第49話~概念の消失
閻魔界と神の国を含む世界────黄泉の全てを光が飲み込んだ。そして、爆心地である閻魔界では、徐々に光が弱まっていた。完全に光が消滅した閻魔界に訪れた異変。細かな光の粒子が空間を漂う光景を、正気を取り戻した住人達は目撃する事となる。
「────生きている?」
強い衝撃と共に地面に叩きつけられた僕は周囲を見渡した。同じく地面に叩きつけられた時希が、僕と全く同じ反応を見せている。そして、今まで意識が混濁していた五芒星達が続々と立ち上がり始めていた。
あの光は魂に害のないものだったのだろうか。自身の身体を見ても外傷は全くと言って良いほど無い。現世で経験した電流も何も発生していない。鬼籍を開いても僕の状態に変化はない。ならば、あの光は一体何なのか。どの様な意図を持って展開されたのか、疑問が残っていた。
「みんな……これなら暦を止められる────!?」
そうだ、暦はどこなんだ? 僕は全能術を暦に放った。そして、どうなった?
先ほどまで空中に浮かんでいた暦を探すべく上空を見上げるも、既にそこに彼女の姿は存在せず、彼女が残した虚無への入口と、漂う光の粒子のみが視界に映っていた。
それに、この感覚……これは虚無の内部に非常に似ている。閻魔界が……いや、この世界全てが虚無に飲まれたような、そんな感覚だ。
「なんですかこれは……これはまるで、完全なる時間停止の世界そのもの……」
僕と同じく時希も困惑している。この世界の空気が変わったのを彼も理解していた。
「既に全能術は終了している……いや、完全なる時間停止の世界はありえないッ!!!」
周囲で動き始めた五芒星達を見て時希は声を荒げた。
「時希ッ! 落ち着くんだッ!!!」
「ありえない……ありえないんだよ閻魔薙ッ!!! これほど広範囲の時を止める術を、私は知らないッ!!!?」
珍しく言葉を荒げる時希を見た他の五芒星達は何事かと駆け寄ってくる。
「時希……何があった? 宮殿が無くなった事とこの事象には関係があるのか?」
暗鬼が鬼気迫った表情で走ってくる。そして、隣の僕を見て動きを止めた。まるで死人に出会ったのではないかと思えるほど驚愕の表情へ変貌した彼は、同じく駆け寄ってきた水月と然樹、琰器と共に震えながら僕へ話しかけた。
「え、え……閻魔薙!?」
「霧華ちゃんの言っていた事は……本当だったのね」
「薙さん!? 俺は生きているって信じてたっすよ!!!」
「大罪人!? 閻魔の面汚しが!!! 閻魔王に何をした!?」
様々な意見が飛び交うものの、今はそれどころではないのだ。しかし阿鼻叫喚の三人のお陰で時希は冷静さを取り戻した。周囲が焦るほど冷静になるものである。呼吸を整え、考えを整理すると、覚悟を決めて時希は口を開く。
「はぁ────全員黙れ……私が全て説明する」
ちらりと僕を見た時希は、自らの行いを全て吐き出した。閻魔界の統治の件……そして、閻魔暦の件を。
☆☆☆
全ての事情を聞いた五芒星の面々
「うーむ、許されぬ事をしたな……時希よ」
「分かっています……全てが終わったら、貴方達で煮るなり焼くなり好きにしなさい……」
比較的冷静だったのは暗鬼だった。いや、彼の周囲には深淵の黒煙が漂っている。少しでも時希が不審な動きをすれば、即座に捕獲する気だろう。
「俺は許せないっす……もう俺は時希を信用できない」
最も怒っていたのは然樹だった。彼は時希と僕の間に立ち、時希を糾弾し続けた。
「然樹やめてくれ……今はそれどころじゃない……暦を追わないといけない」
「そのコヨミ? って奴がどこにいったか分かるの?」
水月の問いに僕は頷いた。あれだけ空の座礁について口にしていたんだ。時希の言う通り、今の閻魔界は完全なる時間停止の世界に存在するのだとしたら、そしてそれが虚無の中に展開されているのだとしたら、彼女の求めていた”世界記憶の法則を無効化する条件”が整っているのだとしたら────
────もう彼女の行くべき場所は一つしかない。
「沈まぬ太陽……世界記憶の中に彼女は居るはずだ」
閻魔達から崇拝され、神々すら到達できない領域の名前に僕と時希以外の全員が唖然とした。それほど、沈まぬ太陽に近づくという事が自殺行為である証拠でもあった。
「早く行かないと、輪廻転生の機構が破壊されてしまう……そうなったらもう我々に成す術はない……」
