第72話:比武・後、もーここーはざん/どらごんすれい
左の拳を前に、右の拳を腹に。前に構えた拳はアレクサンドラ嬢の構えた腕と絡まるような至近距離。軽く触れた場所からチリチリと、魔力の火花が散る。
舐められている……?
違うな、彼女はただ見たいだけだ。彼女の知らぬ技法を。そしてそれを糧にしようとしている。
彼女は勝利に対して貪欲なのではない。強くなることに対して貪欲なのだ。
いいだろう。八極拳の神髄。八極の彼方へ届く威力の打撃というものを見せてやろう。
「では……」
接する左手に気と魔力を込める。[聴勁]が彼女の意識がそちらに向いたのを教えてくれる。
一歩前へ。彼女が気づくが遅い。反射的に彼女の動き向き直る力すらを[纏絲勁]が絡めとり、わたしの力に。
[十字勁]が臍下丹田より外の向きへの推進力を産み、着弾の瞬間に拳の捻り、そして[沈墜勁]、震脚。
――ダン!
重力、作用反作用の力、捻りの力。全てを一点に重ねて威力とする。それが八極拳の発勁。
馬歩冲捶。師父が最初に教えてくれた技にして、いまだその深奥に至れぬ八極拳の基礎にして奥義。
だがそれでも。それでも貫けぬか。ダメージは与えているものの、彼女の腹部に集中された魔力が物理的な密度を伴い、わたしの拳がめり込むのを阻む。
左手に勁を流し、些細な動きと視線、隙、気の流れで彼女の動きを誘導。
彼女はわたしの背後に回り込む動きをしたと思っているだろうが、彼女はわたしの背後に回り込まされているのだ。
前進の動き。左脚が右脚に追いついた段階で左脚を軸に背面に反転。腰を横に回したうえで縦に落とす。
――ダン!
震脚と共に背中でアレクサンドラ嬢を吹き飛ばす。鉄山靠。背中での体当たりをする武術は他にもあれど、八極拳のそれは威力が数段上だ。
背中から伝わる衝撃、彼女の魔術障壁を破る。だが勁力が化かされている。あの瞬間に後ろに跳んでいるのか!?
反対側に回転。間合いが開きかけているので、ここで劈掛掌の動き。[轆轤勁]を練りもう一度回転の力を右手に乗せて振り下ろす劈打!
交差受け。彼女が頭上に腕を交差してわたしの右手を受け止め、結果5mほど後ろへと吹き飛ぶ。
思わず舌打ちが零れる。
「硬きこと魚鱗のごとく、柔らかきこと蛇身のごとし。アレクサンドラ嬢ほんとうに龍かなにかですか?」
「龍じゃないわ。竜殺しですのよ」
なるほど、龍よりさらに上ですか。
言葉と共にアレクサンドラ嬢が突進してくる。右の長い突き。それを起点に両の拳の連打。連打。それも軽いものではなく、一打一打に重さと硬さを伴ったものだ。
負けじと連打。拳同士が、腕と拳が打ち合う音が、無数の剣戟が交差するような轟音を響かせる。
あ、いかん。打ち負ける。今度はこちらが両腕を交差しての受け。[化勁]で威力を殺すも、地面に転がされる。
「ハオユー、大丈夫か!」
チャールズ先生の声。垂れた鼻血を気合で止めて答える。
「大丈夫、かすり傷です」
あー、回転数勝負に持ち込まれると無理だな。馬力が違うわ。やはり完全な発勁の一打を当てるしかない。
わたしは破れた漢服を脱ぎ棄て、左の拳を前に、右の拳を腹に。先ほどと同じ構えをして、近づいていく。アレクサンドラ嬢はにやりと笑うと、無造作にわたしに近づき、左の拳を合わせた。
「極めて珍しく、面白い魔術の仕様ですわね」
「分かりますか」
「重力支配者でしょう、ハオユー。人間が使うのは初めて見ましたの。
しかもそれを一切詠唱せず、特定の身体の動きに連動させて発動させる方式。あくまでも勁ですか?その動きの補助にのみ使っている」
ため息をつく。
「支配者までいけるほど、熟達もしてなければ魔力量もありませんよ。
ですが重力使いです。いや、丸裸にされている気分ですよ」
「ここが魔術学校で、あなたが魔術師と思って見ていなければわたくしも気づかなかったでしょうね。
さて、まだいけますの?」
「無論」
アレクサンドラ嬢の左手に勁を流す。バレてるならもはや関係ない。崩しに全力で魔力を使わせてもらおうか!
アレクサンドラ嬢と触れる左手から[十字勁]と[纏絲勁]の方向に沿って、〈重力操作〉の術式を使用。今、彼女は急に斜面に立ってるような感覚になっている筈。
蹈鞴を踏む彼女に向かい、馬歩冲捶の動きで踏み込み、右拳。
――ダン!
