第47話~和睦の使者
僕の手の中で浄瑠璃鏡の発光が止まった。かつての持ち主、閻魔時希に近づいた途端に輝き出した鏡から読み取れたのは、二人の過去。閻魔界を変えるきっかけとなった出来事。
宮殿の広場前の塀の陰から二人を覗くと、閻魔時希が暦の胴体を俱利伽羅で切り裂いた光景が飛び込んできた。反射的に視線を外す。僕が見てきた暦が裏切り者だったと頭で理解しても、現世で彼女と過ごした日々が重くのしかかってくる。まるで呪いのように。
時希の表情が強張った。彼の目の前ではひらりと切断された衣が舞っていた。
「────!?」
時希と同じく、僕もまた宮殿の屋根に釘付けになった。道服を纏った暦が腕を上空に掲げて何かを発動しようとしていた。
「────閻魔界に嵐を起こしましょうか、災厄の神の力で」
暦の言葉に反応したのは僕だけじゃない。時希も同じだった。走り出す時希に追従するように僕もまた、和睦を抜き、塀を乗り越えて彼らの元へ走る。
圧縮された大気は今にも弾け飛ばんと彼女の手の中で暴れている。
間に合わなければ、この場に倒れる五芒星達も無に帰すだろう。
間に合え……間に合ってくれッ!!!
「コヨミィイイイイイイイイイイイ!!!!!」
「レキィイイイイイイイイイイイイ!!!!!」
二人の叫び声が宮殿に木霊し、それをまるで歓声のように浴びた彼女は、満を持して大気を解放した。
☆☆☆
枷の外れた大気の壁が、暦の足元から順に宮殿を粉砕する。バキバキと音を立てて倒壊し始める宮殿。かつては閻魔界の象徴とされた建造物が脆くも崩れ去っていく。
「うぉおおおおおお!!! 不全なる順針の法則ッ!!!」
時希を追っていた薙の視界から彼が消えた。しかし衝撃波と崩れた残骸の雨は衰えることなく周囲へ拡散し続けている。それらは、床に倒れる五芒星達に迫る。
「十全たる空孔拡散の法則ッ!!!」
倒れる人影が隠れられるサイズの虚無を複数展開すると、強く両手を打ち鳴らし、空中で静止する暦の前に空間移動する。
僕達は空中で見つめ合った。まるで、時間の流れが遅くなったと思えるほどに、この瞬間が果てしないものに感じられた。
「────やっと、来たわね」
ニヤリと口角を上げた暦は、左手に大鎌を出現させると、和睦の刃を防いでみせた。
「暦ッ!!! 君の過去を見たッ!!! 僕は見たんだッ!!! どうしてだッ!? どうしてッ!!!!!?」
────どうして、僕を騙したんだ!?
「どうして? せっかく見せてあげたのに、まだ分からないの?」
空中で火花が何度も散った。
「世界記憶は消滅に向かっている……今まさに、この瞬間も!!!」
暦の姿が目の前から消え、背後から声が響いた。振り向くと、彼女は僕に右手を突き出し、その掌では虚無が口を開けていた。
「十全たる太陽信仰の法則」
「閉じろッ!!!」
一瞬発光した暦の掌から虚無が消えた。それでも暦は表情を変えない。まるで地上を這う虫を見るように興味なさげに僕を向いている。
いや、見ているのは、僕よりも後方……地上だ!
