは一瞬戸惑ったように見えたが、その手には触れず、ただ小さく頷くだけだった。
エミリアは気にせず、
「そっか、護衛かぁ。エリシアをちゃんと守ってあげてね!」と、にこやかに続けた。ディレードはまた無言で頷いたが、その後ろ姿には何かしらの緊張感が残っていた。
エリシアは心の中で苦笑した。この少年が護衛という立場にあることはわかるが、それ以上に、何か大きな秘密が絡んでいることも知っていた。しかし、エミリアにはそれを伝えるつもりはなかった。少なくとも今は。
「まあ、彼は寡黙だから、そんなに期待しないで。とにかく、ギルドに報告に行くわよ。」エリシアはそう言って、再び歩き始めた。
エミリアは「うん、行こう!」と元気よく後に続き、ディレードも無言でその背中を追った。三人の影が夕暮れの街道に伸びていく中、エリシアは、今後この奇妙な護衛とどう付き合っていくかを心の中で考え始めていた。
エリシアは冒険者ギルドに入ると、まっすぐ受付嬢のところへ向かい、アジ・ダハーカ討伐の報告を行った。討伐の証拠である龍種の持つ宝石、龍鳴石を差し出すと、ギルド内は一瞬でざわつき始めた。
「おい、あれって…もしかして伝説の冒険者エリーじゃないか?」
「エリーって、あの白銀級でドラゴンスレイヤーのエリーのことか?」
周囲の冒険者たちは次々にささやき合い、瞬く間に噂が広がっていった。エリシアはその喧騒を無視し、冷静に受付嬢に向かって言った。
「討伐の証明には時間がかかるでしょう?また明日来るわ。今日は帰らせてもらう。」
そう言って、エリシアはその場を立ち去った。興奮する冒険者たちの声が背後に響いていたが、彼女は振り返ることなくギルドを後にした。
その後、エリシアは使節団のリーダー、カレンにディレードを紹介し、彼が今後の旅に同行することを許可してもらった。カレンはディレードをしばらく観察した後、無言で了承の頷きを返した。これで、次の旅路に向けた準備は整った。
宿に戻ったエリシアは、ようやく個室で一息つける時間が訪れた。疲れきった体をベッドに投げ込み、そのまま眠りに落ちたい衝動に駆られたが、汗ばんだ身体が気になり、結局、宿の女中に頼んで水桶を持ってきてもらった。濡れタオルで身体を拭き清め、ようやく心地よさが戻ってきた。
窓を開けて外を見ると、夕日が赤く染まり、美しい光景が広がっていた。柔らかな赤色が街並みを照らし、静けさが辺りを包み込んでいる。エリシアはその光景をぼんやりと眺めながら、これからのことに思いを巡らせていた。
旅の先には、さらなる困難や未知の敵が待っているかもしれない。だが、今はただ、この一瞬の安らぎに身を委ねたかった。考えることは後回しにし、エリシアはゆっくりと瞼を閉じた。身体の重さがベッドに沈み込む感覚が心地よく、すぐに深い眠りへと誘われていった。
今はただ、穏やかな夢の中で休むのが彼女の使命であった。




