大切なのは心を強く持つこと
「……あのさぁ、事情があるのは分かったけどいきなりアレはないでしょ?」
オエード城を後にして、俺はシオンと共にぶらぶらと歩いて行く。
「仕方なかろう、本当の恐怖を感じた時の血でなければ、あの術は成立しないのだ」
さて、話しは少し遡り、将軍様が刀を構え襲い掛かってきた時の話だ。
至極当たり前の話だが、俺はごくごく普通の一般百姓の息子でしかなく、戦いなんて経験はあるはずもない。せいぜいそこらの悪ガキとのけんかをした程度であり、刃物なんて向けられたことなどもあるわけがなかった。
である中で、国のトップであり、武家のトップでもある将軍の殺意を込めた刀を向けられれば動けるはずもなかった。端的に言えばビビって、ぶるって小便を漏らしかけた。
で、そんな怖い思いをした結果が――。
「この手の変な紋章みたいなのか?」
そう、俺の右手に浮かび上がっている謎の紋章。刀で十字になっているようなこのデザイン……正直に言って俺には良し悪しは分からないし、かなりどうでもいい話ではあるが、消えないので恥ずかしい感が強い。こういうのは力を籠めるとともに浮かび上がるとかの方が、センスがいいと俺は思う。
「あぁ、そうだ……それは忍法時空超越の術というもののマーキングになっている」
さらっと物凄いことを言っているな、このくノ一。
「このマーキングに反応し、契約したものを移動させる効果があるわけだ」
「そしてその契約したものというのが――」
叢雲、30mを超える巨大な代物をそう簡単に動かすのは困難である。しかしながら、妖の異常発生は刀の国の全域で起きている。この2つの問題を同時に解決するためにはこういった、超常的な力が必要なのだろう。
しかしながら何故あんなバカでかい代物でなければ勝てないなどというのであろうか。いくらでもやりあう方法はあるのではないか。そう考えるのは不思議ではないし、正直なところ俺もそう考えていた。
「さて、我々が向かっている場所まで少し遠い、その前にド素人であるお前に妖の基本知識を伝えるとしよう」
少し何かを思い出すようにしながら、紫苑は口を開いてこちらに問いかけた。
「そもそもお前は妖を見たことがあるか?」
見たことがあるか? という問いに対して、俺は迷うことなく、首を縦に振った。実際に見たことがある。というか村の中にも何体か居たはずだ。
実際の所、妖の異常発生はともかくとして、全ての妖が人間に危害を加えるわけではない。それはそうだ、人間にだって良い奴と悪い奴がいるように、妖にだって人間基準で良い奴も悪い奴もいる。
「確か村に小豆洗いがいたはずだ」
「あぁ、そう言う具合に人間に益を為すものもいる」
と首を縦に振る紫苑の姿を見て、だったらなんなのだと俺は考え――。
「なら、デカいのは見たことはあるか?」
彼女はそう問いかけてきた。
結論から言えば答えはNO、首を横に振りその意思を示す。
「お前が見たことがあるようなのは、下級妖だ。種族によってそれはまぁ大なり小なり変わるが……まぁ、鍛えた侍一人で討伐が可能だと言われるのがこれだ」
ならば俺が見てきたものは全て下級妖ということになる。そう告げれば、紫苑もそうだろうなと答えてくる。
「まず普通に人間が見れるのが下級妖だ、そして私が告げたデカい奴……数年に一度現れるかどうかと言われるものが、中級妖」
大体30m程の大きさをしている奴らだそうだ。
なるほど、この位の大きさなら叢雲で取っ組み合いができる。と俺が考え、妙な事に気が付いた。
「……その大きさで中級だと?」
当たり前の話だが、下級、中級と来れば、その上には上級がいるのも必然。
そして中級の30mというのも中々に大概な大きさである。確かどこかの城の天守の高さに匹敵するとかしないとか。そんな化け物が、頂点ではないというのだから驚きだ。
「あぁ、上級が現れたのは叢雲が創り出された、記録されている範囲での第一次妖大増殖の時だ」
「それで……その上級は?」
「無論かなり昔の話故、眉唾物ではあるのだが……最低でも60m程の大きさになる」
叢雲の倍はあると来た。数少ない残っている記憶の中で思い出せるものだと、ナイアガラの滝の高さ……より高いことになる。ちょっともう想像するのが難しい大きさだ。
正直大袈裟に書きました……というものであってほしいモノである。
「話を中級に戻す、中級の妖を討伐するのに必要な戦力……どの程度だと思う?」
「……侍数十人?」
「……数百人でも足りんほどだ、最低人数での討伐記録は……確か724人だったか」
一の対象をつぶすために、百でも足りない戦力を注ぎ込む……、もはやこれは一種の災害……というよりも、それならばもっと早く叢雲を使える俺を探し出すべきだったのではないだろうか?
