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人間がシュミトー戦争と呼んだ戦争から二十八年がたった。とっくの昔にアキヒサは大人になっている。この二十八年は地獄だったのかもしれない。今でも地獄はつづいているのかもしれないが。
地球に空と海をとりもどす。黄色い空、干上がった海、足場という名の建造物が大地を覆いつくしている。こんな地球は見ていられない。もう一度、惑星工学を施して地球をかつての環境につくりなおさなければならない。そうすれば、人間は個室の外でも呼吸できるようになり、逆にシュミトーは死に絶える。しかし、きわめて高度な惑星工学技術をもっているシュミトーに対して、はたしてそれが可能だろうか。
アキヒサはいいようのない無力感に包まれる。これはもうすでに負けてしまった戦いだ。今さらどんなてで勝負をひっくり返せるというのか。生きていくだけで精一杯だ。正体を隠しているだけで精一杯なのだ。とても緻密な戦略を組み立てるだけの余力はない。
誰かに会いに行こう。スゲ爺がいい。確か、近くに来ているはずだ。
この日は、スゲ爺と会った。そろそろ六十歳を越えたと思われる老人だ。つまり、数千人しかいない生き残りの一人なのだ。もちろん、スゲ爺もシュミトー外殻を身につけている。会話は化合物を介して行われる。
「どうだよ、スゲ爺。みんなは元気か」
「まあまあだな。特に事故もなくやっとる。リージャオが出産してな。男の子だ。本人は父親はフィンチだといてるが、どうだか怪しいもんだ」
「サヤカはどうしてる。自閉症は治ったか」
「おお、すっかり元気になっとる。今じゃ逆に誰よりもこの生活に適応しとるよ。子供なんて五年もすればすっかり変わっちまうもんだ」
サヤカというのはアキヒサの娘だ。サヤカの母親だった女は七年前に死んでしまった。呼吸器官の故障が原因で、シュミトー外殻の中で冷たくなっていた。
「シュミトーを皆殺しにするアイデアは思いついたか」
「あんた、まだ革命なんて考えとったのかね」
スゲ爺の平和的な答え方がアキヒサを激怒させた。
「当たり前だ。おれは絶対にシュミトーを許しはしない。やつらの腸をかっさばいて、臓物をぶちまけてやる。シュミトーは皆殺しにする。おれたちが生きるためにはそれしか手はない。海を復活させ、植物を植えて、酸素を増やし、雲をつくり、雨を降らせ、地球を人間の手にとりもどすんだ」
「おまえさんは保守過激派だよ」
「それがどうした。あんた、忘れたわけじゃないだろ。この惑星の空は本当は青いんだ。あの頃を忘れたわけじゃないだろう」
「ひょっとして、昨日の爆発事故はあんたが原因じゃないのかね」
「ああ、そうだ。おれはなあ、一人でも戦う。あんたらみたいにシュミトーに尻尾を振ったりはしない。絶対にだ」
「あんた……自分のしていることが分かっているのか。罪もないシュミトーが八体も死んでしまったのだぞ。幼体もいたし、老体もいた。あんたのやってるのは無差別テロだ」
「黙れ! シュミトーが死んだから何だってんだ。やつらが殺した人間の数をいってみろ。七十億だぞ。犬も猫も牛も豚もイルカもクジラもカラスも魚も、昆虫だって植物だって、ぜんぶやつらが殺しやがったんだ。地球を皆殺しにしやがったんだ。おれがちょっとシュミトーを殺したからってなんだってんだ。シュミトーのお題目に大人しく吹きこまれてるおまえらを見ると吐き気がしてくるんだよ!」
「おまえさんのいっとることは分かるよ。でもなあ、現実的になってみろ。今ではもうこの惑星はシュミトーのものなのだよ。ここは地球ではなく、惑星ユードーなのだ。おまえさんが八体や九体殺したって、それで惑星の支配者が交替するわけではない。この惑星に何体のシュミトーがいると思っているんだ。八百億だぞ。しかも、ここ以外にも四十二の植民星にぜんぶで四千兆体のシュミトーがいるのだ。やつらは火星や金星にも住んでいるらしいぞ。勝てるわけないではないか。もうそろそろ現状を受けいれて、密やかにでも平和に暮らそうではないか。それがお互いのためだ」
「黙れ! その口を閉じねえとぶっ殺すぞ。負け犬が。根性なしが。裏切り者が。おまえが偉そうにのたまうんじゃねえ。ムカつくんだよ、おまえら、最高に!」
「いつか自分の首を絞めることになるぞ」
「帰れ。あんまり話していると殺しかねない」
「慎重にな。早まったことはするな。わしらはみんな、おまえの身を案じておるぞ」
