第42話~閻魔暦②
もし、正気の者が現状を見ていたら、誰もがこう思った事だろう。
”閻魔時希は負けた”
全能術をゼロ距離で受けて無事で済むはずがないのだ。ましてや閻魔相手に全能術を放つのは、現世の言葉を使えばオーバーキルだろう。
これは、時希自身も感じていた。目の前で発せられる青白色の火炎を見て、自身の死を────滅却を理解した。
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宙に描かれた縦一文字の閃光と共に、文字盤が割れた。機械が軋む不快な音を立てながら、割れた文字盤の半身がゆっくりと離れていく。五芒星の面々は空中から強く地面に叩きつけられ、無理やり意識を覚醒させられる。
霧華は仰向けで苦しむ水月達に駆け寄って必死に声をかけ続けている。下から見ていた霧華も何が起きたのかを完全に理解していない。煉獄の炎が時希を捕らえた瞬間、強烈な閃光が発せられた事だけしか分からなかった。
この場で立っているのは、霧華と閻魔時希……そして、
「────ただいま……お久しぶりね、閻魔時希」
桃色の髪の少女────暦が大鎌を携えて時希の後方に立っていた。
凛とした佇まいの彼女を見ていた霧華は、朦朧とする意識に膝をついた。既に存在しない肉体を彷彿とさせる吐き気が彼女を襲う。上空で裂かれた時希の文字盤が風に流されていく。不全術の強制終了がもたらした弊害────意識障害が閻魔界に存在する全生命を襲う。
意識の時間遡行は指定した時間座標まで意識を戻す術。座標に到達する前に強制終了した事で肉体と精神の連結に支障をきたしていた。
地に伏しながら各々の閻魔達が嗚咽を上げる中、相変わらず凛々しく立つ暦は、同じく意識障害に陥っていない時希に一歩近づいた。
「私が顔を出したのが、意外って表情ね?」
「────いいえ、むしろ私は、貴女に会いたがっていましたよ」
そう言ってはいるが、時希の表情は明らかに強張っていた。まるで意図せず猛獣に出くわした人間のように、全身が強張り、その場に釘付けにされている。
そして、時希は絞り出すように暦の名を口にした。
「────次期閻魔王……閻魔王の娘……閻魔暦ッ!!!」
閻魔暦と呼ばれた彼女は、クスッと笑って見せた。
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閻魔界を統べる王────閻魔王の選出は、自我を持つ閻魔の誕生が関わっている。一定の周期で誕生する特異な閻魔に、閻魔王の権利が与えられるのだ。
”中立性のある閻魔では自分の答えを持つことはできない”
かつて時希に時間の神が発した言葉だ。
閻魔王という立場に存在するには、芯のある自分自身の思考が必須。
自我のある閻魔達の中から、最も秀でた存在が現閻魔王の息子又は娘として秘密裏に育てられ、後継者として多くの教育が施される。神の国への留学も、元々はこの制度のために存在している。
そして現閻魔王の娘とされているのが、閻魔暦。死神見習いの暦の正体だった。
「────懐かしいわね……でも、今は暦って呼ばれてるのよ?」
「閻魔薙に……ですか?」
時希の言葉に暦は足を止める。
「私は知っているんですよ? 貴女が、あの男と合流した事を……」
身分を死神と偽り、奪衣の業務に従事し、大河の渡し舟を操り、閻魔界に現れた閻魔薙と共に現世へ渡航した事実を、時希は老婆から聞き出していた。
「かつて貴女は私に言った────閻魔界はお前が管理するべきだと……そう言って、貴女は閻魔王を消し去ったッ!!!」
全身の緊張よりも感情が上回った時希が暦に詰め寄った。
