第48話~特異点
「暦……いや、閻魔暦ッ!!! お前の罪は何だッ!!!!!」
────裁定者と戦ったアメリアが言っていた。暦は天秤で量りきれない罪を背負っていると。ほんの少しでいい……時希が鬼神の掌を解除するまでで良い……だから、術の発動を遅らせろ……
荷重が重力となり暦を捕らえた。飛んでいられない程の重圧に彼女の表情が一瞬だけ歪むと共に発光が弱まった。いくら集合意識から熱力学が供給されているとしても使用者はたった一人だ。自らの罪の意識に押しつぶされてくれ。それが一番なんだ。
「くっ……裁定者の天秤量りね……」
暦のゆっくりと高度が下がっている。この負荷の中で飛行し、虚無を展開し、次元を超える粒子を操るのは暦と言えど酷なんだ。天秤は間違いなく効いている。
「────神々と閻魔達の和睦を目的に派遣された私が、現状に憂い、身勝手にも使者の責務を放棄したのは……確かに大罪」
天秤が音を立てて逆方向に一段階傾いた。
「神を騙し、閻魔を騙し、さらには現世の人間達まで騙した……これもまた罪」
再び天秤が一段階傾く。罪の意識が軽くなっていく。
「でもきっと、世界記憶は許してくださるでしょう……辿り着く終点で、私の行いは正しかったのだと、情報として記録されるのだから」
さらに天秤が一段階傾く。
「何をしている……まさか、開き直っているのか……?」
空中で懺悔を始めた暦。傍から見ればただの茶番。しかし天秤はどんどん軽くなっていく。罪の意識を量る天秤が軽くなるという事は、罪悪感を抱いていないということ。
「────後悔も、反省も、そんなものはいらない。大事なのは自己を肯定すること」
天秤が一気に水平に戻され、その衝撃で僕の手から零れ落ちた。
「────外れた! 閻魔薙ッ! 動けますッ!!!」
隣で時希が大声を上げた。僕達を拘束していた影の手は力なくスルスルと落ちていく。
「ありがとうございますッ!!!」
両手を打ち鳴らし彼女の背後に移動する。天秤による時間稼ぎは成功した。後は、彼女から力を分離すれば……集合意識の接続を切れば……そうすれば────
「────燐瞳達を救えるッ!!!!!」
座標計算は済んでいるッ!!! 彼女と術を僕ごと虚無に幽閉するッ!!! 虚無の中で、全ての力を吐き出させてやるッ!!!!!
☆☆☆
薙が全能術を発動する素振りを見せた時、地上の時希は思った。
────閻魔暦を虚無に閉じ込めるだけでは足りない。
「足りないんですよ……貴女のしてきた事は……死をもって償わなければ、まるで足りないッ!!!」
薙には虚無へ叩き込めと言った。しかし時希本人の心に決着をつけるには、それだけでは駄目なのだ。時希自身も多くの罪を重ねてきた。それらと向き合う覚悟を彼は決めたのだ。
「鵺……私も罪を償う時が来た……それだけなのです」
時希の背後に文字盤が二つ出現した。片方は時計回り、もう片方は反時計回りに長針が高速回転を始める。カチカチと時間を刻む音が周囲に響く。閻魔暦が薙に集中している今しか執行する機会は訪れない。
「不全なる順針の法則……不全なる逆針の法則ッ!!!」
時希は二つの不全術を作動させる。呼応するように二つの文字盤の針は回転速度を上げ周囲の景色が歪んだ。
────順針は時を加速させる。そして逆針は時を戻す。
「時は、ただ戻すだけでは駄目だった……時間の加速度は零を超え、負の値を示すばかりだった」
”では時希よ、あの紙切れから見て今のお前の座標はどう変化している?”