くそったれ。帰っていくスゲ爺の姿を見ても、やるせなさは消えてくれなかった。おれは負けない。一人でも戦いつづける。最初から、あんなやつらの協力は期待してないのだ。
シュミトーを殺す。殺しつくす。一日に十体殺した。このままいけば一月で三百体を殺すことができる。一年で三千五百体、十年で三万五千体、五十年で十七万体……ダメだ。こんなやり方じゃあ、シュミトーを皆殺しにできない。もっと効果的で、もっと大規模な殺し方を考えなくては。何十万体を一度に殺せるような方法を考えなくては。
アキヒサは一日中、シュミトーを殺す方法ばかりを考えていたが、なかなかうまい手段は思いつかなかった。
一ヵ月後、アキヒサは再びスゲ爺に会った。
「すげえもん、見つけたぞ」
アキヒサは出会うなり、円筒状の容器をとり出して、スゲ爺に見せた。
「何だ、それは」
「シュミトーどもを皆殺しにできるすげえ兵器だ。噂に聞いたことがあるだろ。酸素をつくる人工植物の種だ。シュミトー戦争の時に軍部が開発していたらしい。こいつは本当にすげえぞ。なんていったって、惑星工学兵器なんだからな。発芽させれば、急速に繁殖して、いっきに地上を覆いつくす。そして、酸素を大量に吐き出して、地球をかつての環境に戻すんだ。すげえだろ」
アキヒサは興奮で次々とボタンを押しまくった。
「シュミトーは酸素に弱い。こいつさえあれば、シュミトーどもをいっきに皆殺しにできる。何で軍部はこれを使わずに負けちまったんだろうな。ちゃんとすげえ兵器を開発していたってのによ。おとといに軍部の跡地で爆弾の材料を探してたときに見つけたんだけどな。おれは興奮で夜も眠れなかった。ついに復讐を果たせるときがきたんだ。これであんたらも戦う気になるだろう。地球を解放するんだ」
スゲ爺はシュミトー外殻の中で冷や汗を流した。
「バカな。それは増殖性強化生物だぞ。そんなものを使えば、人間ごと呑みこまれてしまう」
「だが地球は復活する」
「アキヒサ! 分かっているのか。人類を滅ぼそうとしているのはシュミトーじゃない。おまえの方だぞ」
「うるさい。おまえにおれの気持ちが分かってたまるか。身も心もシュミトーになりきったやつらが。おまえらにおれの気持ちが分かってたまるか。いいじゃねえか、人工植物でも。おまえらよりはよっぽどか地球らしい。この植物が地球中に生い茂れば、生き残ってた地球微生物が繁殖しはじめるかもしれねえ。そうすれば地球の復活だ。もう一度、進化を十億年前からやりなおすだけだ。ここは薄汚いエイリアンの惑星じゃない。地球に戻るんだ」
アキヒサは容器を開けて、なかの種を撒き散らそうとした。
「やめろ!」
スゲ爺はシュミトー外殻の中で叫んだ。
とっさに、外殻に装備してある重火砲を発射した。アキヒサは外殻ごと弾丸に撃ち抜かれた。容器はまだ開かれていなかった。
スゲ爺は押し黙ったまま、周囲にシュミトーがいないかを確認した。誰も見ていない。こんな場面を見られたら、一発で正体を見破られてしまう。
それから、慎重にアキヒサの死体と外殻を粉々に砕き始めた。死ぬときは人間の死体や外殻を残してはならない。もし、それがシュミトーたちに発見されたら、生き残っている人間たちが窮地に追いこまれてしまう。即座に大規模な人間狩りが始まることだろう。そうなったら、もう隠れて暮らすこともできなくなる。だから、こうすることが人間の存在を気づかれないための厳格な掟なのだ。
数日後、アキヒサの死を悼むために、遺体のない葬儀がしめやかに行われた。シュミトー外殻を着た人間たちが四十人ほど集まり、一分間の黙祷を捧げた。
「こんなに大勢で集まったらシュミトーに怪しまれるよ」
サヤカは父親の死を聞いても、普段と変わるところがなかった。五年も顔を合わせていない父親に特に親しみを感じてはいなかった。
「しかたない。今日は特別だ」
スゲ爺は黙祷の姿勢のまま静かに答えた。
「でも、どっちかっていうと、死んでよかったんじゃないの」
「いうな。黙って祈りなさい」
「でも、誰も殺してはいけないって決まってるでしょ。お父さんはシュミトー殺しだったんだから、罰があたったんだよ」
「今は黙って祈りなさい。人にはさまざまな偉大さがあるのだよ。我々は決して彼を忘れるようなことがあってはいけないのだ。我々は彼の生き様を語り継がなければならない。きみのお父さんは、とても大切なものを守ろうとしていたのだ」
「変なの。死んでから褒めるなんて」
気がつくと、何人かの地球人は声を出さずに泣いていた。