チリチリと電気が跳ねるような音が聞こえた。上空に展開された虚無を見上げた。音は間違いなくそこから聞こえてきていた。もしかしてあの虚無への入口の先が沈まぬ太陽なのかと疑問を抱いたその時……
赤黒い液体と共に見知った者達が虚無の入口から零れ落ちた。
その場の全員が釘付けになった。時希ですら、口を開けたまま落下する人物を凝視し続けている。
道服に包まれた巨体は、抱えるもう一人の閻魔と共に地面を凹ませる程の衝撃と共に閻魔界へ着地した。そして、赤黒い液体は螺旋を描きながら一人の壮年の男の姿へ変貌したのである。
「────閻魔王!?」
琰器は感嘆の声を上げた。時希から消滅したと聞かされた閻魔王がまさに目の前に降臨したのだから。しかし他の五芒星は、隣の聖とマガツヒノカミに身構えた。彼らには裁判の記憶は存在しない。それでも時希が流布したマガツヒノカミの容姿は記憶にあるようで、初めて見る災厄の神に警戒を強めていた。
「マガツヒノカミ……」
「久しいな、閻魔薙……虚無の旅は長く苦しいものだったが、地上よりかは幾分は過ごしやすかったぞ?」
ボサボサの髪を揺らしながらマガツヒノカミは僕の前に立つ。僕が神を封じたのはついさっきの出来事だ。だが虚無とこちらでは時間の流れが異なるため、神視点では僕との衝突ははるか昔の出来事なのだ。会話から少なくとも数十年から数百年の開きがあるのだろう。
「ほら、この通り……長い時のお陰で災厄の神だった頃の姿に戻る事ができた。現世の理が無いってのは、素晴らしいな」
「今は……お前と争ってる場合じゃない」
焦る僕を嘲笑うようにマガツヒノカミは笑った。その横に閻魔王が歩み寄る。
「薙……お主の言う通りだ。今は、我が娘……暦を止めるのが先決……」
「まだ娘と言うのか閻魔王? お前自身が言ったのだ、彼奴は和睦の使者だと」
マガツヒノカミは過去に天帝から聞かされた和睦の使者の情報を僕達に伝え始めた。かつて黄泉が誕生して間もない頃、天帝に和睦を与え世界の統治を指南した存在も和睦の使者だったのだと。
「和睦が?」
僕は腰の刀を見た。沈まぬ太陽と同じ絶対不可侵の力を持つ和睦。その力の源流が世界記憶。刀の柄を無意識に強く握る。
「それでもお前は俺を非難するのか?」
「少なくとも、人間を滅ぼす意思には抵抗させてもらう」
いつでも和睦を引き抜き目の前の神を裁く準備をする。そんな僕を見て、マガツヒノカミは鼻で笑った。
「今でもお前は、俺の理解者だと信じている……和睦の使者を止めろ」
その言葉に聖は強く頷いた。
「薙……悔しいが俺は、いや俺達ではどんなに急いでも間に合いそうにない……お前の虚空だけが、空間の力だけが、あの女に追いつく手段だ」
彼の指差した先で沈まぬ太陽は変わらず輝き続ける。
☆☆☆
閃光が空を横一文字に切り裂いた。その光は、虚無の中で聖が放っていた全能術。聖はどうしてそれが閻魔界に出現したのか理解できていない。
上空の虚無への入口が決壊した。周囲の光の粒子に入口が溶けていく。もはや虚無との境界があやふやになっているのだ。神の雷、神風、煉獄の炎、過去に虚無へ放り込んだ様々な物が閻魔界の至る所から溢れ始める。
さらに彼らの全身に青白い電流が発生し始めた。虚無を経由して現世の法則が流れ込んでいるのか、それは僕が熟知している現象────現世の理に違いなかった。まだ痛みはないものの、このまま放置すれば彼らを、身を引き裂く激痛が襲うのは自明の理だった。
僕と時希にはその症状は見られない。おそらく、時間と空間の法則を身に着けているのが幸いして進行を遅らせているのだろうか。
「マズイ……閻魔界には多くの閻魔達がいる」
「暗鬼さん!? 私達で避難させましょう! それに霧華ちゃんも探さないと……」
「避難って……どこに逃げるんすか!? もう安全な場所なんて存在しないでしょう!?」
「黙れ然樹ッ! 閻魔王の指示を待てッ! 王が戻られた今、権限はあの方にあるッ!」
暗鬼、水月、然樹、琰器が口々に意見を言う。
「地獄を解放する……聖、そしてマガツヒノカミ、お主達も来るのだッ! 清掃用の回廊を開き、全員を退避させろッ!」
「はいはい……じゃあ待つとするか、俺の理解者が偉業を成すその時まで」
「神、閻魔王、行きましょう……」
