失ったものは戻らない
時間は決して戻らない。それこそそういう能力を持つものでもいない限り戻ることはない。いや、能力を持っていても戻らないといった方が正しいだろうか。
例えば、朝食でトーストを食べたとする。はちみつとジャムたっぷりの甘い奴だ。しかしその甘い匂いが体に残って、それが原因で虫だったり動物だったりに襲われたとする。
それはトーストを食べた結果発生した悲劇のようなものだ。だから、タイムマシンを使って過去に戻って、過去の自分に対して、朝食にトーストを食べることをやめさせたとする。ならば確かに、トーストを食べたことが原因の悲劇は無かったことになる。
だがしかしだ、そもそもの自分に対してトーストを食べないように言いだした、未来の自分はどうなるのだろうか? 未来の自分はトーストを食べたからこそ存在する自分だ。トーストを食べたからこそ成立する時間にいる。トーストを食べなかった未来には決して存在しない存在だ。
そう、存在しないはずの自分が現れたことが、時間の流れとして正しいモノとして存在することになる。
未来から悲劇にあった自分が、アドバイスをしに来るという、今の自分にとって存在しない未来が前提の時間になっている。
これに関しては、歴史が変わるというのが正しい歴史だとか、そう言う考え方もできるのだろう。少なくとも俺は、正しい意味での時間移動は存在しない、と考えている。恐らくは時間移動を行った世界に、限りなく近い平行世界に移動しているだけにすぎないのではないかと。
並行世界とは、基準となる世界からの分岐によって成立する。異世界が根本的に違う世界、基準となる世界から分岐したとしても、分岐のスタートがかなり最初の方にある世界だとすると、観測した段階からそこまで過去ではないタイミングでの分岐である世界だといえる。この分岐がどれだけのことで成立するのかは分からないが、それこそ無限の可能性として世界がそれぞれ存在しているのではないか、と俺はそう考えている。
まぁ、残念ながら俺の知る限り、それこそ叢雲の中にある無数の転生者の中にも、時間移動についての能力を持つ者はいなかった。だから、実際どうなのかは検証できない。別段する必要も無いだろうから、気にしないでいいとは思うが。
さて、長々とこんなどうでもいいことを考えていたのには、ある理由がある。
「時だ、時を遡る術を探すんだっ!!」
俺の前で明らかにバカバカしいことをしている女を見ているからである。
当たり前の話だが、そう簡単に時間移動などできはしない。1回死んで異能力を得ていると言える、転生者の中にもいなかった。1回死んだ程度で手に入る代物ではないということなのか、それともそもそもそんな術はないのかは知らない。
多分俺はそんな力を手にすることはないだろうし、きっとそんな力を目撃することもないだろう。
だから、うん――。
「なんで家を爆破された当人じゃなくて、お前がそんな狼狽えているんだよ。紫苑」
あんなに頼れる、できる女って感じの紫苑が、ここまで馬鹿晒しているのは正直なところ驚きだ。
差吊苦に家を爆破された事実については、戦いが終わって戦いの熱気から解放されると、とてつもなく頭がおかしくなりそうで、馬鹿を晒しそうになった。
ただ人間自分以上に馬鹿をしている奴を見ると、人間冷静になって止める側になるらしい。少なくとも俺はそうだった。
「……だ、大丈夫だ、それこそ私が忍法時渡りの術を開発することで、家は――」
「多分紫苑がその術を開発するまでの間に、新しい家が用意できると思うのは俺だけじゃないと思うぜ?」
時間移動などという神の御業を、人間の力で独力で再現しようなどという、傲慢極まりない行為が一朝一夕でできるのであれば、人類の進歩はもっと凄まじい速度で進んだことだろう。
間違いなく大工を呼んで、新しく作ってもらう方が早く終わる。正直なところ家具などもロクにないただの箱モノでしかないわけで、失った取り返しのつかないモノなんてものもないのだ。
「だから、うん……、なんでそこまで怒ってるのかは分からないが、その怒りを差吊苦たちにぶつける方向で頭切り替えようぜ」
俺の言葉に、少しは冷静になったのだろうか。紫苑も謎の奇怪な術の開発作業をやめた。
「……ふふっ、人間らしい幸せって奴を味わえると思ったんだが」
ふと彼女がつぶやいた言葉の意図は分からなかったが、自分の意思で伝えてくれることだろう。
「どうかしたのか?」
「いや、まだまだ先の話になるだろうなと思っただけだ」
だから、俺と彼女の関係はいつも通り。俺がバカやらかして、彼女に諫められる。それでいい。
「ねぇねぇ、兄ちゃんと姉ちゃんは操縦士なんだよな?」
「絡繰に乗って戦ったんだって?」
ムラマサの工房を出発して、あてもなくぶらぶらと刀の国を巡っている時だ、俺たちは小さな村に立ち寄った。
どうやら叢雲の話が各地に広まっているらしく、初対面の俺たちのことをよく知っているらしい。
泊めてもらっている家の中で、俺と紫苑は二人でその事実について語りあった。
「恐らく将軍様の考えだろう。刀の国の各地で戦うことになることから、私や龍牙のことを手助けするように仕込んでいるのだろうな」
「……あぁ、なるほどな」
どこか気になる点はあるものの、歓迎されるのは悪くない。どこに向かえばいいのか分からないけれども、目的もなく旅をするというのは楽しいモノだ。
「全部終わったら、刀の国を見て回りたいなぁ」
「なんだ、そんな小さなことでいいのか? 海を出て異国を見て回っても構わないんだぞ?」
だからこその俺の夢をふと口にすれば、紫苑はもっと大きなものを見てみるべきだとばかりにそう告げた。
それはそうだ、異世界転生をしたのであれば、その異世界というものをしっかりと認識するのは、俺にしかできない事だろう。この世界を異世界として認識している転生者だけの特権だ。
翌朝になれば、ここに留まる理由はない。ということもあって、俺と紫苑はさっそく村から出ようとした。その時だ、多少遊んでやった子どもたちが俺たちに会いに来た。最初は出迎えだと思っていたが――。
「兄ちゃん、姉ちゃん……この村を助けて」
「実はこの村は妖に支配されているんだ」
とんでもない話が飛び出してきたではないか。
「妖に支配されているだと!?」
「……村から出ていってほしくないから適当言ってるだけ、とかそう言うのじゃあないだろうな?」
至極当然の疑問、無論子供たちを疑っているわけではない。だがそれはそれとして、俺も紫苑もそんな違和感を感じなかったのだ。まだまだそういう経験が浅いおれならともかく、歴戦の忍である紫苑が気が付かないとなると、それはそれで大きな問題が発生する。
それほどまでに、痕跡を隠すことに長けた妖の存在が証明されてしまうからだ。
「冗談じゃないんだ、人間そっくりの若い男の妖なんだ」
その話を聞いて、さらに俺と紫苑は首を傾げる。人間によく似た姿の妖はたくさんいる。そしてその多くが女性であるというのは、結構有名な話だ。雪女だったり、ろくろ首なんかはメジャー所だろうか。
そんな中で俺たちの知識の中で、若い男の姿をしている妖となると、当てはまるのは差吊苦位の話だ。
そしてあいつはそこまでいろいろと企んだりすることを好まない気がする。というか基本バカだから、そういうことはしないという信頼がある。
事実ならば、それは俺たちにとって今までとは根本的に違う戦いの始まりを予感させるのだが……。




