舞台上の役者
天音に伝えられた場所に向かった俺たち、一目見ただけでは違和感を感じない普通の山奥といった光景は、だからこそ違和感を感じ取ることができた。
「ここが神域と呼ばれる領域だったからこそ、だな」
「うむ、実際にそういう力が行使されているかどうかはさておき、確かにこの領域特有の空気が存在しない」
「極々普通の山奥だもんな、この辺りは」
違和感があることが当然の場所で、違和感を感じないのであればそれはつまりそういうことなのだろう。
「仕事が雑と考えるべきか―」
「むしろ気が付かせるために、わざと偽装を失敗して見せているのか」
「できないなりに頑張った結果……いや、さすがにこれはないな」
この事態に対して、俺たちはそれぞれ軽く感想代わりに推測した要因を口にする。無論その全てが正しいはずはないだろう。当たっていたとしてもどれかだけ、暴離夜供という存在のことを考えれば、失敗して見せていると判断した紫苑のソレが一番らしいだろうか。
どちらにせよ、俺たちが確かめる術は無く、確かめる意味もないのだから気にするだけ時間の無駄ではあるが。
「……先に言っておくが、狐龍は危ないと思ったら直ぐに逃げていいからな」
敵陣のど真ん中への突入、紫苑のように絡繰がなくとも無双の力を発揮できるわけでもなければ、俺のようにそれをしなければならない理由があるわけでもない。そんな狐龍への生存のための指示。
彼女が足手まといだというつもりはない。正直なところ、覚悟だ決意だといった心の面で俺は彼女に勝っている気はない。現場を知っているから多少慣れているだけで、ずっとずっとその準備をしていた彼女の方が優れているはずだ。そして俺はただの凡人だ、彼女より身体能力の面で勝っているのだとすれば、それはただ単にオレが大人だとか、男と女の筋肉の付き方だとか、その程度の話にすぎない。
訓練をし始めたのは叢雲を与えられた後だ、戦う決意をしたのだって後の話だ。戦えるのは叢雲のおかげ、ここにいられるのは叢雲があるからだ。
「まったく、それはこちらの台詞だぞ? 龍牙」
だからこそ、俺の心の底を見ているかのように、じっとこちらを見つめる彼女の言葉に俺は拳を強く握りしめた。
「わらわは元々妖と戦うこと前提に育ってきた、それにわらわは不満なぞ感じてはおらんし、たとえ何度生まれ変わろうとも、その選択を肯定していると断言できる。だがお主は違うであろう? 本当はやらなくてもいいことなのだぞ?」
あぁ、そうだこんなことをしている人間ではない。場違いの役者が、ずっとスポットライトを浴びているに過ぎない。
理想の英雄という光は遥か彼方で輝き続ける。目指すべき場所が分かっているのはいい、だけれどもそれが無限にも等しい距離が離れてしまっていることを、それはもうずっと自覚している。
幸運にも勝てていただけだ、奇跡的にそう言う風に見せられただけだ。
だけど―。
「俺がやるって決めたんだ、俺がやりたいと決めたんだ」
幕が上がった舞台の上に立った以上、それを途中でやめるなど観客は認めないだろう。
どれほどに出来の悪い演技だとしても、それでもやり通さなければ他の役者の努力を無に帰してしまう。
理想に手が届くことがなくとも、それでも努力することを愚かな行為だと言いたくはない。幕が上がった最初は押し付けられた役だったとしても、今の俺はやりたいからやっているんだ。
「だから、俺は大丈夫だよ」
俺の言葉を受けて、狐龍はじっとこちらを見つめてくる。
「……紫苑よ、"龍牙"はずっとこうなのか?」
まるで何かおかしなものを見るような顔で、確かに彼女は俺を指さして、紫苑にそう問いかけた。
「あぁ、だがだからこそ、私は彼を選んだんだ」
俺の自覚していない異常性を、紫苑は把握しているようで、だからこそ俺は選ばれたのだと口にした。
俺には理解できないが、大事なのは理解できるかどうかではない。
「紫苑、それは何かまずいのか?」
良いことなのか悪いことなのか、それともどちらでもないどうでもいいことなのか。異常だからと言って、それが悪いことであるかどうかは別問題である。
異常に頭がいいといったような、過剰なまでの長所にも異常という言葉は使うのだから。
