第81話:もはんせんですの!
決勝戦の後、割れてしまったクロの金魚鉢や、穴のあいてしまったわたくしの礼装は校長先生が〈修理〉の術式で直して下さいましたの。
わたくしが授業後に保健室に寄って診察を受けて、それから寮に戻ると、寮の前に人だかりがありました。
その中から1年生のサリアが大きな花束を抱えて前に出てきます。
「優勝おめでとうございますアレクサ先輩!」
「ふふふ、ありがとうございますの」
まぁまぁ!冬だというのに黄水仙の花束じゃないですの!
春のディーン寮の庭を彩る花ですが、わたくしに知られずこの冬に咲かせるとなると、何人かで部屋で魔術使って育てましたわね。
わたくしがサリアから大きな花束を受け取ると、みなさんから拍手していただきました。
「ポートラッシュの名をサウスフォードに刻みましたね!」
サリアが言います。
おお、確かに。この学校でわたくしとサリアのみが同郷でポートラッシュの出身なんですわよね。
「3年後はサリアがポートラッシュの名を刻んで下さいましね」
「うう、わたしはあまり戦闘魔術得意ではないんですけど。……頑張ります!」
わたくしはサリアのおかっぱ頭を撫でます。
ところで……周囲を見回します。
「どうしました?」
「いや、大体いつもナタリーが飛びついてくるのに今日は来ないのかなと」
「あー……」
皆さま沈痛な表情です。
「ど、どうしましたの?」
「ナタリー先輩はー……えーと『お姉さまを祝福するにはもはやわたしがケーキになるしか!?』と錯乱なさいまして。
大量の材料を持ち込んで身体に塗りたくろうとしたのでミーアさんに怒られてます」
……もー、何をやってるのかしらあの子は。
寮に入ると甘い香りがわたくしたちを包みました。
「いい香り!」
誰かがそう言い、皆でその源である食堂へと向かうと、調理室ではミーアさんとミレイおばさまとナタリーが大量のお菓子を用意していましたの。
「あ!お、お姉さま!優勝おめでとうございます!」
メレンゲをかき混ぜながらナタリーが叫びました。
「ありがとう。ふふ、罰をうけてるのかしら?」
ナタリーがへにょりと眉尻を下げ頷きました。
ミレイおばさまが会釈し、ミーアさんが手を振ります。
「アレクサ!おめでとうにゃ!」
「ありがとうございますの!
あとは……ミセス・ロビンソンはいらっしゃいますか?ご報告しないと」
「今すぐ来るにゃ」
下級生の子が食堂の扉を開けると、人垣が割れて車椅子のミセスが近づいてきます。
〈騒霊〉さんに押されてるのか、ひとりでに車椅子が進んでいますの。
「ミセス・ロビンソン!ただいま戻りました!
わたくし魔術戦闘訓練で優勝しましたの!」
ミセスは頷かれると、ゆっくりとこちらに手を伸ばしてきました。
わたくしはそっとそれを握ります。
「おめでとうねぇ、アレクサンドラ。見ていたわよ。
今年は本当に生徒たちのレベルが高かったけども、その中での優勝。素晴らしい戦い、素晴らしい勝利だったわ」
「ありがとうございますの」
わたくしは頭を下げます。拍手がおこりました。
ふふ、皆さんに祝福されて嬉しいですのよ。
「ドロシアも5勝かい?頑張ったわねぇ」
ミセスの声に、呼ばれると思ってなかったドロシアが慌ててミセスの前へと小走りに駆け寄ります。
「あ、ありがとうございます!」
「ふふ、おめでとうございますの」
ドロシアがこっそり肘でわたくしを小突きます。皆さんからはもう一度わたくしたちに拍手。
「今日はパーティーかね。楽しみにしているかねぇ。
その前にミーア、ちょっと校舎に向かうわ。供をなさいな」
「はいにゃ」
ミーアさんが手を洗って調理場から出てきました。
「会議室で臨時の話し合いがあるはずだからね。ちょっと行ってくるわ。
戻ったら料理とお菓子を楽しみましょうね」
皆さん楽しそうに頷かれます。
「あ、そうそう」
食堂の入り口でミセスが振り返りました。
「アレクサンドラや。来週の魔術戦闘訓練模範戦だけどね」
「はいっ」
ミセスがにやりと口元に笑みを浮かべました。
「対戦相手はチャールズ先生ではなく、わたし、メリリース・ロビンソンが相手することになるから」
「「「は?」」」
「よろしくねぇ」
ミセスはそのまま部屋を去られます。
「「「えーーーー!」」」
大騒ぎのパーティーの後、部屋に戻り、そのままベッドに倒れ込みます。
「ふーっ……、いやあ盛り沢山な1日でしたの」
『お疲れ様でした、アレクサ』
わたくしはごそごそとベッドの上を這って、クロのエサの入った瓶を掴むと餌をやりつつお話しします。
「ふふー、優勝ですのよ」
『おめでとうございます』
(おめでとうー)
「クロもスティングもありがとうございますの!