閻魔王、マガツヒノカミ、聖は五芒星を連れて多くの閻魔達がいるであろう地域に向かって進み始める。
神は、全知全能ではない。それぞれに専門分野を持たされた、偏った知識を振る舞う哀れな存在なのだ。決して、皆が想像する救済者などではない。嫌でもそれを理解させられる。今、この問題に立ち向かえるのは時間と空間の専門家しかいないのだ。
残された二人……僕と時希は沈まぬ太陽の方向に身を向ける。
「時希、これを……」
首からかけていた浄瑠璃鏡を時希に手渡した。記憶の中で閻魔王からの贈り物だったそれを彼は無言で受け取ると、自らの首にかけた。
「なぜ今になって?」
「分からない……でも、今返さないといけない気がしたんだ」
時希は、「そうですか」とだけ言うと倶利伽羅を鞘に納めた。そして僕の肩を強く握る。
「────行きましょう!!!」
「えぇッ!!!」
両手を合わせる瞬間、僕の小指に巻かれた純白の糸が輝いた。
☆☆☆
沈まぬ太陽の前に一人の女性が浮いていた。今までなら、この距離まで近づく事は叶わなかった。でも今は違う。暦の手によって世界の法則の一部が機能停止状態に陥っているからだ。背中から幾何学模様の羽根を生やした閻魔暦は指先から糸を出現させると、先端を沈まぬ太陽に突き刺した。
「────開きなさい」
うねる紅炎が退いた。発光する表面の一部が流れるように薄くなっていき人一人分の穴が開いたのである。この穴は黄泉と沈まぬ太陽との境界。
暦は水平移動しながら境界を抜けると沈まぬ太陽の中心────世界記憶へ侵入を果たした。
境界を抜けた暦の目に映ったのは純白の空間を青白い文字の紐が埋め尽くしている光景だった。紐の文字は読めない言語で刻まれており動く度に小さくパリパリと電撃を思わせる高音を発していた。
「私は故郷に帰ってきた────見知らぬ故郷に」
この世界は見る者によって姿が変わる。ある者は図書館として、ある者はサーバールームとして視認する。つまり今彼女の目に映る姿もまた、数多く存在する形態の一つなのである。
暦の侵入を察知したのか、彼女が動くと文字の紐が自動的に衝突を避けるよう散っていく。文字の紐の一つ一つがこの世界の法則を記述した情報。
「私はここで生まれ、彼らの国────閻魔界へ派遣された。和睦の使者の役割は、現時点の黄泉の状況の把握と維持管理……でも、その役割を私は放棄し、おこがましくも目標を持った」
ゆっくりと、それでいて確実に、彼女は世界記憶の核たる中心部へと進んでいく。
「紆余曲折あったものの、私は目標達成まであと一歩の所まで来た」
隣で文字の紐が収縮し無垢の魂を生成する。その魂を暦が掴み取った。絶対零度と虚無の双方を行使し続けているため、魂に触れた瞬間、その力に耐えきれず再び文字の紐へと戻ってしまう。
「私がここに到達した以上、輪廻転生の機構を破壊するまで魂の渡航を禁止する」
発生しては消える無垢なる魂達。彼女の歩みは止まらない。そうしてついに彼女は世界記憶の中心へと到達する。人が数人入れそうな大きさの黒い球体。その球体上にも読めない文字が隙間なく表示され時計回りに回転していた。
するりと一本の糸が黒球に接続されると、表面の文字の色が赤く変わる。容易に世界の根幹の情報を書き換えられないように仕組まれた最後の防御反応。
「言語解析不能……集合意識に接続……言霊による言語変換開始」
黒球の文字が消え、上から順に緑色の文字が記述され始める。保護用の情報を人類が理解できる言語に変換し集合意識内の情報と照合、解除用の情報を暦が入力を担当している。
「────解析完了」
表面全てが緑色の文字で埋め尽くされた黒球は、音を立てて変形していく。暦の正面が螺旋状に回転し内部を露出させる。黒球内部には魂よりも少し大きいプラズマ球が台座に複数格納されており、それぞれが干渉することなく音を立てて存在している。
ここに格納されている球体こそ、世界の根幹を司る情報の群。
その中から、輪廻転生に関する球体が暦の前へと運ばれてくる。まるで磨かれた宝玉のように光沢のあるそれに手を伸ばすと力を入れた。バチバチと火花を散らしながら台座から外れた球体を頭上に投げると、倶利伽羅を振り上げた。
この瞬間、世界の法則から輪廻転生の機構は取り除かれた。




