怒りの叫び
燃え盛る陰陽寮の中を駆け抜ける。
背負った狐龍の、俺の方に込める力がぐんぐんと強くなっているのを感じる。
そりゃあそうだ、家族のいる場所で、憧れの場所で、仲間のいる場所だ。
それをこんな風にめちゃくちゃにされて怒らない奴なんていない。
「怒っていい」
「ん?」
意図せず口からこぼれていた言葉が、狐龍の耳に聞こえていたらしい。
気になった様子で、じっと俺の後頭部を見ているのが感じられた。
「怒っていいんだ、人間だから」
ならばしっかりと教えよう。彼女が今すべきことを、今していいことを。
「これほどの被害に悲しんでいいし、こんなことをした奴らに対して怒っていい」
彼女は半分妖の血が流れているのかもしれないが、それでも人間だ。
冷静に振る舞えることは美点だ。どんなときにも正しく行動できることは素晴らしいさ。
だけど、感情に従って行動することは、実に人間らしい生き方だ。そしてらしいということは、ある意味で人間として正しい生き方だ。
少なくとも、家族が殺されたり、大事な場所をめちゃくちゃにされて、泣いたり怒ったりすることを悪いことだというような奴よりかは、絶対に正しい。
「だから、怒って泣いていい」
「わ、わらわは―」
だけど、そうだけどだ―。
「だけど、そこで止まっちゃいけない。前を見据えて歩かなきゃいけない」
別に俺に悲しい過去なんてありはしない。もしかしたら前世で何かあったかもしれないけれど、それを俺は覚えていないんだからないのと同じだ。
だから無責任にこんなことが言えるのだろう。
だけど、無責任でも言わなきゃいけない。
「被害がどれだけ出ているのかは分からない、それこそ皆無事かもしれないし、皆死んだかもしれない」
あぁ、だって誰も確かめていないのだから。証拠が何も残っていませんでしたは、どちらともいえないでしかない。
「だから、まずは確かめるために動かなきゃ」
「確かめる……、確かめてどうするのじゃ?」
あぁ、そりゃあそうだ、まだ彼女は何も知らない。冷静でいられない中で正しい答えも何もない。
「生きていれば助ければいい、1人でも救い出すことが大切なんだ」
「ならば、皆死んでたらどうすればよいのじゃ?」
最悪の中の最悪だ、それはもちろん想定しておかなければならない。
そして、俺は経験した過去でもある。だから、あの時したことを伝えればいい。
「無念を背負って仇を討つ、死んだ人間のことを考えるのならそれしかできない。なんならそれしかしちゃあいけない」
工場の中で死んだままで生かされていた彼らを思えば、今でもそう理解させられる。
あの時教えてくれた子どもたちも、死んでいたのだ。知りもしない赤の他人で、しかもすでに死んでいる人の仇を討つ。
正直な所、もっと他にもできることがあったんじゃあないかと、俺も内心思っていたがいくら考えても、少なくとも俺にはこれしか答えはなかった。
「それ以上をしようとすれば、生きている人間が死人に引っ張られてしまうからな」
「お主は強いのじゃな」
俺の言葉を聞いて、彼女はそう返してくる。俺が強い、なんともおかしなことを言う。
「強くないさ、どこにだっている普通の人間だ。だからこの程度のことしかできない」
本物の英雄なら、きっと悲劇が起きる前に世界だって救えるんじゃあないだろうか。
「おかしなことを言う、英雄なぞ古今東西わらわの知る限り、後始末をする存在だぞ?」
「?」
彼女の言葉が気になって、つい振り向いた。
おそらく俺はバカバカしくなる位に、キョトンとした顔をしていたのだろう。狐龍も呆然とした様子で、笑いをこらえていた。
「悲劇があるから、その悲劇を終わらせる英雄が生まれる。古今東西良くある話であろう? 何も起きていないのに、活躍などできるはずもなかろうて」
「……ふふっ、何が言いたいんだ?」
彼女の言葉はある意味で、俺の心に温かさを届けた気がする。
