第86話:決闘のあとに。
わたくしがなにやら暖炉の前にでもいるような暖かさと明るさの中で目を覚ますと、最初に見えたのは宙に浮かぶ紅の少女でしたの。
焔をその身体とし、炎の翼を生やしてゆったりと揺蕩うように飛翔していたその少女は、わたくしの目蓋が持ち上がったのを見届けると、にっこりと微笑んで飛び去りました。
天井は白い保健室のもの。右手はなにやらごつごつした物を握っていて……、ああ、これは義兄様の手ですわね。わたくしが右に顔を向けると、そこにはやはり心配そうにこちらを覗き込む義兄様の顔がありましたの。真紅に染まった瞳がわたくしを見つめています。
「グルルルル……」
わたくしが意識を取り戻したのに気づき、義兄様が控えめな声で唸りました。
「おはようございます、義兄様。
心配をおかけしました。……負けてしまいましたけども」
わたくしの右手を握る義兄様の手に力が込められます。ふふ、慰めてくれているのかしら。ありとうございますの。義兄様はベッドの脇、床に胡坐をかいて座っていますの。
ええと、クロは……。
『ここにおりますよ』
枕元のサイドチェストに新しい金魚鉢でしょうか。その中にいつものなまこさんに憑依しているのであろうクロから思念が送られます。
「大丈夫ですか?ウミユリさんは……」
『ええ、元気ですよ。ウミユリくんは〈送還〉いたしました。
ああ、アレクサ。最後の攻撃を止められず申し訳ありませんでした』
魔力をほぼ全て使ってしまっていましたからね。再度練り直す時間は取れなかったでしょう。
「いえ、クロは……、あとスティングも良くやってくれましたわ。
わたくしたちの力が及ばなかったということでしょう。なに、まだこれからですのよ。わたくしたちはまだ生きている。次勝てるようにすれば良いのです」
『はい、アレクサ』
(うにゅー……。いえすまむ)
あほ毛がゆらりと揺蕩います。
寝ているわたくしの足の方から女性の声がかけられました。
「アレクサンドラ、目が覚めたのかい?」
この声は……。
「いや、決闘としてはあたしの負けなのよ?
本当はアレクサンドラがあたしの化身を倒した段階で決闘は終わっているの。ほら、決闘のルールは、決闘開始時に杖を持ち名乗りを上げた者が倒れた段階で勝負が決まるでしょう。あたしの最後の攻撃は余計な悪あがきってとこね」
決闘としてはわたくしの勝ち……?そう言えばサイモン校長が最後にわたしの名を呼んだような……。
ゆっくりと身を起こします。義兄様がわたくしの背中に手を入れて身体を支えてくださいました。
声をかけたのは灰色の瞳に亜麻色の髪を後頭部で束ねた30歳前後に見える女性。胸元のネックレスが膨大な魔力を放ち、全身を魔力が渦巻いているのが分かります。いや、違いますわね。身につけている服、装飾品の全てが魔道具なのでしょう。
「ミセス・ロビンソン……ですわね。
決闘のルール上はわたくしの勝ち。……しかし、ミセスはそもそも決闘でわたくしを教導してくださっていたのを感じましたし、実力ではやはり及んでいませんの」
「ではどうすればいいかねぇ?アレクサンドラ」
ミセスがにやりと笑います。
「先程言った通りですの。力をつければいい。
わたくしは魔力量に関してはそうそう負けません。制御もクロのおかげで何とかなる方向性が見えましたの。
ですが術式への熟達は不足ですの。今回の術式〈ピンボールの魔女〉もぶっつけ本番に近いですしね。特に〈複数のアレクサ〉はさすがに魔力を使いすぎでした。
単純な武術に関してもハオユーに及びませんでしたし、まだ向上はできます。
クロはまだ召喚してから3ヶ月。まだ彼の力をわたくしが最大限発揮出来ていませんし、スティングは生まれたてですの。
……次は勝ちます」
「やめてくれないか。君たち。これ以上の規模で決闘などされたらわたしの心臓がもたないよ」
やめろと言いつつも楽しそうな声がかけられます。
ロビンソン卿ですの。背中にはさきほど目を覚ました時に見た焔の少女が。彼女がロビンソン卿の使い魔、炎の上位精霊、スカーレットですか。
わたくしたちも笑います。ロビンソン卿が言葉を続けました。
「決闘の最後、サイモン学長がアレクサンドラ嬢の勝利を宣言した直後か。あなたの義兄、レオナルド卿が魔剣を抜いてね」
……なんですと?
「サウスフォードの魔術師10人がかりで貼った結界を切り裂いて君の下に駆けつけたのだよ。メリリースを逃すのに大立ち回りになってね」
くっ、見たかったですの……!