現閻魔王の消失は、権限の移動を意味する。閻魔王から閻魔王の娘へ統治の権限が移り、さらに時希へと閻魔界の統治権は移動したのだ。
「まるで私だけが悪いって言い方ねぇ、時希? 閻魔王がいなくなって、堂々と鵺を捜索していたのは、一体どこの誰だったかしら?」
激昂する時希に、暦は一歩も引かない姿勢を見せた。
「それに、自身の地位を他の閻魔に認めさせるのに、閻魔薙を罪人に仕立て上げておいて、ちょっと虫が良すぎるんじゃない?」
「この世界の秘密を知った私は、もはや貴女の共犯者……だから従わざるを得なかったッ!!! だが────」
そう言って時希は頭に被る冠を地面に叩きつけた。
「────貴女がしようとしているのは、この世界の滅却だッ! 私はただ……ただ……」
空の座礁の阻止は、輪廻転生の機構を破壊する事で完成する。つまりは、閻魔や神から役割は奪われ、存在意義と共に消滅するという事。
「閻魔界の規則を改訂したいだけなのに……かしら?」
時希の言葉の続きを暦が代わりに口にした。暦は、ハッとした表情の時希の顎を軽く撫でる。
「この世界の秘密────空の座礁を知りながらも、ただ鵺を想って規則改訂したいだなんて、本当に失望させてくれるわね」
暦はドンっと時希の胸の中心を押した。軽く押されただけにも関わらず、時希は姿勢を崩し後方に転倒した。
「貴方は二度、私を裏切っている。一度目は、完全な時間停止の世界を実現しない事……二度目は、閻魔王代理の地位を私的利用した事……あまつさえ、マガツヒノカミの世界記憶改訂に肯定的だときたわ……見限るのも当然でしょ?」
完全な時間停止の世界────暦がゼロケルビンの世界と呼称した世界である。
「時間の神は、完全な時間停止の世界を私には教えなかった……あの神は、もしかしたら私の正体に感づいていたのかもしれないわ……だから時希、貴方が代わりに完成させるべきだったのよ」
暦の右腕に冷気が発生し始める。フユカから奪った気象の力を顕現させていた。
「貴方が仕事を全うしていれば、わざわざ地上まで降りて、”絶対零度”を用意する必要はなかった」
気象の力は言霊が手に入らなかった際の保険としての力。結果として暦は言霊を手に入れたものの、それは不完全な力だった。それが不服だと言わんばかりに、バチバチと弾ける冷気を纏った右腕で時希の腕を掴んだ。
時希の魂に激痛が走り、彼は思わず声を上げる。それでも、目の前の女を許してなるものかと、強く暦の顔を睨み続けた。
「やはり……貴女は異端……それも、私とは異なる方向でッ! 一体どれだけの異能をその魂に内包しているッ!?」
暦の持つ能力は、時希の目から見ても明らかに魂の容量を超えていた。そして、最大の根拠となったのが、先ほどの文字盤破壊である。
「さっきのは……聖の……全能術だろうッ!!!」
閻魔聖は、閻魔時希の前任だった五芒星。当然ながら、時希も彼の存在と全能術については引き継ぎの際に聞かされていた。
────太陽信仰の権化にして、災厄の神を信仰し閻魔界を裏切った閻魔だと。
文字盤を割ったのは、十全たる太陽信仰の法則。その光線だと時希は確信していた。
「どこで……その力を得たッ!?」
激痛によって時希の全身に稲妻が走った。魂の損傷率が時希の鬼籍に数値で表示され始める。それでも時希は暦に詰め寄った。
「答えるつもりがないのならッ!?」
空中の壊れた文字盤とは別に、時希の背中に文字盤が出現する。不全なる順針の法則による高速移動の余波で暦の掴む腕を振り切り、彼女の背後を取った時希は、倶利伽羅に手をかけた。
閻魔に貸与される倶利伽羅は不動明王が持つ剣がそのまま使用され、閻魔が柄を握る事で、命を奪う剣から罪を洗い流す剣へ性質が変化する。
では、倶利伽羅に時間遡行を行った場合、どうなるだろうか?