あぁ、言いたいことは分かっている、だけど確かめたくなった、それだけだ。
「悲劇が起きることも、その悲劇の犠牲者が出ることにも、貴様が罪悪感など感じる必要などなかろう」
想像していた通りの言葉が帰ってきた、その事実に俺は―。
「くくっ……、ふふふっ―」
「龍牙?」
「はーっはっはっはッ!」
俺は笑いがこらえきれなくなって、それはもう馬鹿みたいに笑った。
「気でも狂ったか!?」
「はははっ、いや悪い悪い気が軽くなった。ありがとう」
炎の中を潜り抜けながら、俺はそう返す。
たった1枚の逆転の札、それが俺だからこそ、俺が間に合わないせいで犠牲者が生まれるのだと考えていた。
そうじゃあない、確かに俺が頑張れば悲劇は減らせるかもしれない。だけど悪いのは、俺ではないのだ。
全部の責任を背負う必要はない―。
「悪いのは、悲劇を起こす奴。そういうことだろ?」
「当たり前のことではないか。良いことをしている人間が、悪いことをしている人間の分まで責められるなんて有っていいはずがなかろう?」
もちろん、俺が強ければ、賢ければ、そして運がよければ救えた命は、きっと今よりも多いのだろう。
だから、それを背負う必要はある。
でも、だからこそ彼女の言葉は俺の戦いを支えてくれる。
「本当に、ありがとう」
炎の中の陰陽寮を駆け回る、どういうわけか煙が出ていないことが逆に異常事態だと感じさせられる。
「自然な方法で発生した火災ではない、か」
「陰陽術なら、こういうことができないわけではないが……、ここを燃やす理由がない―」
狐龍が推測しながら、部屋の一つ一つを探していく。
それこそ生者はおろか、死体の一つも見つからない辺り、探すことを諦められないままに走り回らさせられる。
「もしかして、1人残らず留守しているときに襲撃を受けたとかないよな?」
などという、あまりにも非常識すぎる予感が頭に浮かんで来る。
楽観的なまでにもほどがあるし、自分でもあるはずがないとは思っている。
「んなことがあるか」
狐龍にそう指摘されるのは、それこそ火を見るより明らかだ。
火の中だけに。
「いかんいかん、思考がどうでもいい方向に流れてってる」
だがしかし、生死は問わず人間が見当たらないのは現実だ。
そしてそこからさらに―。
「……人間どころか、妖も獣のいないし―」
「……燃えてる以外はムラマサの工房に行く前と何も変わっておらんな」
争った痕跡すら見つからない。
たとえ勝ち目がなくとも、命の危険が迫っていたとして、何も抵抗せずに殺されるだろうか?
それが1人や2人ならともかく、1団体がそれだとなると話が変わってくる。
それも、バリッバリの戦闘集団でだ。
「……炎は、普通に暑いな」
幻覚だとするのならば、それこそ工場の時以上にヤバいことになっている。考慮する必要はあったとしても、可能性は薄い。
「ええい、どのような奴の仕業か知らぬが―」
我慢の限界とばかりに狐龍が怒りを爆発させ―。
「このような妙な状況にした挙句、まともに戦うことをしていないような奴が―」
それはもう大きな大きな声で。
「へたれの根性無しの玉無しで、ちびでハゲでデブでブサイクで服の趣味が全裸の方がまし、とどめにどうしようもないほどに糞雑魚ナメクジのカスに決まっておる」
全力で見もしていない相手を馬鹿にした。
もう、正直聞いているだけで可哀そうになるぐらいには罵声の雨霰。
言葉が物理的な力を発揮するのであれば、鉄砲隊の弾幕なんぞ子供の玩具に感じるほどだ。
そして妖の基本なのだが―。
「どこのどいつだ、このワシを馬鹿にした奴は!!」
馬鹿にされると、それはもう過剰反応にもほどがある勢いでぶちぎれる。
俺が最初の戦いで行った戦法を、意図的ではないにしろやってのけた辺り、似た者同士というのはこういう所でもそうだったのかもしれない。
「わら―」
「俺たちだ!」
だから、彼女だけの言葉じゃあない、俺もその分背負っていこう。




