この世は夢のごとく
狐龍の罵声に対し怒りを覚えて現れた妖。
その姿は―。
「ほう、わらわの言った通りちびでデブでハゲ、見るに堪えんブサイクで、もはや服を着ない方がましな有様とはな!!」
そう彼女は告げたものの。
「狐龍、正気で言っているのか?」
俺にはそうは見えなかった。
そもそもの話として、人間に近い容姿ではないのだから。
「いや、ハゲというかフサフサ……っていうか、全身毛むくじゃらだろ、しかもデカい―」
ブサイクというよりかは、愛嬌のある顔というか―。
「というか、こいつは猫だろ!? しかもバカでかい!!」
猫、正確には化け猫の類だろう。
そりゃまぁ2足歩行をしていて、天井に頭こすりつけているような奴は、猫としてみれば規格外に大きいだろう。
「猫!? 龍牙貴様これが猫に見えるのか!? というか、デカい!? わらわの腰より少し大きいくらいだぞ!?」
だが少なくとも、ネコ科の獣って感じの姿をしているのは間違いない。
狐龍がよっぽどの箱入り娘で、猫を見たことがないという可能性もないとは言い切れないが、そのレベルで常識がないとするほど、彼女は決して子供ではない。
「……本当に、あいつが狐龍にはそれほどに小さく見えるんだな?」
「ということは、お主にはそうは見えていないということか」
つまり、俺と狐龍には同じものが全く別の姿に見えているということ。
視覚情報が正しくない、というのは経験済みだが個々人によって違うとなると話が変わってくる。
前回は俺と紫苑で大きな違いはなかった。だが今回は全く違うものが見えている。つまり、視覚情報が一致しなくても問題ないということであり、視覚情報が一致しないからこそ良いということ。
「……狐龍、どれだけ今の状況がまずいか分かってるよな」
「うむ、見えている何もかもが信用できんということじゃな?」
人によって同じモノ見ていて、人によって見えている姿が違っている。
そりゃあまぁ、個々人のセンスだったり感じ方は異なるだろう。だが、少なくとも視覚障害でもない限りは、ほぼ同じように見えるはずだ。
赤色は赤く見えるし、大きいモノは大きく見える。至極当たり前の話が成立していないのならば、世界がおかしいのか、俺たちがおかしいのかのどちらかだ。
「……俺たちが幻覚にかけられている―」
「ぎゃはははは、こいつは傑作だ」
しかし、現れたはいいが見ているだけだった妖が、けたけたと笑い始める。
俺たちの様子がそれほどまでにおかしいのか、馬鹿にするようにじっと見つめてくる。
「これほどまでに見当はずれなことを言う、阿呆が二人笑わずにはいられるか」
幻覚という予測すらも間違いで、俺たちが見ている者が正しいのか?
奴が正しいことを言っている証拠もないままに、ニタニタと笑う顔をじっと見つめ返してやる。
「……陰陽寮、壊してもいいな? 狐龍!」
そこにいるというのなら、その場所全てを破壊しつくせばそれで倒せるはずだ。
ざっと見て3m程の高さしかない奴に、30mの巨大絡繰叢雲で挑もうというのは、なんともヒーローらしからぬ選択だが、背に腹には代えられない。
「よぉし、わらわも生で見られるとなれば血潮が猛るわ!! 全力でやってしまえい!」
狐龍の許可を取れば、俺は右手を天高く掲げる。
「絡繰武勝! いざ出陣!!」
いつも通りの叫びをあげて、叢雲が現れ乗り込もうとし―。
「何も起きないだと!?」
現れない。
いつもならば、どのような場所であっても現れるはずの叢雲が現れない。
その事実が俺の足を震わせる。
「りゅ、龍牙?」
不安そうな顔でこちらを見てくる狐龍、しかし彼女にやさしくしてやれるほど今の俺に余裕はない。
叢雲がなければ俺は英雄ではない。
少なくとも俺は現実としてそう認識している。
それは俺が凡人だからだ、一般人だからだ。
ヒーローをやろうという思いがあっても、行動をするための力がなければヒーローをやることはできない。
叢雲、というよりもスーパーロボットはそのための力だ。
……子どもが大人に勝てる可能性はそこに在る。
正しく使おうという意思があれば、誰だってヒーローになれる力だ。
逆に言えばスーパーロボットがなければ、選ばれた人間しかヒーローはやれない。