────先生はそう言って時間の法則の一端を私に見せた。でも、時間座標を亜空間に移動させるだけでは時は止まらない。異なる時間の流れで遡行が発生するのみ。
「充分加速した時を急激に遡行させる……衝突する異なる概念……その刹那にのみ零が存在する……完全なる時間停止の世界は、零の中だ!」
二つの不全こそが、十全への道となり、閻魔時希へ贖罪の機会を与える。
「────十全たる秒針の法則ッ!!!!!」
二つの文字盤の針が零時を指した所でカチリと停止した。その瞬間、歪んだ空間が時希を中心に球状に広がり空間内に存在する全ての動きもまた停止した。
そう、閻魔時希は完全なる時間停止の世界への侵入方法を既に理解していた。その上で閻魔暦に隠し続けていたのである。なぜならば、この方法で維持できる時間停止の世界はほんのわずかな時間なのだ。刹那と表現するのが正しいと思える程の短い間隔で一体何が出来ようか。世界記憶を書き換えるにしても、時間が全く足りないだろう。
ただ、それでも今の時希には充分過ぎる代物だった。
強く地面を蹴ると、時希だけが止まった世界の中を縦横無尽に動き回れた。引き延ばされた零────完全なる時間停止の世界────閻魔時希だけの時間。
「閻魔薙……貴方には悪いですが、今ここで、彼女を消す!!!」
閻魔暦の作り出した粒子の球体を俱利伽羅で一刀両断した時希はそのまま虚無を飛び越え彼女の身体目掛けて倶利伽羅を構える。
その背後で、薙の合わさった手から虚無への入口が展開された。薙は動いていない。虚無だけが三人を飲み込まんと範囲を三次元的に拡大し続けた。
────停止した時間の中で虚無だけが動いている?
目の前に迫る閻魔暦に視線を戻した時、時希の全身を悪寒が貫いた。
それは一瞬だった。だが一瞬だったとしてもその衝撃は忘れられないだろう。
こちらの動きを、彼女は目で追っていたッ! 完全なる時間停止の世界の中で、彼女は自由を手にしているッ!
虚空も刹那も時間の単位。空間と時間の関係は密接で切っても切れない関係にある。
「────この時を、待っていた!!!」
迫る薙と時希を他所に、暦は絶対零度の右手と虚空の左手を強く打ち鳴らす。
彼女はずっと待っていた。閻魔薙が十全たる空孔の法則を、閻魔時希が十全たる秒針の法則を使うこのタイミングを。
絶対零度による時間停止の世界への侵入は、暦の予想通り成功した。しかし絶対零度でも原子の振動は止まらない。そこで登場するのが虚無だ。何もない空間内部の熱力学が零になれば、それは時間すら存在しない時空────特異点が完成する。
「十全たる時空の法則ッ!」
特異点を生み出すための十全たる空孔の法則と十全たる秒針の法則
特異点を拡張するための全能術────十全たる時空の法則
彼女が薙を閻魔界へ連れ去ったのも、時希の目の前に現れ散々挑発したのも、全てこの状況を生み出すため。
「この力で、世界記憶の法則を無効化し、規範を書き換える!!!」
暦を中心に直視出来ないほどの閃光が周囲へ広がっていく。光の壁は閻魔界全域を飲み込み、帳に衝突した。拡散する光の勢いによって帳は音を立てて崩れ、そのまま周囲へ広がり続ける。
勢いの止まらない光の壁はついに、神の国へも到来した。
☆☆☆
神の国と閻魔界を繋ぐ街道を歩く三人の影。恰幅の良い全員が神の胡服を纏い、一人は笑い、一人は怒り、一人は怯えた表情を浮かべていた。彼らは神の国から閻魔界へ渡航している最中なのだ。彼らの目的はただ一つ。災厄の神の返還である。
「え、閻魔王は……わ、私達の指示に従うだろうか……!」
怯えた表情の神が身を震わせながら言った。その言葉に怒った表情の神が言う。
「当たり前だッ! 我々は閻魔の監督者ッ! 奴らは我々に従わざるを得ないのだッ!!!」
「我ら自由思想派にとって、革命のために尽力したマガツヒノカミは、何んが何でも手の届く所に置いておかなければなりません」