地上では倒壊した宮殿から、閻魔時希が誰かを抱えて疾走していた。倒れる五芒星達に目もくれず、抱えた誰かを守るように必死な表情でこの場から離れようとしていた。
「────呆れた」
暦は手に持つ大鎌を構えると彼らを目掛けて一直線に投擲した。高速で回転する大鎌は、空気を切り裂く音と共に二人の胴体を真っ二つにせんと突き進む。
「くっ────!!!」
両手を打ち鳴らし二人の近くに移動すると、向かってくる大鎌を和睦で弾き飛ばした。耳に響く金属音と共に大鎌は宮殿のあった地面に勢いよく突き刺さり停止した。
「どうして? 時希の記憶も見たのでしょう? 彼は貴方を恨んでいたし、貴方に汚名を着せてここを統治したのよ? 普通、貴方達が衝突するのが道理でしょう?」
「はぁ……はぁ……本気で言っているのか、暦!?」
暦はゆっくりと降下しながら不思議そうにこちらを見つめている。
「確かに当時の僕ならそうしたッ! でも今は違うッ!!! 君が言っていた事はデタラメだったッ!!! ならもう時希と敵対する意味はないッ!!! そうだろうッ!!!!!」
背後にいる時希へ呼びかけた。彼は抱きかかえていた鵺の術を解き、その場に足を降ろした。
「────!? 薙……様? 時希……?」
意識の戻った鵺が僕達を見て驚きの表情を浮かべる。
「鵺……すみません……もうここよりも、地獄の方が安全かもしれません……許してくれ……許して……」
震える声で謝罪する時希の顔を鵺は優しく撫でた。
「鵺、あの子も一緒に連れて行ってくれ……頼む」
僕は水月の隣で倒れる人間の魂を指差した。かつてハクを名乗り、僕の理解者となった彼女も、この場から早く退避させたかった。
鵺は静かに頷いた。周囲の様子を見て、只ならぬ事が起きているのだと悟った彼女は素直に僕達の指示を受け入れた。
「行くなら早く行きなさい。私が用があるのはこの二人……最初からこうすれば良かったわ」
腰の倶利伽羅を引き抜いた暦は鵺達が移動するのを静かに見送っていた。鵺は意識がままならないハクの肩を抱き、必死にこの場から離れるべく歩みを進めている。
「────随分と余裕ですね、閻魔暦……」
鵺達の充分距離が離れたことを確認した時希が僕の隣に並ぶ。
「もう貴方達に興味はない……空間と時間の情報をいただくわ」
「やれるものなら────」
「────やってみるがいいッ!!!」
僕と時希は、同時に武器を構えた。
☆☆☆
閻魔界の中央広場にて、両者が睨み合う。周囲では、次第に意識が覚醒し始めていた五芒星達の呻き声が聞こえ始めていた。おそらく、閻魔界各所にて他の閻魔達も目覚め始めている頃だろう。
「本当に残念……閻魔薙は中立性を失うし、閻魔時希は自我に溺れるし、期待した私が馬鹿だった」
暦が水平に倶利伽羅を持ち上げた。彼女の手の中で倶利伽羅の刃が白銀に輝いた。刃の表面からは白い煙が見える。右手に宿す絶対零度の力が倶利伽羅を包み込んでいた。
「身勝手だ……僕こそ、君には失望した」
彼女は初めから僕を利用するつもりだった。その事実に胸が締め付けられる。現世で僕の力を集めるのに協力してくれた彼女が、衝突しながらも燐瞳やアメリアと過ごしていた彼女の日々が、目の前で崩れていく。
「────本当に、残念だよ……暦ッ!!!」
和睦の刃が白く発光する。全てを分離するこの刃で、暦の持つ力全てを分離する。
三人は微動だにしなかった。一歩でも足を踏み出せば、それが開戦の合図となり激しい剣戟が巻き起こることを三人が誰よりも知っていた。うかつに動くことは出来ない。少なくとも、暦の動きを見てから動きたい。
「この世界から輪廻転生の規則を消滅させる……それは決定事項よ」
「そんな事をすれば、君だって消えてなくなるぞ!?」
「閻魔暦……貴女は自分ごと世界を滅ぼすのですか!?」
僕達の問いを、彼女は鼻で笑った。
「消える? 消えるのは、閻魔と神だけ……そのどちらでもない私は消えない」
彼女の俱利伽羅が真下を向いた。
「私こそが────和睦の使者……沈まぬ太陽の遣い」
両者の均衡があっさりと崩された。
暦は、俱利伽羅を地面に突き刺したのだ。彼女の腕から倶利伽羅を通じて地面に伝わる絶対零度が、一直線にこちらへ走り、足場を凍土へ変えた。
「────跳べッ!? 閻魔薙ッ!!!」
空中に避難した僕と時希に、暦は左掌を向ける。掌の中で虚無が口を開く。
「十全たる太陽信仰の法則」
視界を覆うほどの光の衝撃波が放たれた。
────まただ、どうして虚無から?
全能術が衝突する間際、時希を掴んで空間移動しつつ、暦の虚無への入口にアクセスし強制的に入口を閉じる。
「また、聖の技を……」
時希は一直線に飛んでいく全能術に対して時間遡行をしかけ、逆に暦に直撃させる作戦に出た。
「嘗められたものね」
暦もまた両手を合わせて空間移動する。移動先は僕達の背後だと、金剛鈴が言っているッ!!!
