叫びよ響け
「本校で昨日、“いじめ”がありました。これは極めて遺憾であります」
我が校の体育館の壇上で、お世辞にも若々しいとは言えない校長が、声を震わせそう叫んだ。
その横では、教頭が神妙な面持ちで目を閉じている。
俺が通う高校で、どうもいじめがあったらしい。別にどこの誰が被害者で、どこの誰が加害者かなんて事は知らないし、特にこれと言って興味もない。知っているのは、俺の学年ではないという事だけ。
いじめはあくまで個人間の問題だ。俺たちのような第三者には関係ない。それが、生まれてこの方17年間周りに合わせて生きてきた俺の立場である。
教室はいつになく騒がしい。どうせ誰がやったんだとか、誰がやられたんだとか、どんな事をされたんだとか、さしずめそんな会話だろう。
この会話だって、興味ない。勝手に話していればいいさ。
扉を開け、担任が入室してきた。そのしかめっ面は、先程の教頭のものと似ている。
だが、俺には分かる。コイツら教師は、自らが所属する団体内で勃発したいじめ問題によって、自分のネームバリューが潰れてしまうことしか考えていないのだろう。
よく報道なんかで、「いじめを止められなかったのが、教師として悔しい」なんて善人ぶって泣き噦る一般教員なんかが出てくるが、アレはどうせ上部だけだろう。内心は、この担任と同じ事を思っている筈だ。余程の聖人君子でもない限りは。
教師のつまらない説教を軽く聞き流しながら、俺はノートの端に書きなぐる。
教鞭を振るのが下手な教員への批判、社会風刺画、それと、特に意味のない歪な図形。
周りの奴らも似たような者で、隠れてスマホを弄ったり、副業したりといった感じだ。聞いている者は皆無だろう。
「こら!人が話しているときに、スマホを触るな!一体今までどんな教育を受けてきたんだ!」
スマホを弄っていた男子生徒が、早速担任に見つかった。
担任は怒り心頭といった表情で、黒板を思い切り叩きつけた。これは説教が伸びるな。
長い説教から解放された帰り道、共に歩く友人は居ない。寧ろこういう時は居なくていい。
人にはそれぞれ自分のペースというものがある。俺は歩くのが多少速い方だが、俺の友人たちが同じペースであるとも限らない。遅いかもしれないし、俺より速いかもしれない。
そんな彼ら彼女らのペースを好き好んで乱したくはない。だから、俺はこうして一人帰路につくのだ。
ただ、俺はそこそこ遠くから通っているだけあり、方向が同じ奴が少ないというのもあるが。
人気のない小道に、冷たい秋風が吹き付けた。
家に帰っても、俺は俺だ。
親の機嫌を見て態度を変え、母が頼めば片付けを手伝い、父が頼めばその方を揉む。
そうしているから、親戚や近所の住民からの評判は割と良い。あまり嬉しくないけど。
「そうだ。お前が通っている学校でいじめがあったんだってな」
俺に背を向けたまま、父がそう尋ねてきた。その視線は、テレビを捉えているようだった。
「あったみたいだな。知らないけど」
肩を揉む手を休めずに、俺はそう答えた。
「お前は関係ないのか?」
「ああ。そもそもいじめられるように事は避けてるからな」
「そうか。なら良かった」
俺の答えに安心したのか、父は凝り固まった肩の力を少し抜いた。
たとえいじめがあったからといって、特に学校生活に支障が出るわけじゃない。
代わり映えのしない授業を、絶対にSNS映えしないような落書きを描きながらやり過ごす。
飛んでくる質問も、飛んでくるチョーク片も、何食わぬ顔で華麗にかわして着地する。
絶対に話を聞いていないような奴に正解され、担当教師が悔しそうに唇を噛む。それを見て、クラス全体がどっと笑出だす。
それなりの学園生活。だが、それでいいだろう?
最近、学校に来ない奴がいる。
別に高校だから、来なくたってもいいのだ。強制ではないと入学時に何度も言われて嫌気がさした記憶がある。
別に、病弱だったりサボり癖があったら、ここまでの心配はしない。
だが、アイツはそんな奴じゃない。
入学当初、人一倍笑って、人一倍叫んで、そして人一倍新しい友人を作ろうとしていたような奴だ。そんな明るいアイツが不登校だなんて、違和感しか感じなかった。
周りの連中も同じ考えのようで、皆一様に不安がっている。
アイツに、一体何があったのだろうか。
「えー大事な話があります。◯◯君は家の事情で転校したそうです」
数日後、アイツの転校が知らされた。俺たちが気にしだした頃には、既に遠くに引っ越していたらしい。
担任には、当分話さないでくれと口止めしていたらしい。そのお陰で、アイツがどこへ引っ越したのか、俺には見当がつかない。転校先を隠蔽したかったんだろう。
でも行く前に、一言くらい声をかけてくれればいいのに。友達だろ?