笑った顔の神がいやらしく口角を釣り上げた。
「さらにマガツヒノカミを手にすれば、天帝の宝も我々の物に……グフフフッ!」
「わ、和睦は……然るべき場所に……お、置くべきですな!」
「そうだともッ!!! 我々が国を統治すべきだと、天帝に思い知らせなければならないッ!」
何も知らない三人は閻魔界を目指す。能天気にも、遠方から迫りくる光の壁に彼らは気が付いていない。
彼らが自覚したのは、光の壁に飲み込まれる直前だった。
山を超え、谷を超え、果ては大河を遡り、光の壁はついに神の国の国境に到達する。
「────伝令ッ!!! 伝令ッ!!! 高密度の熱力学を探知ッ!!! 回避出来ませんッ!!!」
国境の警備を担当する者からの通信が神の国に届いた。最初にそれを確認したのは時間の神だった。彼は急いで邸宅の外に出ると近くの櫓の上に飛び乗り、連絡のあった国境を眺めた。国境に配置された神の国の帳に光が衝突するも、帳は音を立てて砕かれ、その破片もろともこちらに光が迫ってきているのを目撃する。
「なんだあれは……ワシは、今まであんなものを見たことがないぞ」
時間の神は生まれて初めて恐怖した。脳裏に浮かんだのは、愛弟子である閻魔時希の顔。久しく会っていない彼との時間を、走馬灯として見ることとなった。
「あれは特異点……この世界の終わりを告げる鐘が鳴ったのだ」
時間の神は背後から聞こえる声に振り向き、膝をついて頭を下げる。時間の神は思う。なぜこのお方がここにいるのか。この方は神の社を出ることなどほとんど無いはずなのに、と。
「天帝様……どうしてこちらに?」
「終わりの始まりを、この目で確かめたかったのだ……」
長い白銀の髪と顎髭を携えた老人がそこには居た。天帝と呼ばれた老人は、閻魔の道服と同じ召物を纏い、迫りくる光の壁を静かに見つめていた。
「来るべき日が来ただけだ……かつての和睦の使者は、このワシに和睦という宝を与え、太平の世を維持する役割を与えた……じゃが、此度の和睦の使者は世界の根幹を治療するために、我々を排除するつもりなのだ」
「天帝様、まさか、最初から知っていたのですか?」
「あぁ……この世界の秘密を、和睦と共に与えられたワシに止める権利があると思うか? ワシらが何者で、役割が何かを理解した以上、出来る事は世界の潮流に身を任せることだけ……運命を受け入れる時だ」
全てを諦めた天帝の姿に、時間の神は憤りを覚えた。
「他の神々……そして、閻魔達は何も知りません!!! 理由も知らずに消滅を受け入れられる者が一体どこにいますか!? 貴方が秘匿した事で、多くの者が理解することもなく消えるのですよ!!!」
櫓から地上を眺めると、何事かと慌てふためいた神々が次々に外へ出てきていた。皆が目の前の脅威に絶望し、今まで感じたことのない程の恐怖に包まれているのが嫌でも理解できた。
「────知ったとて、マガツヒノカミと同じ運命を辿るのみ……」
マガツヒノカミは天帝との謁見時に世界の秘密を理解し、真実に耐えられず和睦を盗み出した。全ては世界の理から解放されるために。
「それでも、私は……ワシは、諦めることなど出来んッ!!!」
時間の神は櫓から飛び出し、時間の法則を光の壁へと打ち込んだ。神が最も得意とする時間遡行を迫る脅威へ放ち、無かったことにしようと力を込めた。頭の中では閻魔時希がもがき苦しむ姿が何度も再生される。愛弟子のためにも、諦めるわけにはいかない。
「トキィイイイイイイイ!!!!!!」
時間の法則と光の壁が衝突する。その瞬間、時間の神は感覚として理解した。この光には、時間と空間の両方の性質があることを。自身の法則が打ち破られ、瞬きする間もなく光に飲まれる未来を。
時間の神の努力も虚しく、光の壁は彼もろとも神の国を飲み込んだ。光に包まれながら、時間の神の視界には妖しく輝き続ける沈まぬ太陽が映っていた。




