16. 指輪の記憶
燈は紺の指輪を身につけたことがなかった。だが、碧が陰陽師試験に行き、胸騒ぎがして仕方がなかった。
それ故に燈は紺の指輪を眺めていたのだ。箱から取り出し、兄が何を残そうとしていたのか、何を伝えたかったのか。
燈は騰蛇を待たせたまま、指輪を兄がかつてしていたように指輪をネックレスにして、首からぶら下げた。金具を止める時、燈の手はカチカチと震えていた。
(大丈夫)
金具をはめて、ネックレスから手を離した時、どぷん、と、水の中に落ちるような感覚を燈は感じた。
暗い海の底にゆっくりと落ちていく。もがけばもがくほど、絡め取られ、深く落ちていく。呼吸をするのが苦しいと思うほどに。
「燈ちゃん、燈ちゃん。ご無沙汰しています」
聞き覚えのある声に燈はハッとして、声の方を振り返る。
かつて兄が負傷した旨を伝えてくれたその式は、あの時と全く変わっていなかった。
「アイ」
獅子は目を細めて懐かしそうにまた、愛おしむように燈にすり寄った。
「はい。燈ちゃん」
「アイ……」
燈はアイを抱きしめると、暖かさを感じた。この子が兄の式として生まれた時間よりも兄がいなくなった時間の方が長かった。
「話してくれる?」
燈の言葉にアイは首を横に振り「そのお役目はハクが行います」と言って、後ろを向いた。
アイの視線の先には白色の着物を着た女の子が立っていた。
燈はその式を初めて見た。
「初めまして。燈さま。私は紺様の式、ハクと申します」
紺が指輪を離さなかったのは、体現式を見せなくする効果があると聞いた。兄が隠したかったのはこの子なのだろう。
「ハク、兄を支えてくれてありがとう」
ハクは首を横に振る。
「とんでもございません」
燈はハクに視線を合わせるため、しゃがみこみ「二十年前の事件の真相を教えてくれる?」ハクの両肩に手を乗せる。
ハクは首を縦に振る。
「わかりました」
ハクが手のひらを燈の額に当て瞼を閉じ「時戻り 原点回帰」と言うと、無数のダイヤのような光の反射が燈の視界を埋め尽くした。
♢♢♢
燈の視界には二十年前の光景が映った。たしかにそこは燈が子供の頃住んでいた英の家だった。映画のようにスクリーンが広がり、燈は正面を見ていた。
家を出た紺の姿に燈の胸はドクン、ドクンと激しく音を立てる。
燈の手をハクがにぎり、燈は視線をハクヘ向けると、ハクは優しく微笑んだ。
「これは、二十年前の私が見た映像です」
「便利な術ね」
燈は視線を正面に戻す。
紺は歩きながら駅に向かい、電車に乗っていた。電車を降りた時、駅名が佐野と見えた。
佐野の街を歩いていると長身の坊主頭がトランクをガラガラ音を立てて引きながら、紺に「ご無沙汰してますね」と話しかけるので、紺は男の方に向き直り、ぺこり、と頭を下げる。
「待ち合わせ時間より、ずいぶん早くに来られたのですね」
「ああ。歴史の証人の上元に会えるんで、きばってきたんやわ」
「大袈裟ですよ」
紺は笑って受け流す。
太陽が眩しいほどアスファルトを照りつけていて、肌がジリジリ焼けていくのを感じる。
スキンヘッドの男が「持ってきました?」と紺の持つトートバッグをみる。
「はい。そういう約束なので」
紺は佐野駅を歩きながら、駅前のタクシーに乗り込んだ。
タクシーの運転手が降りてスキンヘッドの男のトランクを、車のトランクに詰める。
「荷物多いやろ?」
「そんなことは思ってませんよ」
スキンヘッドの男のもタクシーに乗り込み「それにしても、試験官なんて7人もいるかねえ」と呟く。
紺が苦笑いをしているとタクシーの運転手が運転席に戻り、場所を尋ねる。
「弓削邸までお願いします」
「はい」
「ここらでは弓削家は古くからある地主のでっかい家やから、それだけで伝わるんやな。羨ましいような、羨ましくないような複雑やな」
「葛木さん、今日は、饒舌ですね」
葛木さん、と呼ばれる男は「そりゃそうやろ」と突っ込む。
「あの、キナリさんがいらっしゃるんやからな。テンション上がるやろ」
紺は暫く間を置いてから「そう、ですね」と同意した。
だが、頬杖をついて車窓を見ているその表情は、窓越しのに反射され、影っているのがわかった。指には花当主の指輪も光っていた。
タクシーが駅から15分ほど走ると車窓からは畑が広がり、ぽつり、ぽつりと住宅が存在していた。
暫く走っていると竹林があり、その先に大きな日本家屋の平家があり、タクシーはその平家の前で停止した。
葛木が3000円を運転手に渡すと、運転手はレシートと共にお釣りの250円を手渡す。
葛木はタクシーから、降りて、背伸びをすると、目の前の屋敷を見て「ひゃー、でか」と素直なまでの感想を述べた。
運転手がおろしてくれたトランクを受け取り「ありがとさん」と礼を言う。
紺はタクシーから降りると、足元が砂利だったからか、着地と同時にふらつき、持っていたトートバッグを地面に落としてしまった。鞄からは赤の文書が顔を出していた。
それを葛木は見ていた。
「どんくさっ! ほんまに上元かいな」
「ははは。たまたまなんです。それ」
紺は荷物をまとめて、立ち上がる。
「葛木さんのほうこそ、予言者としての上元、すごいじゃないですか」
葛木はトランクを持ち上げながら「うちは平安時代から続く陰陽師やで? 上元くらいとれな笑われてまうわ」と砂利道を突き進む。
弓削の家は門から玄関まで50メートルほどはありそうな距離で、玄関と門は砂利が敷き詰められていた。
「邪気を払うらしいで。まあ、今は空き巣対策とかの防犯の意味のが強いかもしれへんけど」
玄関に着くと、雛人形のような長い漆黒の黒髪の女の子が迎えてくれた。
「玄さまはそろそろ参られます」
紺は鞄をぎゅっと握り「はい」と返事をした。
葛木は女の子がいなくなるのを確認後「それにしても自分の仕事以外の人物はわからんな」と小声で言った。
「一番怖いのは操作師やけどな」
「キナリ様……じゃないですか」
葛木は焦って「おまっ」と声を荒げたが、そのあと小さく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
「ああ。他人の精神や記憶をすり替える操作師は別世界の人間や」
紺は「すごい才能ですよね」と、相槌を打つ。
葛木は頭の後ろで手を組むと「俺には現代の医者のように振るまう医術師も怖いけどな。人の寿命を簡単に測れるなんて恐ろしすぎや」と笑った。
二人がそんなやりとりをしていると、先程の少女が現れ頭を下げる。
「弓削 玄様が参りした」
かつ、かつと足音が聞こえ、現れた60歳ほどの小柄な男性には、杖がなかった。