「十全たる原子空孔の法則ッ!!!」
「轟け」
暦から放たれた雷を虚無が飲み込んだ。彼女の左手から放たれる青白い電撃は、虚無を経由していない。先ほどまでの虚無を閉じる手は使えない。
「武装解除ッ!!!」
時希の声と共に暦の電撃が止んだ。同時に時希の俱利伽羅が暦へ迫るが、同じく俱利伽羅で防いだ暦は背中に幾何学模様の羽根を展開し僕達よりも上空へ飛んだ。
「災厄の力……それにあれは……ハクの力」
見間違えるはずがなかった。廃校で見たハクの羽根と、今の暦の羽根は全く同じもの。確信したのは、僕の小指からか細い糸が彼女の羽根に繋がったからだ。あれは集合意識の力で間違いない。
「開きなさい」
両手を合わせた暦の目の前に巨大な虚無への入口が出現した。
「閻魔暦は、全ての全能術を使えるのか?」
地面に着地した時希は、同じく着地した僕に質問する。
「いいや、違うッ! 暦は、虚無から聖の術を呼び出している」
十全たる太陽信仰の法則を使う際、必ず虚無の入口から出現していた。つまり、僕の捕らえた聖は虚無の中で全能術を使ったのだ。その位置を割り出して入口を開いているだけなのだ。
「鬼神の掌」
僕らの足元から黒い影の手が複数出現し身体に纏わりついた。両手をガッチリ捕縛されたため虚空が発動できない。
さらに、上空の虚無の入口より手前に、青い粒子が集まり出していた。あの粒子には見覚えがあった。マガツヒノカミが、次元を超える粒子の力と呼称していたものだ。
血の気が引いた。暦は、虚無を盾代わりにして上空から全能術でも防御不可能な一撃を繰り出そうとしている。
「まずい……あれは僕の全能術では防げない」
「なんですってッ!?」
「あれは、虚無の入口を破壊した神の技だ……ただ、あの技はそう簡単に撃てる代物じゃないッ!!!」
依り代を得たマガツヒノカミですら、内燃機関に頼らざるを得なかった技だ。その証拠に、明らかに神よりも発射に時間がかかっている。
「それに虚無を盾として展開している……あれだけ多くの法則を操作しているんだ……そう簡単に撃てるはずがない……圧倒的に熱力学が足りないんだ」
僕の言葉に、時希が何かに気が付いたような顔をした。
「────閻魔暦が虚無を扱えるなら、貴方から空間の情報を奪う意味は無いのでは?」
────確かにそうだ。
元から暦は虚空を扱えていた。記憶の中で、彼女は神の国に留学し多くの法則を身に付けてきた。唯一、時間の法則のみ手に入れる事が出来なかった。ならば、空間の法則は既に彼女の手の中にあると考えるのが道理。
”空間と時間の情報をいただくわ”
さっきの発言には、一体どんな意図があるんだ?
☆☆☆
「閻魔薙ッ!!! この影の手を時間遡行で解きます!!! 解けたらあの技ごと閻魔暦を虚無に叩き込んでくださいッ!!!」
時希の背後に文字盤が出現し反時計回りに長針が回転を始めた。
「間に合うといいわね……間に合うと」
その様子を見ていた暦が嘲笑う。その意味を理解した。既に充填が完了したのか、脈動するように白い球体が発光しているのが見えたからだ。想定よりもずっと早い。むしろ早すぎる。
「なにをした……」
「おしらさまの力よ。私が負うべき足りない熱力学を、糸で繋がった人達に分散、肩代わりしてもらった……そう言えば分かるかしら」
術を発動する熱力学が足りない場合、使用者の魂から生命力が代わりに消費される。シヅキが全能術を使用した時がまさにこれだ。
しかし、もし、使用者の魂が集合意識に接続されていたらどうなるか?
負うべき熱力学を接続された全員で負担する。接続数が多ければ多いほど一人一人の負担が小さく済む上に、熱力学の使用上限が際限なく増える。
周囲で倒れる五芒星に視線を向けた。しかし、その誰にも糸は繋がっていない。
「────まさか……」
「そう、当たりよ薙様……この熱力学は、虚無を経由して現世から供給されている……一体、誰に繋がれているのでしょう?」
脳裏に燐瞳の顔が浮かんだ気がした。
「コヨミィイイイイイイイイイイイ!!!!!」
拘束された全身を解かんと全身全霊で力を込めた。しかし、影の手はより強固に身体に纏わりつき、自由をさらに奪っていく。
怒りが全身を支配していた。この場にいない彼女達に危害が及ぶ事が、何よりも理不尽で納得できなかった。そんなことが許されていいはずがない。許されてたまるものか。
「やめろぉおおおおおお!!! 今すぐ術を解けぇえええええええ!!!!!」
「────悔しかったら現状を打破して、正しさを証明してみなさい」
感情の無い声と共に上空が真っ白に発光した。僕達のカウントダウンのように、時希の文字盤が時を刻み続けていた。