ふふふふー」
『嬉しそうですな』
「それはもう!
お父様や義兄様にも伝えないといけませんし、模範戦闘はミセスとですしね!」
その夜はクロとお喋りしている間に、疲れがでたのか着替えもせずに寝てしまいました。
そしてそれから1週間は、皆さまばたばたとお忙しそうでしたの。
翌朝、学校の掲示板に4年生の魔術戦闘訓練の優勝者がわたくしという事と、模範戦の相手がミセスであると掲示されると、王都を始め各地へ何羽も使い魔や魔術の鳥が放たれました。
そして翌日以降続々と集まる魔術士や貴族の方々。さらには新聞記者さんたち。
校門の前で馬車や記者が渋滞を起こして、門番の人と押し合いへし合いし、セーラムの街の宿屋さんも満席だったようですの。
「ミセスが戦うって凄いんですのね」
わたしの呟きに、何言ってんだこいつという目でクリスに睨まれました。
「何言ってるのかしらこの子は」
実際に口にされましたの。
「ミセスは世界で最も!高名な!付与魔術師の頂点!大!魔術士!よ!
そしてあの方が戦う様など誰も見たこと無いんだから!」
クリスは一言ごとに力を込めて力説します。そうですわよねえ。
「でもミセス、強いのかどうかすら分からないんですわよねぇ」
また何言ってんだという目で見られます。
「いや、強いのでしょうけども。お婆さまですわよ?移動も車椅子ですし。殴って大丈夫なのかしらと不安になりませんか?ご本人の魔力量も低いですし。
使い魔が絹糸紡ぎ蜘蛛の上位種なのは聞いてますし、ご本人の作られた魔道具があるから強いのは分かっているのですが……どうにも。そうですね。強さがわたくしでは理解出来ないということでしょうか」
クリスはため息をつきます。
「まあ、気持ちは分かるわ。お婆さまだからね」
わたくしは頷きます。
「わたし、ミセスにインタビューしたの」
ほう。クリスは新聞部のエースですからね。
「決闘が終わるまで、インタビューの内容は教えられない。そう約束したから。
でもね、アレクサ。1つだけ教えてあげるわ。あの方はここの卒業生で、65年前の全勝者よ。
冬至祭の時に言ってたでしょ、当時ミセスの使い魔の蜘蛛は召喚したてでほんの小さな蜘蛛だったって。それでも優勝されたそうよ」
なんと。わたくしの唇が笑みを浮かべているのを感じます。
「ありがとうございますの、クリス。全力でミセスの胸をお借りする気になりましたのよ」
決闘の場所は校庭全体を舞台として、魔術で周囲の土を盛り上げて椅子を持ち込み、臨時の闘技場が作られましたの。
その日は他の授業も休み、全学年が見学に来ます。
観客席ではナタリーが私に大きく手を振っています。あのあたりにディーン寮の生徒が固まってますのね。
わたくしも手を振り返しました。
外部の方の見学も特別に許され、4年生の生徒には優先的に家族席が作られたので、わたくしも義兄様とイアン副長を連れてきましたの。
「グルルルル」
「義兄様、わたくしの戦いを見ていて下さいましね」
「あー、アレクサンドラ様?レオナルド隊長が暴れられたらどうするつもりです?