「結局のところ数をそろえれば、まぁ戦えないこともないからな、それならば不要だというのが将軍様の考えだ。それにすべての中級妖が人に害を為すわけでもない。ならば数年に一回程度のそれなら、わざわざ叢雲を使う必要も、本来ならないわけだ。」
と説明をされてしまえばあっさりと納得ができてしまう。したほうがいいかもしれないけれども、今ので問題なく解決できるのならばそれでいいという訳だ。
発生する被害? 叢雲が動かせたとしても、そこにたどり着くまでに被害を止められるわけではない。結局人数をそろえればどうにかなるのだと考えれば、まぁ実際、俺と叢雲の優先順位は低かったのだろう。
「そう、中級迄ならどうとでもなるわけだ……人間でもな」
故に理解した、上級はそうはいかないのだと。
「さて、そもそもの前提として妖に術の類は通用しない」
「というと?」
「より正確には、心ある人間の行う行動の大半が通用しないだ」
はて、説明の意味が分からない。そんな表情でもしていたのだろう。
「さて、一つ聞くが……子どもと筋骨隆々の大男、どちらもお前に敵意を向けているとする。どちらが怖い?」
なんともいきなりの話ではある。が、まぁ結論など決まっている、どう考えても後者の方が恐ろしい。なにせ後者の方が強いであろうことはすぐに考えられるわけだからだ。
「では、その大男が……刃物をもってこちらに向かってきたと考えろ、ちゃんと行動ができると、胸を張って言えるか? 戦うでも、逃げるでも構わない、できるか?」
少し考え、無理だと理解する。なにせ将軍様に実際同じような状況に追い込まれたのだから。
「それと同じことだ、たとえどれだけ強大な力を手にしたとしても、そもそもの格が違うが故に通用しない。根本的な人間という生き物として、恐怖に飲まれてしまうからだ」
言葉にすればそれはもう実にシンプルな話だ、どれだけ頑張っても、人間であれば恐怖という感情に飲まれてしまい――。
「そして、大なり小なり妖というのは人間の恐怖を糧とする」
恐怖を糧とするモノに、恐怖の感情からの行動が有効打になることなどありはしない。それはそうだ、なるほど初代将軍の時代のチートスキルが通用しなかったのは、端的に言えば根本的な格の違いが原因だったか。
だからこそ、その格を無理矢理押し上げるのが――。
「叢雲と」
「あぁ、対魔の力を限界まで高め、無数の初代様たちの時代の精鋭の力を、可能な限りどこまでも高めて振るうのが叢雲だ」
「つまり感情を殺せと」
「いや、むしろ逆だ」
紫苑曰く、感情の籠らない現象はそもそも届かないのだという。心の力こそが妖相手には必須の力。故に心無き力では届かない。
だが心あるものでは、恐怖に飲まれむしろ強くするだけだ。
「だからこそ、恐怖せずに戦えるために……対等になるための力が必要で、それが叢雲だと」
「実際はどうかは知らんがな、だが少なくとも生身の人間の大きさで戦うよりも……、30mの巨人になって戦う方が、怖くはなくなるだろう?」
大きいというのはそれだけの力を発揮するということか。説明されてしまえば、まぁ多少は理解ができた。根本的な部分で負けているから人間では勝てないけれど、その根本を補うことができれば勝ち目はある。
「つまるところ、叢雲だけが現状唯一の、上級妖への対抗手段である。それだけ理解しておけ」
「……で、紫苑さん? 俺たちはどこへ向かっているので?」
実の所、俺はそんな内容を知らずに歩き続けていた。
「剣星の里と呼ばれる、数多の剣豪を輩出してきた里だ。その近辺で妙な噂が流れているらしく、そこの調査だ。ついでにお前は鍛えてもらえ」