バックラッシュ
「〈クラスター〉を身体に〈埋め込まれた〉者は、たとえ自覚できる記憶がなくても〈クラスター〉としての行動が可能である──そういうことですよね」
「うむ」
じつのところ、夕凪大尉はそのことをようやく認めざるをえなかった。
いままで半信半疑──というより九割方は疑の方だったのだが、この現状を見てしまえば、疑いつづけるというのが難しかった。
「わかってくれたかね、夕凪大尉」
「……はい」
司令長官の副官とはいえ、彼の私的集団──〈MSP〉に加わったのは、ついこの最近のことだ。
じつのところ、〈クラスター〉についても、この謎の空中戦艦についても、はてはいま対手している謎の存在についても、よくわかってはいない。
ただ、軍に所属していたころに一般の士官が知りえた情報程度の知見しかない。
「正直なところ、とても困惑しています」
それは素直な告白だった。
「無理もない、夕凪大尉。
軍ですら、このようなものは一握りの者──〈解決者たち〉しか知らされていないことだからね。
それがまずかったのかもしれん……」
解決者たち。
かつて夕凪や時雨、海風らが軍人として奉公していた帝国の運命を一変させてしまった、いまの世界の支配者。
そのトップこそが──
「神聖皇帝……いえ、〈ヴィラン〉は最初からそのように……」
「当初はその名の通り『神聖な目的』のはずだったろうな。
だが目的というのはえてして手段に堕落するものだ。
いまはもう、あの〈害虫〉を世界にばらまくだけの環境破壊者でしかない。
いや環境どころか、人類種すら破壊し、〈ヴィラン〉が選んだ生物だけを存続させる……。
いわば、〈アーク〉の船長きどりというわけだ」
「〈アーク〉……」
その特別な単語は、士官時代にもなんどか聞いたことがある。
解決者たちのアーク。
アルファベットでたった3文字のその単語を興奮ぎみに話す者もいた。
昔はただの世迷い言かなにかとして聞き流していたが。
「私の理解の枠をはるかに超えています」
これもまた、素直な告白。
「それでいい。それで仕方ないんだ。
これは人間が、その人智を超えて、まるで神になったかのように賢しげにふるまった結果だ。
我らがそれを〈バックラッシュ〉しなければ生き残れない。
そのために私が活動しているのだ」
海風中将──若干19歳にしてその階級に昇り、〈タスク・フォース〉と呼ばれる皇帝直属の特殊部隊を率いた者は、その主君である皇帝、それが治める帝国を裏切り、私兵集団〈MSP〉を結成してこうして〈バックラッシュ〉にはげんでいる。
「いままでは帝国によって壊滅寸前まで追い詰められていたが、ここからが本当の〈バックラッシュ〉のはじまりだ。
朝霧リスマ──〈クラスターミュート〉、これこそわれらの希望、そして人類種存続の最後の道──」
何度目かわからない艦の震動。
だが、それもようやく終わるだろう。
「害虫、墜落します!」
オペレーターの声をきくまもなく、艦橋の大画面に映るその巨大な厄災の塊は、まるで芋虫を集めて固められた塊が爆発して粉々になるように、虫酸のはしる音をたてて島に、そして海へと落下していった。
「〈ヴィラン〉に電信してやれ。『つぎはお前だ』とな」
夕凪が横目で見たその海風の笑顔は、復讐のためなら善悪の区別を捨てる者の表情としか思えなかった。