第41話~閻魔暦①
ついに最終章
薙の視界に映ったのは、見知らぬ故郷だった。
遠くに見える遠くにそびえ立つ城壁は閻魔界を囲う壁だろう。そして、目の前に広がる大河は現世と閻魔界を隔てる境界線。水の流れる心地よい音が流れている。
────僕は今、閻魔界へ帰ってきた。
気が付けば、自身を照らす西の妖星へ視線を向けていた。沈まぬ太陽────閻魔達から絶対不可侵領域として崇められている存在と、手元の和睦を同一視していた。誰の仕業か、薙は、和睦を持ってこの世界へ移動したのだ。
静かに和睦を鞘へと納めた。カチンと音を鳴らした瞬間、薙の姿が閻魔から少年の姿へと変化する。ここは閻魔界────衣は必要ないのだが、今の薙の思考はそこまで届いていない。
「何が起きたんだ……蓮華さんの所に戻らないといけないのに」
薙は左手に持つ和睦を見た。天帝様へ返還する予定ではあるが、未だ燐瞳からその承諾を得ていない。得たのは、和睦の使用権だけ。その確認が取れないままに閻魔界へ来てしまった罪悪感に、薙の心は締め付けられた。
☆☆☆
轟音が遠くから響いた。方角は、閻魔界のある城壁の奥からだ。
「は、早く離れるんだ!!!」
「離れるってどこへ行くんだ!?」
大声を出しながらこちらに近づいてくる大勢の鬼達が見えた。着用する警備服は乱れ、所々に焼け焦げた様な跡が見える。彼らは閻魔界から遠ざかる様に時々後ろを見ながら走ってくる。
「────!? お前も早く逃げろ! 五芒星が反乱を起こした!!! 全能術に巻き込まれるぞ!?」
最前列を走る鬼の一人が薙を発見すると、警告を発した。そして、そのまま薙を小脇に抱えて再度走り出す。今の薙の姿が人間と同じだったために昇ってきた一介の魂だと誤認したのだろう。
「おい! 現世に逃げよう!」
後方で他の鬼が叫んだ。以前逃げた罪人の様に現世へ続く大穴に飛び込もうと顔を恐怖に染めた鬼が言ったのだ。鬼達も命の危機に冷静さを失っていた。何の準備も無しに現世へと渡れば何が起こるかを、彼等は知らないのだ。
薙は何とか拘束を解こうと藻掻くが、抱える鬼がガッチリと脇を締めている影響で身動きが取れない。そのうえ、他の鬼達の声にかき消され、声が聞き入れられる事もない。
再度轟音が鳴り響いた。見えたのは、崩れ落ちた外壁と、天を衝く巨大な火柱。
「あれは煉獄の炎? まさか琰器か!?」
続いて、潮流と黒煙が樹木と共に火柱の周囲を囲む様に伸びていく。
「水月、暗鬼さん……それに、然樹!」
ビリビリと周囲の空間から薙へ振動が伝わってくる。それらがかつての同僚、後輩の力だと実感した薙は、足をバタつかせながら自身を抱える鬼に向かって叫んだ。
「何が起きている!? 閻魔界で全能術を放つなんて、前代未聞だ! 神々の襲撃でもあったのか!?」
「うるさい! 時希様と他の五芒星が突然ドンパチ始めやがったんだ! 俺達は知らないんだよッ!!!」
腹の内に響く鐘の音が響いた。見ると、全能術が先ほどまでの勢いを失ったまま空中で静止していた。その先には、巨大な時計の文字盤が出現している。
「あれが、時希の全能術……」
文字盤の長針と短針は、十時十分を指していた。長針が軋みながら反時計回りに回転を始めた。
「うわぁああああああ!!!!!」
鬼達が一斉に叫び始め、薙は地面に放り出された。
「────大丈夫ですか!?」
立ち上がって彼らに視線を向けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
鬼達はその場に倒れ、頭を抑えつつ、のた打ち回っていた。だが、絶叫が突然止まったかと思うと、全員がゆっくりと立ち上がって元居た閻魔界向けて歩みを進め始めた。
閻魔界を見ると、いまだに文字盤は現れ続けている。しかし、他の全能術は忽然と姿を消していた。火柱も潮流も見当たらない。
「あの!? どこに行くんですか!?」
話しかけても鬼達は反応しない。ただただ元来た道を引き返していくだけだ。
薙は強く和睦の柄を握り、刀身を鞘から抜き去ろうとした。和睦なら、彼らを正常に戻せると思っての行動だった。