「……まずくはない、少なくともそれで誰かが死ぬようなことはない」
「……まぁ、それはそうであろうな。死ぬとしたら、お主がそうであるかは関係なく死ぬときは死ぬという話じゃろうて」
ならば気にする必要はないだろう。多様性万歳、などとそれっぽいらしいことを言うつもりはないが、迷惑をかけないことならば、どうということはない筈だ。
他者を不快にするならばその時に直せばいいのだから。
「……まぁ、気にしなくてもいいことであろう、分かるものだけが分かる話。分からん者にとっては気にもならんだろうしな」
狐龍がそうつぶやくと共に、隠されている入り口を簡単に見つける。
それはちょっとした縦穴。村の時とは違って階段すらないのは、自然の中に隠しているが故の隠ぺいか、それともそもそも必要ないからか。
どちらにせよ、下に下に降りて行く形のソレを見て、どう降りようかと少し首をひねっていれば―。
「では、わらわは先に降りておるぞ」
狐龍はひょいと軽く跳んだかと思えば、重力に従って暗闇の中に消えて行った。
結論から言えば、穴の中に落ちて行った。
「……いや、ちょっと何やってんだお前!?」
先が見えない暗闇。ということはつまり、地上から届く光がそこまで届かないこと、そしてそれは凄まじく深い穴であることを意味する。そんな穴を、まるで階段を1段飛ばしでもするようなノリでひょいと落ちて行ったのだ。
どう考えても、底に着いた頃には良くて両足の骨折、下手しなくても死ぬような行動だ。
俺の困惑は当然で、まるで当然の様に穴の中を落下して見せた狐龍、そして―。
「龍牙は、ゆっくり来たらいい。私が狐龍の安全と、底の簡単な確認だけ済ませておく」
などと、まるで当然のことのように同じことをした紫苑の方が、絶対に何かがおかしいと思う。
2人が何か俺の異常性がどうたらと言ってくれていたが、胸を張って二人の方がおかしいのだと断言できる。……まぁ、それで俺が困ったわけではないのだから、二人に直接どうこう言うつもりはないのだが。
自分のおかしなところには、自分では気が付けないということなのだろうか? 少し頭をひねって考えて、それでも分からなかったから考えるのをやめた。
「……はぁ、しっかしこれどうやって降りるかね」
紫苑にはゆっくりでいいと言われたとはいえ、深い深い縦穴をどうやって降りようかと思考を切り替える。下に着くだけであれば、先ほどの二人のようにひょいと飛び降りれば解決する。しかし当然そんなことをすれば俺の体がぐっちゃぐちゃになるだろう。
だからこそ、安全に降りる方法を模索するも、ロープや梯子があるわけもなしでどうしようもない。ロッククライミングの要領で降りるというのも考えはしたものの、そもそも俺の体力が持つかどうかが心配だし、暗い闇の中でちゃんと掴めるかというと、これまた疑問を呈する。
異世界転生しようが、伝説の英雄の後継者になろうが、俺のスペックが変化するわけでもなければ、とんでもない才能が目覚めるわけでもない。
できることはできるが、できないことはできない、至極当たり前のことを俺は強く実感した。
「叢雲で穴をこじ開ける……、先に下に降りた二人が生き埋めになる可能性が高いな―」
……そうして、1人思考の海を深く深く潜って、周りのことを認識できないほどに考えこんでいた矢先に。
「よぉ」
ふと、こちらに声をかけてくる男の声が聞こえてきた。俺の記憶している限り、この場でそんな軽い感じで声をかけてくる奴などいない。その事実に気が付けば咄嗟に、刀を抜いて声の方に刃先を向け―。
「おせぇ」
ようとして、刃が掴まれたことに気が付いた。1ミリはおろか、コンマ以下すら動かせない。それほどの力が込められているというのにもかかわらず、奴の手からは血がしたたり落ちることはない、皮膚が異常なほどに頑丈であることを理解させられる。
「殺しに来たぞ」
あぁ、だからこそだ。奴のこの言葉を聞いて、ようやく顔を見ることができた。本当に周りを見ていない、それはもうダメな奴だと自責の念すら抱くほどだ。
それもよりにもよって―。
「差吊苦っ!!」
殺意の化身の襲撃に合っているという事実に、今までで一番の命の危機を感じさせられた。