魔術障壁で同じように受け止められるも、右拳を開き、顔狙いの掌打。
互いの左腕は絡み封じられている。彼女の右手でわたしの手を掴ませ、わざと防御させたところで、[沈墜勁]。彼女の両脚の間に一歩踏み込んで避ける動きを封じつつ腕を折りたたんで肘を真横に、身体の下へ潜り込み……震脚。
――ダン!
巌の如く固定されたわたしの身体。彼女の鳩尾に肘が刺さる。
絶招、[猛虎硬爬山]!
「っ!」
呼気が漏れる。金属同士が打ち合うような音ではなく、肉を穿った感触。吹き飛ぶアレクサンドラ嬢。
……………………………━━
巨大な鉄塊がわたくしの腹に突き刺さったような感触と共に、大きく吹き飛ばされ、地面をごろごろと転がり倒れます。
……あー。
震える脚を鼓舞しつつ、急いで立ち上がります。思わず胸を見ます。穴が開いてないのが不思議なほどの衝撃でしたの。
「あー……ぐぼっ」
いや、中に穴が開いてますの。口の中に上がってきた鉄錆の臭い。
口中から地面に鮮血をまき散らします。肺に肋骨が刺さりましたわね。
クロの術と、わたくしの魔術によって身体が修復されていきますが、肺腑に血液が溜まっていきます。
「ごほっごほっ……うぇぇぇ」
あー、ナタリーの〈未来視〉、的中ですわね。
「アレクサンドラ!」
チャールズ先生の声。決闘を止めようと上がってこようとする彼を、手を横に伸ばして制止しますの。
「あー……。ごほっ。なに、ほんのかすり傷ですのよ」
「「いやいやいや」」
見学のみなさんが全員で首を横に振ってますの。
わたくしは最後に口中に上がってきた血を地面に吐き出すと、再び構えを取ります。
「あ、あー……。ハオユー。今の隙に追撃入れていればあなたの勝ちだったかもしれませんのに」
ハオユーは困り顔です。
「……絶招たる[猛虎硬爬山]を完全に決めて、死んでないあなたがおかしいだけだ」
「ごほっ……。絶招とは必殺技という意味でしたかね?
もーここーはざん、それが今の技の名前ですの?素晴らしい技でした」
手首を返しながら肘を叩いてみます。なるほど、なるほど。
「わたくしも肘撃ちは使いますけどね。手首を上に向けていたほうが、関節が固定されて衝撃が大きくなるとは思いませんでしたの。
それに脚の位置取り、踏み込むタイミング。全てが美しくデザインされた技ですわね」
「ありがとうございます。
……それを何発叩き込めば龍は墜ちますか」
「人を殺すにも、竜鱗を穿つにも充分。
ああ、ハオユー。そうですわね。良き功夫でした。わたくしがあなたに技で上回れる日は来ないでしょう」
「……ふむ?」
体の奥底、普段封印している魔力へとアクセスします。
「ならば圧倒的な出力で上回れば良い」
開放。
わたくしの魔力が結界内を染めていきます。
青く、暗く、蒼く、昏く。
「……あなた本当に人間か」
ハオユーの額から汗が滴り落ちます。
「ふふ、わたくし、無属性強化魔術師ではなく、水属性強化魔術師ですの。
海に住まう神であるクロを召喚できたのにもちゃんと理由がありますのよ?
お返しに屠龍の技を見せて差し上げますわ。死なないで下さいね?」
結界内に満ちた魔力全てを脚へ。両脚が水気を纏い、白いズボンが内側から蒼く輝きます。
「行きますわよ」
わたくしはサッカーのシュートのように大きく振りかぶって、
届かぬ位置で蹴りを放ちます。
「〈聖ジョージの槍〉!」
大層な名前をつけた、ただの蹴りですの。
ただし、わたくしの全強化魔法で加速し、全属性魔力を纏ってぶっ放した、ね。
竜を殺した時は魔力を槍のように尖らせましたが、今回は勢いはそのまま、波のように広く放ちます。
ガラスが割れるような音と共に背後の結界が割れ、ハオユーは胸を大きく切り裂かれて、血を吹き出して倒れました。
「勝者、アレクサンドラ!治癒魔術をはやく!」
ξ゜⊿゜)ξ <パワーで上回れば良かろうですの!
ちなみにアレクサが真に全力で魔力を使うのは第一話以来です。
実はあの時に書いてるんですよね。
彼女の魔力が蒼いと。
聖ジョージ。
多分、ゲオルギウスとかゲオルグって言い方の方が馴染みがあるんじゃないかな?
英語読みは聖ジョージ。
キリスト教のドラゴンスレイヤーの聖人、獲物は槍。
イングランドやジョージアの国旗、白地に赤の十字を聖ジョージ十字って言いますよ。




