死地へと向かう
「お二人とも、お世話になりました」
雪花の言葉を受けて俺たちは歩き出す。
人ならざるものであっても、人のために何かができる。故に、俺たちは語り合わねばならない。
「まぁ、また困ったことがあったら言ってくれよ」
彼女が伝えてくれたからこそ、あの里と、氷漬けにされていた人々も助けられたといっても過言ではない。
どれだけ強い力があったとしても、何処に困っている人がいるのか分からなければ、至極当たり前の話として、助けに行くことなどできはしない。
「しかし、まさか将軍様に雇われるとは」
「ははは、氷がいろいろと必要になることもあるからって」
そう告げた彼女は、選別だとして在るものを渡してくれた。それは――。
「氷漬けにした魚か」
「はい、元気になるなら美味しいご飯が一番ですから」
冷凍した魚。言葉にしたら簡単な話だが、冷凍することで鮮度が落ちにくくなっているというのは、それはもう移動している俺にとってはありがたい話だ。
「助かる、食事の時に堪能させてもらうとしよう」
「お、よくみたらこれは……、良いアジじゃないか、俺の好物の一つだぜ」
しかもアジ、夏が旬の魚ですこぶる美味いのだ。
……そう言えば前世でも、うまいアジを食べた気がする。世界が違っても生き物の種類は、そう変わらないということだろうか。
後、妖の名前もいろいろ前世で聞いた気がしないでもない。
あぁ、前世の記憶もちゃんと残ってたらなぁ。
さてさて、オエード城から大体徒歩で少なく見積もって1月はかかるであろうイーズモ。俺たちは大体1週間で辿り着くことができた。
馬を使ったわけでもなければ、むろん叢雲で移動したわけでもない。目立つし、整備のための行動なのに、負担をかけるようなことをするはずもないのだ。
ではどのような手段を使ったのかと言えば――。
「1日1回しか使えんが、転移術のおかげでここまで来られたな」
「紫苑さんは、忍術って言えばさ、何しても皆納得する、なーんて考えてない?」
はい、紫苑の忍術によって、特定の場所に一定範囲内であれば転移ができるという方法を利用したのである。
正直なところバカバカしいにもほどがあるし、こんな移動方法は恐らく前世の日本にも存在しなかっただろう。
「……そうは言うが、負担が激しくてな」
代償として、それはもう洒落にならないぐらい疲れるらしい。1分1秒が惜しい故に使ったものの、できることならばしたくないのだとか。
そんな俺たちだが、到着した場所の様子を見ようとはしていなかった。
「……いやはやここまでとはな」
「もう少し現実逃避しない?」
俺がそう口にしたのも仕方がない、そう思わせる程度には……ひどい有様であった。
人里の近くに現れたはずだ、そう言う場所に転移のマーキングが施されているのだから。
だが俺たちの前にあるのは――。
赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤。
一面全ての赤だ、血の赤、火の赤、錆の赤。もはやバカバカしくなるほどに、気が狂うほどのソレが広がって――。
「妙だな」
紫苑はそう口にした、彼女は俺よりもこういった事態の専門的な知識を持っている。
つまるところ、彼女が妙ということは、確かに妙な状態であり、何が妙なのかを理解しなければならないということだ。
「火はまるで、それこそ燃やすためのモノがないにもかかわらず、ただただ燃え続けている。全て燃え尽きているのにだ」
正真正銘全てを焼き尽くすと、自然に火が消えていく。あぁ、当たり前の話だが――。
これはそうではないのだ。
「つまり、この火は超常的な何かによっての火」
「……とりあえず試しに水でもかけてみるか?」
「いや、何かの警報かもしれん、今は放置でいい」
そう告げれば、さらに周囲の全てを見回し、異常を一つ一つ説明していく。