和睦の鯉口を切った瞬間、視界の端から文字盤を中心に空間が吸い寄せられていく様な感覚が薙を襲った。身体の力が抜け、意識が勝手に遡行を始める。元の座標へ、何が何でも戻らなければならないという衝動が身体の奥底から溢れ始めた。咄嗟に和睦を鞘に戻すと、この現象もピタリと止まった。
────危なかった。遅れていたら、自分の意志では止められなかった。
背中に悪寒を感じつつ、その場に薙は座り込んだ。
もし、これらの現象が薙だけに影響していないのなら、それは和睦の絶対不可侵の力があるからだ。つまり、少しでも和睦を引き抜けば、薙自身も怪現象を体験する事になる。
☆☆☆
少し経った後、薙は立ち上がった。空中の文字盤は依然健在なものの、鬼達も姿を消していた。いま視界に映るのは、遠くに見える崩れた城壁。閻魔界の方角から聞こえていた轟音は止んでいた。
「閻魔界に向かうべきか────地上へ戻るべきか……」
閻魔界と逆の方向を眺めた。視認できないが、この先に地上へ繋がる大穴があるはずだ。行きの際は索敵を気にして大河を利用して移動したが、今回は虚空で跳んでいく事が出来る。
ゆっくりと和睦を引き抜き閻魔の姿へ変化する。身体への異常は見られない。移動するなら今がチャンスだと、その場で両手を打ち鳴らした。
☆☆☆
「────────は?」
目の前の光景に唖然となり、何とか出てきた言葉は間の抜けた一言だった。
大穴があった場所────鬼達が監視していた囲いは無残にも崩され、所々で柱に押しつぶされたであろう鬼達の残骸が散らばっていた。そして、本命の大穴は巨大な岩々によって塞がれ、どこまでも続いていそうだった空洞が見えないほどに埋められていたのだった。
「な、なんで……一体何がどうなって?」
現世へ繋がる唯一の出入口が潰された。それは、地上から閻魔界へ昇る魂達にも甚大な影響がある事を意味していた。現世の理から逃れるため、魂達は本能的にこの入口を目指す。しかし、現状こちらに昇る事が出来ない。
自身が分解されるまで、あの苦痛に晒され続けるのは地獄よりも酷だろう。
「一体いつからなんだ……僕が裁いた人々は、昇って来れたのか?」
脳裏に浮かぶのは鵺やハク達の面々。もし、彼女達が今も現世と閻魔界の狭間で彷徨っていたならと嫌な想像が膨らみ続けている。
パァンッ! と両手を打ち鳴らし、岩々を退けようと虚空を放った。しかし、虚空は不発に終わる。何度繰り返しても、目の前の巨大な岩石は微動だにしない。
動かないのは当然だった。薙の虚空は、座標計算によって物体を移動させている。現世へと繋がる大穴は、異なる次元を繋いでいる特異点。薙は特異点座標の情報を一切持っていない。故に大穴に干渉する空間移動は発動できないのである。
どこにも属さない虚無の情報は持っているにも関わらず、別次元を繋げる特異点の情報を持っていないというのは皮肉なことだ。
────歪んだ空間に関する情報を持たない僕じゃあ、何もできない……
ぱたりと音は止んだ。項垂れた薙は怒りに任せて和睦の切っ先を岩石に突き立てた。それが無駄だとしても、自身の無力さを何かにぶつけなければ耐えられなかった。
強い衝撃と共に身体が後方へ弾かれた。和睦を以てしても、目の前の問題を解決できない。
「ならば虚無ならどうだッ!!!」
右手を突き出し、虚無への入口────十全たる原子空孔の法則を放つも、黒い入口が大穴に近づいた瞬間、弾け飛び消えた。
特異点は、薙の持つ世界の法則すら拒絶した。如何なる法則も、大穴という特異点を書き換えることは不可能だと言っているようだった。それは、絶対不可侵領域の法則を彷彿とさせた。まるで、さらに上位の法則によって保護されているように、悠然と大穴の蓋と化した岩石は存在を続けている。
退路を断たれ、現世にいる仲間達との連絡手段すら無い薙が取れる行動は、ただ一つだった。
ふと見上げた上空では、巨大な文字盤が二つに割れ、空中を漂うばかりであった。
☆☆☆
薙が行動を開始する少し前の閻魔界。
五芒星の反逆────閻魔王への謁見を果たそうとした四人の閻魔は、宮殿入口前の広場で閻魔王代理と衝突。今に至る。