「もー、レオ義兄様。わたくし心配は無いと言ってましたのに。
……でも、ありがとうございます」
義兄様はゆっくりと頷かれました。
ロビンソン卿はミセスと似たような表情でにやりと笑い、ミセスに話し掛けます。
「愛があるね?」
「ええ、あるわね」
ミセスは肯定されました。
わたしの顔に血が上るのを感じます。
「アレクサンドラ嬢、いや、レディ・アイルランド。失礼を承知で問わせていただく。彼を夫として迎え入れるつもりか?」
ロビンソン卿が問いかけます。真剣な表情。
「ええ」
「あなたとレオナルド殿は兄妹とは言え、血のつながりは無いと聞いている。だが貴族家である以上、同じ家名で結婚は出来ぬ。レオナルド殿がポートラッシュ家を離れたとして、彼は平民だ。辺境伯家が平民と結婚するというのもなかなか難しいと思うがどう考えている?」
ミセスがロビンソン卿の袖を掴んで言います。
「ちょっと、他領内の問題への干渉じゃないの?」
「それを……問う理由がお有りですのね?」
ロビンソン卿は頷きます。
「ああ、わたしの妻、メリーは元々ロビンソン領の平民でね。両親は結婚に賛同してくれていたが、それでも他の貴族家からはとやかく言われていたものだよ。
メリーから聞く限りだと、アレクサンドラ嬢の場合、父上のブライアン殿もこの件を知らないのではないか?」
「ふむ。ご心配いただけているということでしょうか」
「心配というより、ロビンソン伯爵家がどう動くべきかというのもある。あとは政治的なゴタゴタを避けておきたいのだ」
ロビンソン卿は少し申し訳なさそうな表情をなさいます。
「一応、今後の予想を言おうか。何もしないとアレクサンドラ嬢の下に高位貴族家からの縁談がいくつも舞い込んでくるよ」
なんと。いや、でも……。
「王家との、ルシウスとの婚約が破談となったわたくしを拾おうとするのですか?それこそ政治的に難しいのでは」
「今日の闘いを見ていた貴族たちなら、それでも、と思う者は多いだろうね。15歳でここまでの力を示すのは、大魔術士メリリース・スペンサーに土をつけるとはそれくらいのことなんだよ。
嫌な話だけど、アレクサンドラ嬢に子供だけ産ませて引き取ろうとか考えるかもしれない」
「グルルルルル……」
義兄様が唸ります。わたくしは繋いだままの彼の手をぎゅっと強く握りました。
義兄様がこちらを見ます。大丈夫ですのよ。そう想いを込めて見つめると、
「お父様はルシウスとの婚約破棄に対して、わたくしの自由にするようわたくしに伝えました。
恐らく……恐らくですがその後でわたくしがレオ義兄様を選ぶことは分かっているのだと思いますの。ライブラの貴族との縁談もわたくしが嫌と言えばお受けにならないはず。
……ですが断ることそのものがブリテンに亀裂を生むという事ですわね」
ロビンソン卿は頷き、微笑まれました。
「いや、分かった。こちらから内々に他家に連絡しておこう。アレクサンドラ嬢は既に決めたパートナーがいるとね。後はレオナルド殿の爵位の件だが?なんなら一時的にロビンソン家の養子としても構わないが」
ありがたいお話ですの。ですが……。
「爵位にあてはありますの」
「そうか」
ロビンソン卿は頷かれました。
ライブラの貴族家とは縁遠いポートラッシュ家にとって、とてもありがたい申し出でしたの。借りができてしまいましたわね。
「ありがとうございますの。
ところで養子の話が出ましたが、ロビンソン家って跡継ぎはいらっしゃいますの?」
「いや、まだいない」
ミセスがにやりと笑いました。
「あたしは90になったら引退する予定でねぇ。
そうしたらこの〈永遠の若さ〉の首飾りも売って、エリオットと領地で爛れた生活をしてね、そこで子供を産んで育てるさ。」
あー……なるほど。
その後も色々とお話を聞きましたの。〈永遠の若さ〉の使用中はそもそも子供を産めないとか、ロビンソン卿は年齢を調整して、ミセスと一緒に老いるようにしているとかね。
そうそう、ロビンソン卿からはエリオットと名で呼ぶことも許可いただきましたの。
エリオットさんはセーラムに宿をとっているとのこと。ミセスはしばらく寮に滞在して、再びお婆ちゃんの化身を創ってから、エリオットさんとライブラの魔術塔にある工房に戻るとの事でしたの。
こうして、波乱に満ちた魔術戦闘訓練は終わりを迎えることとなりましたのよ。
━━ <と、言うわけで四章エピローグです。
ξ゜⊿゜)ξ <皆さま、ポイントなどありがとうございますの!11000ptまできましたの!
━━ <イベントなどやっていたり微妙に忙しかったり感想返しが遅れていて申し訳ありません。今までに書かれているのは明日のうちに対応いたします。
ξ゜⊿゜)ξ <また、次話はいただいたイラストをまた掲載させていただきますの。今夜のうちに投稿しますね!
━━ <そして、次章、第5章最終章に入ります。引き続きよろしくお願いしますね!
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