「錆びるはずのない、金属でないモノすらも錆びているし、その錆びもムラがなさすぎる」
それは確かに一つ一つの異常が、これらの全てが――。
「血があまりにも流れ過ぎだし、乾かないにもほどがある」
何か異常の中でも、殊更に異常な何かが起こした証明となる。
「……上級、もしくは差吊苦のような超上級の仕業か」
「……これが上級の仕業なら、なんの仕業だ?」
「知るか、神話の世界の記録程度の情報しかないんだぞ?」
だからこそ、何がこれをしたのかは分からない。常軌を逸した化け物の所業なのはわかっても、それがどのような化け物なのかは分からない。
つまり、俺たちは何と戦えばいいのかも解らないままに、この場所に来てしまっている。
「っ!」
「鉄、気が付いたな!!」
故に、気を張り、どのような化け物が来るのかと身構えていれば、出てきたのはそれこそ一つの滅びそのもの。恐怖をあおるかのように、辺り一面に殺意をまき散らしながら、大口を開けて迫りくる大蛇の姿がそこにはあった。
「……紫苑、アレは何だ!」
「知るか!! 私は知らん!!」
彼女の言葉と共に、咄嗟に転がることで、大蛇の顎からどうにかして逃れる。
そうして大蛇の方に視線を向ける。尾の先がどこにあるのかも分からない。
「どれぐらいこいつはデカい?!」
「ざっと見て60……いや、70は超えているぞ!?」
60mを超えれば上級、一つの目安ではあるものの、確かに彼らの前に現れた怪物は、上級だと一瞬で理解できる程度の力を有していると、肌で一気に感じ取る。
人間である限り勝つことはできないのだということも、まぁ直ぐに分かる。たとえ世界の壁を壊すような、バカみたいな一撃を叩きこもうとも、これには傷一つ付かないのだろう。たとえどのような相手でも即死させるような、常軌を逸した理を持とうとも、このモノには届かない。剣も、槍も、弓も、こん棒も、銃も、火も、水も、土も、風も、雷も、自然も、人工物も――。あらゆる全てが通用しない。
だからこそ、ただ一つ立ち向かえるのは――。
「絡繰武勝! いざ出陣!!」
絡繰武勝叢雲、ただ一つのみ。
颯爽と、俺は叢雲と一つになれば、名乗りを上げる時間も惜しいとばかりに、手始めにと大蛇に殴りかかる。
「っぅ!?」
拳を叩きつけたその感覚に、何か嫌なものを感じ取った。変なものを殴ったのか? いや違う。
殴りつけられた大蛇は、確かにダメージを感じた様子で、悶えるさまが視界に入る。
「なんだ、何がおかしい?」
そう俺がつぶやいた次の瞬間だった、叢雲のすぐそばで、ずしんと何か重いモノが落ちる音がした。
「鉄龍牙!! 早く拾って逃げろ!!」
拾う? いったい何をと、そう告げようとして、視線を紫苑の方に向けたその時だ。俺は、叢雲の身に起きた、異常というものに気が付いた。
右腕がない。
「……っ、今の一撃でお釈迦かよ!!」
殴りつけたその時に、腕のどこか――人間で言う所の骨に当たる部分――が折れたのだろう。あの衝撃音はシンプルに、へし折れた腕が落ちた音。
どうにか左手で、右腕を掴んで逃げようと足を動かそうとしたその時であった。
「まったく、この時代の乗り手はまともに戦えねぇのか!!」
どこか遠くから声が聞こえた、どこか近くから声が聞こえた。矛盾している、聞こえた声は確かに一つだ。
だが確かに、その矛盾した何かが発生し――。
「太陽の方角に走れ、今すぐにだ!!」
聞こえた声に従い、駆け出す。紫苑もどうやらその声に従うようで、即座に叢雲の方に乗り、堕ちないように捕まっている。
そして次の瞬間――。
「っ、おいおいなんだこれは!?」
光と爆発、それもただの光ではない。瞼をつぶったとしても、まるで暗くならない異常な光が、世界を一瞬支配した。その一撃で目を潰されたのだろうか、大蛇はのたうち回りこちらを補足できなくなった。
俺たちは声の聞こえる方に走り続けた。