クラスが一人少なくなったところで、俺の日常には特に大きな変化はない。
ただ、クラス全体で言えば、全体的に笑顔が減った。
単にテストが近いだけだろうが、俺はそれだけとは思えない。
アイツが与えていた影響力が絶大で、クラスメイトは皆、アイツがいれば明るく笑っていた。
今は皆真剣に机に向き合って、数学教師に渡されたプリントに取り組んでいる。
やはり点Pもクラスのムードメーカーも、あまり遠くへ動いて欲しくないな。
冬休みが近くなり、教室の暖房がようやっと埃を吐きながらも動き出した。
その暖かさに触れるうち、アイツに触れる者は減った。皆それなりに笑顔が増えてきた。
アイツは既に、このクラスでは過去の人になりかけている。
その事実を垣間見た気がして、俺は少し寂しくなった。
「あ、雪だ」
「えっ!どれどれ?」
今年の初雪は、そんな日の下校前に降った。
冬休みに入ったら、アイツがどこへ行ったのか調べてみようと、仲間内で話し合っていた。
俺はアイツのアカウントを知らないが、知ってる奴が言うにはここ1ヶ月ほどは既読もつかないらしい。
ネットに転がる情報や、アイツの学力的に行けるような学校を絞り込もうとしてみたが、どうにも上手くいかない。
気づけばクリスマスが過ぎ、大晦日になり、とうとう年まで越してしまった。
初詣の願い事は、アイツにまた笑顔で会う事。
他の友人達も、同じ事を願ったようだった。
「なっ……」
俺は、テレビの前で絶句してしまった。
見れば、アイツの名前が出ている。名前だけ。
その横には、“死亡”と書かれていた。驚きすぎてまともに声が出ない。
遺体の発見場所は、隣町の廃屋だったそうだ。
状態が悪く、死後一月は経っているとのことだった。
俺は、急いで家を飛び出した。
立ち入り禁止の札の向こうには、テレビで見た光景が広がっている。
その近くには、見知った顔があった。初詣でアイツにまた会えるよう願った連中だ。
俺達の願い事が、無事に叶うことはなかった。
それからの、俺達の足取りは重かった。
なんせ友人が一人死んだのだ。やむを得ないだろう。
アイツの笑顔を思い出すたび、胸が苦しくなる。
アイツのことは忘れよう。そう心に誓った。
アイツを殺した犯人が判明した。
殺したのは、アイツの母親だった。世も末だ。そう思った。
遺体には、多数の虐待跡があったらしい。アイツの母親の証言によれば、日常的に虐待を繰り返していたとのことだった。
俺は、湧き上がる怒りを噛み締め、朝食を飲み込む事しか出来なかった。
時が経つにつれて、次第に事の全貌が明らかになってきた。
アイツは、しっかりといじめ対策のアンケートに記入していた。それを、転校先の学校の教師は無視した。
よく聞くような話だが、いざ関係者になってみれば非常に悔しい。
俺は、何かアイツの助けになってやれなかったのか?クラスメイトなのに?友達なのに?
どうしようもない悔しさがこみ上げてきた。それでも、どうにも出来ない非力な俺は、ただ泣き叫ぶ事しか出来なかった。
アイツが死んだと聞いたあの日から二週間が経った。
報道で取り上げられるのは、「なぜ虐待を止める事ができなかったのか?」で持ちきりだった。
太った中年男性が、神妙な面持ちで感嘆を語り、それに専門家達がツッコミを入れていた。
だが、この考えには致命的な落とし穴がある。
それは、この考え自体が「いじめをなくす事」を根本としている事だ。
いじめをなくす。これにはいくつかの方法がある。
一つは、本来の意味でいじめを防止する事。無論夢物語である。人間の性質上弱いものいじめは避けられない。
それを踏まえて取られるもう一つの行動はは、いじめを黙殺する事だ。
怠惰な教師連中は、自身の職場の評判を悪くしないために、たとえいじめがあっても黙殺するだろう。
それによって、アイツは死んだ。誰の助けも得られずに。俺が助ける事も出来ずに。
聞けば、転校前にもアンケートに書いていたそうじゃないか。報道機関の情報網には光るものがあるな。伝え方は問題あるが。
そのアンケートを、あのモラハラ担任は黙殺した。その姿が容易に想像できてしまう。
…嗚呼、最悪だ。反吐が出る。
「いじめをなくす事」を美とする社会が、こうも醜いものだとは。
「いじめをなくす事」を美とするのではなく、「いじめを見つける事」を美とすれば、この悲劇は起こらなかったのではないか。
小さないじめを見つけることすら功績としたなら、黙殺で人が死ぬことはないのに。
アイツの笑顔が、一瞬頭をよぎった。
アイツの葬儀に、俺達も参加した。
クラスメイト全員の顔は重く、沈んでいた。その中でも一人、担任だけは、やはりあの時と同じしかめっ面だ。
殴りたい。その気持ちを抑え込んだ。
雲間から、太陽が覗いていた。