罪を洗い流す剣から、命を奪う剣へと性質が変化する。
もちろん、時希はそれを知っている。彼の握る剣の刃は、無慈悲に魂を滅却する道具へと成り果てていた。
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答えないのならば、その場で滅却する。
それが時希の答え。暦を見つけ次第に消す。これは決定事項だと言わんばかりに、躊躇なく剣を振り下ろした。
「────紡ぎなさい、おしらさま」
暦の頭上に出現した無数の糸が織り成す薄い膜の上で剣は止まった。接地面では、滅却の力がバチバチと音を鳴らしている。
大罪の名を持つ男────ニコラス・クラウンを彷彿とさせる詠唱の元、意識を統合する糸が出現し彼女を守った。
「既に集合意識は私と共にある」
この力は、暦が現世を発つ前におしらさまから複製した力。今までの様に吸収しなかったのは、おしらさまには現世の魂達を統合する役割が残っているからだ。
だがそんな事実を知らない時希は、現状を理解出来ずに固まっている。
「せめて浄瑠璃鏡を使って戦況を読むくらいはしてほしいものね……最も、持っていればの話だけど」
暦の右掌上で虚無が口を開けた。
「十全たる太陽信仰の法則」
虚無の入口から全てを無に帰す銃砲が放たれた。
光の面が剣を持つ時希に迫る。その距離は正に眼前。奥歯を強く噛み締めた時希は文字盤を輝かせた。直視出来ないほどの発光を見せた文字盤だが、注目すべきはそこではなかった。
十全たる太陽信仰の法則の移動速度が極端に下がり、空中で停止した様に見えた。時希が真横に跳ぶと、光線は速度を取り戻し、後方の宮殿の一部を完膚なきまでに破壊した。衝撃波と土煙が周囲を襲い、暦は手で自身の口を抑える。
土煙が周囲に拡散すると、パラパラと舞い散る瓦礫の中で、肩で息をする時希が見えた。
「不全なる順針の法則には、こういう使い方もある……」
順針が司るのは、時間の加減速。対象の移動速度を加速させるだけではなく、その逆もまた可能なのだと、証明してみせた。そして同時に、暦の移動速度を最低まで落とした。
再び光線を放とうと右手を突きだそうとする暦だが、その動きは動画のコマ滑りのようにぎこちなく、右手が完全に開き切る前に時希の一撃が暦の胴体を捉え、傷口からは、これまたゆっくりと電流が全身に広がっていった。
「────時の流れに溺れろッ!!!」
パチンッ! と指を鳴らすと、術が解除され、一気に電流が暦の全身を駆け巡った。さらに、時の潮流が元に戻った影響で斬撃の衝撃が何倍にも膨れ上がったためか、その身体は激しく後方へ弾き飛ばされた。
暦の身体が数十メートル先に建つ宮殿の柱に強く打ち付けられた。足元に大鎌が落ちる音が響く。
「不全なる逆針の法則ッ!!!」
脱力する暦の身体が無理やり起き上がり、先ほどまで自身が立っていた座標まで急速に引き寄せられる。暦の空間座標に対する時間遡行。空中を舞う暦の到達地点で、時希は水平に剣を構える。
「このまま、消え失せろぉおおおおおおおおおお!!!!!!」
一気に前進する時希を見つめた暦は、吐息と共に言葉を漏らした。誰にも聞こえる事のないであろう囁き声で、こう言った。
「消えないわ……少なくとも今は……」
迫る暦に狙いを定め、剣を横一文字に振り払った。ずっしりと重さを感じながら、暦の胴体を上下に切断する時希の目に映ったのは、ひらひらと宙を舞う白装束の切れ端だった。
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宮殿の屋根に設置されている閻魔の冠をモチーフにしたオブジェの頂点に、彼女は立っていた。先ほどまで、空間座標の時間遡行によって身動き一つ取ることの出来なかったはずの暦が、悠々と時希を見下していた。
その身に傷跡は存在せず、代わりに五芒星と同じ道服を纏った姿で君臨していた。
この姿こそ、閻魔暦の本来の姿である。桃色の髪の上に祀られた冠、首から下がる浄瑠璃鏡、幾何学模様の浮き上がった青白色の道服、腰には太刀の形をした倶利伽羅が見える。
時希が斬り捨てたのは、仮初の衣。死神見習いとしての衣。
それよりも時希を驚愕させたのは、あれだけの攻撃を受けたはずの閻魔暦からは、生命力の減少が確認されなかった事だろう。
閻魔暦は、無言のまま両手を合わせた。まるで何かに感謝するように合わせられた両の掌。浄の手と不浄の手。異なる概念の衝突が、術を発動させる引き金となる。
彼女の頭上に突如出現する半透明の巨大な球体。風切音と共に浮かぶ不気味な球体は、圧縮された大気で間違いないだろう。だが、閻魔界に大気なんてものは存在しない。
「────閻魔界に嵐を起こしましょうか、災厄の神の力で」
術名に時希の顔が引きつった。目の前の女は、神の知識すら手中に収めているとでも言うのか。
彼女は、この場の全てを災厄に飲み込むつもりなのだと、察するのに時間はかからなかった。自然と目線が宮殿の奥に向く。
宮殿内には、鵺がいるのだ。広場で倒れる五芒星よりも、時希が優先するのは彼女の安否。
それを見越して、閻魔暦は大技を出した。
時希の後方で、何かが輝いた。その光を見た閻魔暦は密かに笑みを浮かべ、標的である宮殿目掛けて大気の塊を叩き込んだ。