そして残念ながら―。
「俺は選ばれなかった人間だ」
「龍牙?」
俺に才能はない、転生者などと言う肩書はあるがただの凡人だ。
勇気はあるのか? 残念ながらありはしない。
勝利への希望はあるのか? 勝てるわけがないだろう。
冷静に考えれば分かることだ。変身ヒーローもので、ただのモブが怪獣だ怪人だといった化け物に勝てるわけがない。よくて、1発2発殴って返り討ちが関の山。
勝てない相手に対して立ち向かうことは勇気ではない。
それが何かを守るためだとか、時間を稼ぐというのならば勇気になるかもしれないが、今の俺はそんなものはない。
ここに守る相手はいなくて、時間を稼いでも勝てないのだから意味もない。
だから、俺の足は折れ、膝が地に落ちようとして―。
「であれば、選ばれしものであるわらわが頑張る番だな」
ひょいと、俺の背中が軽くなった。
その事実と共に、俺の前に人影があるのに気が付いた。
いや、そう言う言い方は適切ではないだろう。何せ俺がずっと背負っていた彼女の姿だ。
確かに知っている少女の姿だ。
「小娘、先に死にたいか」
妖がにたにた笑いながら、狐龍に近づいて行く。
だが俺は彼女を救えない、救えるだけの力を持っていない。
「はっ、笑わせるな」
ほんの一瞬で、妖は狐龍を殺せるのだろう。1人の少女の命を断てるのだろう。
力は合っても使えない子どもなど、奴からすれば脅威ではなくただの餌にすぎないのだろう。
それでも―。
「貴様如きに殺されるほどわらわは弱くはない」
彼女の声に怯えはない。
「ヘタレの不細工に恐怖するほど弱くない」
恐れは彼らも感じられない、演技をしているわけでは決してない。
「貴様ぁぁぁ!!」
その事実が奴の逆鱗に触れたのだろう。天高くその腕を掲げて、狐龍に向かって振り下ろして―。
「ぎにゃぁぁぁぁ!?」
奴の腕が宙を舞った。
「ふっ、やはりお前は英雄ではないか」
右手にあるはずの紋章はそこにはない。だけどそれが何だというのか、目の前で子供が殺されようとして戦えない奴が、英雄をやっていたなどというのはそれこそ笑えない冗談だ。
勝てない、届かない、それが何だというのか。
目に見えるモノが正しくない、それがどうしたというのか。
「子ども犠牲にして、それでひーこら逃げるような格好悪い奴でいられないだけだ」
腰に差していた新しい刀が確かに奴の腕を割いた。
いつもならできないようなことも、確かにできたのだ。
「な、なぜだっ!?」
奴が驚きを隠せないようで、確かに俺に問いかける。
「貴様は怯え、竦み、戦う意思を失っていたはずだ!!」
それは確かに一つの事実だ。
叢雲を呼べなかった俺は、確かにあの時戦士ではなかったのだろう。
決して戦う人間ではなかったはずだ。
「さっきも言っただろ、子ども見捨てて格好悪いところを見せていられるほど、俺は人間腐ってないんだ」
それにそもそも―。
「子どもの声援を受けたり、子どもが応援してくれたヒーローは無敵なんだよ、お前みたいな三下が敵う理由は1つもねぇんだ!」
古今東西、俺の魂に刻まれた最大の事実。
この世の心理とでも言うべきそれを叩きつけてやりながら、抜いた刀を妖に向けて襲い掛かる。
段々と奴が何なのか見えてきた。
ここが何なのかも見えてきた。
「幻覚じゃあない、ここはお前が作った世界。だから叢雲はやってこれなかった、陰陽師が1人もいないのは邪魔される可能性があったから!」
「―っ!?」
「それも誰だって来れる世界、だけど人によって違うように見えても当然の場所。俺の勘だと夢だなここは!!」
「―貴様、まともに考えずに答えているな?!」
それはそうだ、何せ直感なのだから。だけど、それならば納得がいく。
そして奴の反応が正しいのだと証明してくれた。
あぁ、なるほどどうしようもないほどに、狐龍の言葉は的を得ていたのだろう。
「どこまでも弱いから、お前はそんなことに意識を向けたな!」
ただの凡人の俺と、何にもできないただの子供の狐龍。2人を殺すためだけに、全力にも程がある策を弄している。
そんな怯える小物に、負けてやれるほど―。
「英雄を舐めるなよ!!」
俺は決して弱くない。右手に現れた紋章が、確かにそれを証明するようであった。




