3.理由
正座をして待っていると、白い服に烏帽子をつけた男が現れた。
おそらく30才前後と思われる男は、横に太常を連れ、床の間と思わしき床に胡座ををかいて座った。
「こんばんは。ようこそお越しくださいました」
燈と碧は男に頭を下げた。
碧は畳の目をみながら、あの手紙の主と目の前の男の声が同じであることに気がついた。
太常の声はこの男の声に似ているが、おそらくこの男より半オクターブ低いと思う。
ただ、同一人物でないなら、声が似すぎているのはなぜだろうか。
「ああ、太常の声は、私の声ですから。似ていても不思議ではないですよ」
不気味だ。
心の中で思っていたことを、見透かされた。
それでも碧は顔をあげずに耐えた。
そして拳をギュッと握った。
「ふむ。やはり、優秀なんですねぇ」
碧は動悸がして、握った拳に汗がでてきた。
畳の目がぼやける。
「ご無沙汰しています。晴明さま」
燈は頭を上げて背筋をただした。
「あまりこの子をいじめないでください。研修中の身ですから」
「こちらこそ、ご無沙汰しています。貴方は相変わらず、はっきりと物事言いますね」
「私の良き点です」
晴明は懐から扇子を出し、バサッと広げ、口元を隠した。
そして値踏みをするが如く、碧を横目で見る。
「こんな素晴らしいお子さまがいるのに、私にだまっていたなんて、ずいぶん白状ですね」
燈も同じく扇子を出しバサっと広げると、同様に口元を隠し、笑顔を向ける。
ただ、その目元は笑っているとは到底思えないほど、冷徹な視線を晴明に送っていた。
「私共に興味を持っていただいてありがたいことですが、晴明様に置かれましては、他の多く者へ興味を持たれた方が、生産性が向上するように思われます」
碧には扇子の奥で晴明が気落ちしているように見えたが、勘違いかもしれない、と思うことにした。
燈は扇子をパチン、と閉じると、先刻よりも低い声色で「それで、どのような御用件でお呼びだてされましたか? この子は胸に書いた文字同様、研修中の身です。その者の文送りに貴方様が応えたというのが解せません。お応え下さい」と詰め寄る。
晴明の隣にいた太常が「それは」と言って身を乗り出したが、晴明が「良い」と言って制した。
「ただ、会いたかっただけ、ですよ。気の流れから親族であることは理解できましたし、きっと文送りに返答したら、貴方も来てくれると思いましたからねえ」
晴明が怪しげに口角を上げた。
燈の眉がぴく、と上がる。
張り詰めた空気が纏わりつくと晴明は扇子と手を合わせてパシン、と音を立て、空気を一掃する。
晴明は「冗談はここまでとして」と言うと「さて、あなた方を呼んだ理由は、ただ一つ。織田信長の最期を見届けてほしいと思ったからです」と明瞭な声で指令をだした。
碧は顔を上げて、隣にいる燈を見た。
燈は背筋を伸ばして視線は晴明を捉える。
「本能寺の変、ですか?」
「そうです。本能寺の変は幾つもの説がありますよねぇ。いい加減そこをはっきりしてほしいのです」
燈の表情が堅くなった。
「私個人としては、貴方様と同じ考えです。些か乱暴なやり方でも白黒はっきりつけるべきだと常々思っておりました」
黒服の男の体が小刻みに震え始めたが、燈は気が付いていないのか話を続ける。
「ただ、この問題は古くから誰もが取り組んでいますが、未だ未解決なのはなぜでしょうか? それは、有耶無耶の方が良いとお考えの方がいるからではないですか?」
晴明は扇子を床に置くとみるみる顔を赤らめ、何やら嬉しそうにうっとりするように燈を見いる。
「この問題、やれとおっしゃるならやりますが、こちらも相当な痛手を被るでしょう。ですから、ご助力いただけますか?」
晴明は、床の間から立ち上がったので、太常が「あ」と言って主を制そうと身を乗り出したが、時すでに遅し。
主は燈の前に座ると燈の手を取り、握りしめていた。
「燈、はあ、はあ、私達、両思いですね」
(え、気持ちが悪い。何なのこの人)
碧は母親にセクハラをする男の行動や言動に血の気は引いていく。
一方、晴明の血の気は上がっていったようだ。燈は相変わらず背筋を伸ばし、微動だにしない。
「燈に『助けて』なんて言われたら、私は全力で助けますよ。当たり前ですよ。この問題を解明すると自ずとあの者達もいなくなる。2人で頑張りましょうね」
晴明が燈の手から髪へと手を動かしその手で、梳く。
「解決したら、私達はやっぱり、一緒に--」
燈の唇に手で触れようとした時、燈が男の手を払った。
「私は既に結婚しています」
晴明は、悲しそうに肩を落とした。
そこに追い打ちをかけるように畳みかける。
「子もおります」
燈は碧をチラッと見て「ただ、ご助力はありがとうございます」と微笑んだ。