……結構な貴族の御歴々が観に来てるのですけども」
闘技場の椅子に座れなかったため、砂地の上、壁にもたれ掛かって座る義兄様とお話していると、イアン副長は不安げな様子でこちらを見ます。
「イアン副長が止めますのよ?」
「ちょっ……!」
「ふふ、冗談ですのよ。大丈夫ですの」
わたくしはレオ義兄様の前に立って右手を斜め下に突き出すと、彼は片膝をつき跪きました。
「騎士レオナルド、これからわたくしが向かうのはわたくしの戦場。手出しは無用」
「グルゥ……」
「なに、勝っても負けても命を取るような戦いでは無い。安心して見ていますの」
「ガゥ」
わたくしが手を下ろすと、後ろから拍手が起きました。
振り返ると闘技場にあらわれたミセスの姿と、彼女の車椅子を押す壮年の男性。
灰色の髪に榛色の瞳をしたその男性が手を叩いています。極めて強い魔力を感じさせる方で、チャコール・グレイの三つ揃えに魔術師塔の術士が着用するマントを羽織り、脇には銀で象嵌された黒檀の杖を挟んでいますの。
「ライブラでは狂犬レオナルドの噂を良く耳にしていたが、しっかり御しているではないか。
ただひとりのための忠犬ということか」
む。わたくしは頭を下げます。
「はじめまして、おじさま。アレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュと申しますわ。こちらは義兄のレオナルドですの」
「これは御丁寧に、美しいお嬢さん。わたしはエリオット。
彼女、メリリース・ロビンソンの夫をしているよ」
男性はこちらに歩み寄ってくるとそう答えました。彼がエリオット・ロビンソン伯爵!お若い!
ミセスと同い年の筈ですから80歳なのですが、40か50歳くらいにしか見えませんの。
「妻から君の話は聞いていてね。会えるのを楽しみにしていた」
「光栄ですの、ロビンソン卿。今日は奥様の胸をお借りするつもりで、全力で戦わせていただきますの」
その時、客席からどよめきが。
ミセスの足元に召喚円が輝き、巨大な蜘蛛さんが出現しましたの。体高は2m、体長は3m以上。灰色と茶色の体毛に覆われ、漆黒の複眼が周囲を見渡してますの。
あれがミセスの使い魔、絹糸紡ぎ蜘蛛の上位種、ラーニョさんですか。
ラーニョは前脚の1つをこちらにひょいと掲げました。エリオットさんがそれに応えて手を上げます。
ふふ、ちょっと仕草は可愛いですわね。
風が、闘技場を吹き抜けていきましたの。
まだ3月の前半ですが、ポートラッシュよりここセーラムは暖かいですわね。絶好の決闘日和でしょうか。
エリオットさんは、わたくしに向き直ると、わたくしの胸元か首筋のあたりに視線をやり、「手加減無しか、メリー」と呟かれました。
「アレクサンドラ嬢、戦いはもう始まっている。僅かな違和感にも気を払い、油断なされぬことだ。健闘を祈る」
「ご助言ありがとうございますの」
その言葉にわたくしが礼を言うと、彼はミセスの元に戻り、言葉を交わし、闘技場内の壁際へと立ちました。
先生方が入場されます。
おや、今日は審判がサイモン校長ですわね。チャールズ先生は副審の位置に移動されますの。それ以外にも医務室の先生や結界に魔力供給されるために沢山の先生方が壁際に並びましたの。
みなさんが所定の位置につくとサイモン校長の声が闘技場に響きます。
「これより、サウスフォード魔術学校、4年生の魔術戦闘訓練優勝者と教師による模範戦を始める!
今年度優勝者、アレクサンドラ!」
「はい!」
――おねーさまー!がんばってー!
ナタリーの声が響き、会場が笑いに包まれます。
「例年だと対戦相手は教師が勤めますが、今年はある方の立候補がありましてな。会場の皆様方も彼女が戦うと聞き、いてもたってもいられず、ここへと駆けつけたのでしょう。
大魔術士、メリリース・ロビンソン!」
どよめきと歓声。車椅子の上、ミセスが軽く手を上げてそれにこたえます。
「では両者、前へ!」
「行きますわよ。クロ、スティング」
『はい、アレクサ』
(いえすまむ)
わたくしは背後にクロを従え、アホ毛が揺れるのを感じつつ所定の位置へ。
作法通りに会釈すると腰の杖を抜き、ゆっくりと体の正面に構え、名乗りを上げます。
「我が名はアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。使い魔クロを従え決闘に臨む」
ミセスは車椅子に座ったまま、ゆっくりと膝の上から杖を右手にとります。かなり細く、軽い杖ですのね。おそらくはご自身で作られたのでしょう。
「我が名は大魔術士メリリース・ロビンソン。号は“神御衣の編み手”。使い魔ラーニョを従え決闘に望む」
痛いほどの沈黙、注がれる無数の視線。
サイモン校長が手を上げます。
「始め!」
その瞬間、わたくしの意識が消失しました。




