第77話:だぶる・しんく
今話は次話とのバランスでちょっとだけ短め。
次話を早めに上げたいので、今話にいただいた感想は、次話投稿後に返信いたしますね。
クルーアッハと呼ばれていた蛇さんががばりと大きく口を開けてクロを丸呑みにしてしまいましたの。
「……大丈夫かしら?」
胴体の上の方がぽっこりと膨らんでいます。
わたくしが眉を顰めていると、ハミシュから声が掛けられましたの。
「蛇は毒を体内で生成するだけあって消化力は高い。今降参するなら消化される前に吐かせて助けられるが」
「……ん?……ああ。わたくしが心配しているのはクロではなく、クルーアッハですのよ」
「何?」
「いや、クロは召喚魔術が得意なのですが。お腹の中で海栗さんたちをたくさん召喚されたら流石に可哀想だなと」
うう、自分で言っていてなんですけど、想像するだけでも痛いですの。
蛇さんの表情は分かりませんが慌てたように忙しなく動きます。すると、お腹が風船のように膨らんできました。
「お、おい」
ハミシュがそう問いかけると、彼の前で大きく口を開き、大量の水を吐きました。
「……海水?」
磯の香りがしますの。クルーアッハの口からはその体積を遥かに超える海水が吐き出され、地面を濡らしていきます。
そしてそれに押し出されるように、黒くて太い棒が、クロがごろごろと押し流されてきましたの。
「おかえりなさいまし。穏当に海原を顕現させましたのね」
『ええ、ただいま戻りました』
ふむ。クルーアッハは大量の海水を吐かされて、外傷はありませんが弱っている様子ですの。ぐったりとしていますわ。
「〈乾燥〉」
ハミシュは自分の足元の水分を飛ばして地面を踏みしめ、銃剣を突き出してきました。
む、上手いですわね。わたくしの足元がぬかるんで滑りやすく……っと。ここは無理せず大きく後ろに跳びますの。
「〈空中歩行〉」
わたくしが空中で踏みとどまると、
「〈解呪〉」
すぐに足元を破壊してきますの。ばしゃりと水音を立てて地面に降り立ちます。
足元に気をつけながら、迫るハミシュの銃剣を捌きます。
――ダン!
わたくしが銃剣を打ち払った瞬間にハミシュが発砲。銃弾がわたくしの腕に当たり、バランスを崩します。
ぬかるみに転倒し、ハミシュの追い打ちの刺突から逃れるため、地面を転がって泥まみれになりながら距離を取ります。
(やーん)
髪が泥と海水を吸い、アホ毛が悲鳴をあげました。
「〈蛇毒〉!」
ハミシュが蛇さんを媒介に海水を毒液へと変化させます。
わたくしは一瞬だけ水属性魔力を解放。水属性の最も基本の魔術の1つを最大限に強化して放ちます。
「……〈水浄化〉!」
わたくしが立ち上がる時には毒液も、泥も、塩分も。全てが真水となり、流れ落ちていきましたの。
頭上でアホ毛がぷるぷると震え、残った水分を飛ばします。
慌てたようにクロが〈念動〉で身を宙に浮かせました。……ああ、真水はダメなんでしたか。
ハミシュはその間に小銃を再装填しています。
「あー……分かった気がしますの。〈矢避け〉の術式は至近から撃たれると避けきれないのですわね?」
「知らんのか。その手の術式の射出武器への結界が発生するのは体から30cm先だ。
それより内側で撃てば影響を無視できる」
いや、その距離で射撃武器撃たれる事って普通ありえませんのよ?射撃武器としてのメリットがほとんどないではありませんか。
「なるほど。ありがとうございます。勉強になりましたの。
ああ、そのための銃剣でもありますのね?その刃渡りより内側なら当たると」
ハミシュはそれには答えず、再度小銃を構えましたの。クルーアッハはハミシュの脚を登り、肩のあたりへと巻き付きます。
クロがわたくしの横へと移動し、わたくしに思念を送ってきます。
『クルーアッハ、彼に飲み込まれた際に体内に魔力の繋がりを打ち込みました』
あら。さすがですわね。
『彼に繋がる魂絆は2本、1本はハミシュに、もう1本は遥か遠くへと繋がっています。
そちらの情報を送りますね』
――遥か遠き山の上、荒涼たる景色、南方を向き瞑想する、老境に差し掛かった男、色落ち白くなった金の髪……。
クロからイメージが送られ、共有されていきます。
「……片眼が失われたる蒼き鷹の目、全身を包むキルト、杖の代わりについている銃……そう、クルーアッハ。あなたの先にいるのがわたくしたちのお祖父さまですのね」
「じじいもお前も化け物か。ハイランドとサウスフォードが何㎞離れてると思ってる?この距離を知覚するとは」
ハミシュが驚愕と共に吐き捨て、クルーアッハが笑みを浮かべたように見えました。ずるずると頭をもたげ蛇から思念が放出されますの。
『おお、我が孫アレクサンドラよ』
わたくしは胸に手を当て、蛇に向けて頭を下げます。
「はじめまして。お祖父さま。アレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュと申します。
産まれてよりこのかたの長きに渡るご無沙汰、失礼しておりますの」
『構わぬ。魔境アイルランドの苦境については理解しているつもりだ。
だがまあ、汝がこの学び舎で学ぶだけの余裕があるなら、一度この地、ハイランドへと来たれ』
「ええ、わたくしが勝ってハミシュに連れて行ってもらいますのよ。お会いできる日を楽しみにしてますわ」
『聞いていたぞ。わたしはハミシュが勝って、汝とすぐ会えることを期待していようか』
ずるずるとクルーアッハはハミシュの背中に垂らしたキルトへとまた姿を隠しますの。
さて……、ハミシュはその間動いておらず。ですが……。
「ハミシュ、あなた二重思考の使い手ですわね?
あなたはずっと単詠唱の魔術しか使っていませんが、あなたの練っている魔力とそれで使っている魔力の量に差がありますの」
魔術は基本的に一度に1つづつしか使えませんの。それを同時に複数使う方法。一定レベル以上の決闘士や戦闘魔術師たちは用意しているものですわ。
わたくしだと予め登録したキーワードによる多重発動、“Go Ahead”や“Kill Them All”の掛け声と共に、幾つかの強化魔術を自動で発動するように登録していますの。
他にも遅延魔術や魔道具の使用、珍しいところでは詠唱の口を増やすなどもありますわね。クロがドラゴンのザナッドと決闘した時に召喚していたピンクのなまこさんもその類でしょう。
二重思考あるいは多重思考はその一種。多重発動に比べて同時に魔術を行使できる数は少ないですが、事前に決めなくても良いために汎用性は非常に高いですの。
「気づかれたか」
ハミシュが眉をひそめますの。
「しかも決闘開始時からずっと。今も1つの術式のための集中を続けている。大魔術ですわね?」
「お前みたいなバカ魔力がある訳ではないからな。そこまでの大規模術式ではないが……。まあ弱体化魔術師の奥の手、呪文操作系統の奥義の1つを見せてやろう」
ハミシュの内側から、その魔力のほぼ全てであろう量が放出されます。放出された魔力が物理的な影響力を伴い、光と風が起こり彼のキルトがはためきます。
「〈一時的魔力枯渇〉!」
彼から起こる風と共に、大気中の魔素が失われていきます。
わたくしが自身を強化していた術式、その魔力も解けていきますの。
クロの高度がゆっくりと下がっていき、ぽとりと地面に落ちました。
校庭に張られた結界が、内側より融けて失われます。
「クロ?」
返事の思念が戻ってきませんの。