閻魔王の居城の入口で、四つの声が重なった。その全てが全能術を詠唱していた。渦巻く火炎、濁流の如く押し寄せる深淵の闇、しなる樹木の根と巨大な渦潮が閻魔時希目掛けて放たれた。全能術同士が衝突しながら進むことで周囲に轟音が発生していた。
四つの全能術が持つ力は凄まじく、天を衝く術の余波で閻魔界の外壁の一部が崩れ落ちた。
「────武装解除」
パチンと指が鳴った瞬間、全ての術がかき消された。その事象に四人の閻魔達が唖然としていると、閻魔時希は腰の倶利伽羅の鯉口を切った。
「俺の炎は消えぬッ!!! 俺を騙した罪を清算しろッ!!!」
腕を突き出し火炎を放とうとする琰器。だがその動作に合わせて時希は指を鳴らす。
「時間を戻しているのか!? ならこれはどうだ!!!」
暗鬼は地面を殴ると、正気を削ぐ深淵の闇を時希の足元に発生させた。しかし乾いた音と共に闇は地面へ戻っていく。さらに時希の姿が消え、気が付けば彼らの後ろにその姿はあった。
「反逆の罪を私が裁こう」
時希の背後に煌々と輝く文字盤が出現した。文字盤はギリシャ数字があしらわれ、長針と短針が十時十分を指し示す。
「────不全なる逆針の法則」
文字盤が巨大化し、空中に展開された。
「────範囲、対象を確認……これより時間遡行に入る」
範囲は閻魔界とその近郊。対象は魂────即ち、意識の時間遡行。
時希の時間遡行は、任意の対象に作用する。意識の時間遡行は、彼の得意分野だった。
文字盤の長針が、ゆっくりと軋みながら逆回転を始める。一周、また一周と回数を重ねる毎に、文字盤から青白い波動が周囲へと拡散し、波動がその場にいた全員の表面を撫でた。
五芒星の面々は、波動に身構えていたが、触れた波動は熱くも冷たくもなく、また触れたという感覚すら認識できない。初めて見る時希の術に、大勢が固まる中で、然樹が時希に向かって駆けだした。手元では、必死に倶利伽羅を抜こうとしている。
「簡易裁判を開くと言って!!!」
「裁判の体裁を整えれば抜けますッ!」
後方で水月が叫んだ。隣で霧華も強く頷く。
「時希ッ! お前の裁判を始めるッ! 今、ここでだッ!!!」
倶利伽羅を拘束する見えない力が消え、然樹は全力で抜刀した。その斬撃は彼から放たれる木の葉と共に文字盤を操作する時希へと迫る。
時希の眼前に斬撃が迫る────
「────不全なる順針の法則」
時希が消えた。然樹の放った斬撃は、先ほどまで時希が居た座標を通り、遠くへ飛んでいく。然樹は即座に上を向いた。はるか上空、巨大化した文字盤の元に時希の姿はあった。
「すべてを忘れろ!」
時希の掛け声に呼応する様に、波動を浴びた全員の意識が文字盤に集中を始める。全身の力が抜けていくため、然樹はガクンと姿勢を崩した。視界の端に、同様に座り込み頭を抱える五芒星達が見えた。
「ぐ……うぉおおおおおお!!!」
強く地面を叩くと、床を破壊して樹木が生える。幹に乗っている然樹はそのまま勢いよく上空の時希に近づいていく。然樹の意図を読んだ水月は、水の糸を樹木に引っ掛け、暗鬼と琰器に括り付け同様に空中に舞った。
上空から五芒星の行動を見ていた時希は、少々驚いたようで怪訝な表情を浮かべた。しかしすぐに平静を取り戻す。然樹の到着よりも、時間遡行の方が早いのだ。彼が到着する頃には、既に夢から覚めた時のような混沌が待っている。
「十全たる……激流の法則ッ!!!」
大樹の幹を柱にして激流が回転しながら登っていく。その流れに乗り換えた琰器は樹木を飛び越え、時希の隣まで飛翔した。
「────!?」
意外な行動の連続に、思考が一瞬停止した。文字盤の逆回転は続いている。意識の時間遡行の中でここまでやられたのは、”今回”が初めてだった。
「今や夢現のはずだ……自分が何のためにこの場にいるかを理解出来ていないでしょう!?」
時希の言葉は正しかった。まだ完全とはいかないが、既に琰器の記憶は水月達を大河で発見した頃まで戻っている。
「閻魔王! 全能術の使用許可を申請するッ!!!」
そう、全能術を放つ直前まで────
「────十全たる煉獄の法則ッ!!!!!」
中途覚醒時の小さな錯乱が引き起こした奇跡が、時希へ一矢報いる結果を生んだ。




