第71話:比武・前、うりゅうばんだ
「ひぶ……?」
アレクサンドラ嬢は軽く首を傾げた。
「ええ、武術の腕前を競いたいという意味です」
「魔術を使わずにですか?」
「いえ、我の気功もまた魔力の一形態。魔術の使用は構いません。ただ、拳を以てあなたと戦いたい」
彼女は少し考えて言う。
「クロを戦いに参加させず、武器を使わず、攻撃魔術や弱体・呪いあたりの魔術を使わなければ良いかしら?」
『おや、わたしは見学ですか』
わたしがその言葉に礼で返すと、彼女の後方に浮いていた水槽の内より声がした。
水槽の中のなまこ、周囲の者たちは神気に疎いようだが、明らかに一柱の神である。わたしは膝をついた。
「クロと呼ばれし、いと深き神よ。御身に我が拳を届かせること能わず。故にご不快な申し出をすることをお許しください」
『……礼儀正しきリン・ハオユーよ。我は不快には思わず。ただ、アレクサの想いを優先するのみ』
顔を上げるとアレクサンドラ嬢と目が合った。
「いいですのよ。
ええと、あなたの使い魔は……」
わたしは立ち上がり頷く。
「来たれ、“紅桜”」
足元から紅い飾り穂のついた2m弱の長さの槍が出現する。それは宙を舞うとわたしの手の中に納まった。
「そう、珍しい無機物系の使い魔でしたわね」
わたしは舞台の隅に槍を突き刺した。すると彼女の使い魔の神、クロが入った水槽がそちらへとふよふよと飛んでいき、紅桜の石突の上に乗った。
『わたしたちはここにいるとしましょうか』
そういうことになった。
アレクサンドラ嬢がチャールズ先生に決闘ではなく比武を行うという旨を伝えに行く。
……3年前を思い出す。
「浩宇、お前はここで魔術を学べ」
我が師父はサウスフォードの校門の前にわたしを連れてくると、突然こう告げた。
「嫌だ。わたしが学ぶのは師父からだけだ」
12歳だったわたしが見上げてそう言うと、師父は笑みを浮かべた。
「なるほど、浩宇は一生わたしに負け続けたいのだな」
「……わたしはまだ師父の功夫を学びきっていない。それに師父の功夫は最強じゃないのか」
師父は旅の途中、絡んできた兵士もごろつきも魔獣も、全て徒手で倒してきた。
「どちらも否だ。お前に伝えた套路、あれにはわたしの教えの全てを詰めてある。
それにな、我らは最強には程遠いのだ」
「なぜ」
「考えてみよ、真に我らが最強であったなら。中華が失われることも、我らが漂泊の民となることもなかっただろう」
「……師父はどうするのだ」
ぽろぽろと涙がこぼれた。
「ラツィオに行くよ。かの闘技場で我が功夫の有用性を証明したい。
武器を持ち、魔術を扱う一流の決闘士たちに、拳で立ち向かってみたいのだ。
おそらく、わたしの闘士としての寿命はそう長くはないだろうからな」
あの時、師父は30代後半であったか。
「ここで学べ、浩宇。6年後、卒業したらラツィオに来い。
その時、わたしはお前に決闘士として学んだことを教えてやろう。そしてその時、お前はわたしに魔術を教えてくれ」
師父はわたしの頭に手を置いて語った。わたしは袖で涙を拭い、頷いた。
「わたしも闘技場で勝ったり負けたりする中で学んでいくだろう。ここにはお前を導く新たな師や、同年代の強者が必ずいるはずだ。浩宇、そいつらから1つでも多く学んでくるんだぞ」
……そう、彼女こそ強者、真の龍だ。
アレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。その大半が幼くして死ぬという先天性の魔力過多症を克服して力とし、10になる前から魔族と切り結んでいたという女傑。
立場もあり、なかなか話すこと叶わなかったが、彼女もまた日々の功夫を欠かさぬことは見知っている。
そしてテッドの使い魔であるオーガとの打ち合い。魔族化したキースを圧倒し、高位の淫魔を撃破したというその腕前。
その立ち居振る舞いには常に魔力と自信に満ちる、まさに龍。
我が功夫は龍を穿てるのか、龍の尾くらいは捕まえられるのか、それともまるで歯が立たぬのか、歯牙にもかからぬのか。
ああ、師父の言うとおりだ。サウスフォードに来て良かった。
「始め!」
チャールズ先生が改めて戦いの始まりを告げる。
「Kill'em All!」
フレーズと共にアレクサンドラ嬢の身に無数の魔術が展開される。大気が、大地が喜んで彼女に魔素を供給するかのようだ。
「コオッ!」
[呑吐勁]。気を吐き、胸を縮めてより勁を蓄える術。
そして[練気]。気を充実させ、肉体の強度そのものを高めていく。
魔術師の扱う魔力、内なる魔力と外なる魔素。それは気と同質のものであった。
師父が仰った通り、魔術を学ぶことで[練気]の速度、力強さは目を見張るほど増した。
わたしは腰を落とし、開手で片手を顔の前に、片手を腰溜めに構える。
アレクサンドラ嬢が拳を上げる。
右拳を顔の横に、左拳を前に出す構え。ボクシング……否、総合格闘技や軍隊式といった構えか。脚への防御の意識がある。
幾度となく死線をそれで乗り越えてきたことが分かる美しい構え。
ゆっくりとお互いに近づいていき、わたしの手と彼女の拳が触れる。
――キィーーーーンッ…………!
触れた手から鐘を打ち鳴らしたような金属音。
わたしの[金剛気功]と同等以上の強度を彼女の拳は有する……当然か。
「はっ!」
アレクサンドラ嬢のジャブ。視認して反応などできる速度ではない。
ただ[聴勁]、相手の筋肉や魔力の流れを感じることによって発生する先読み、ただそれのみを信じて殉じ、未来の拳の軌道に掌を置く。
――キンキンキン!
金属音3つ。ジャブを受けた音とは思えぬな。
間合いが遠い。彼女が何やらこの戦いの前に急に身長が伸びたこともあるが、思ったより拳が伸びてくる。
再び放たれるジャブ。
――キンキン!
拳を受けつつ、鷹翅の形を意識した抜き手で彼女の拳の内側、手首の経絡を穿つが弾かれる。
彼女の顔に笑み。
「ハオユー、経絡秘孔の類はそうそう通らないと思いますのよ」
彼女の全身を覆っている魔力が、わたしが一点に集中させた気より強い、これが龍か。参ったものだ。
小手先の技では通らぬなら全力を以て撃つしかない。
大開大合の構え、大の字のように大きく四肢を広げて、両腕をぐるりと回す。
それを隙と見たか、再び打ちかかるアレクサンドラ嬢。
ジャブを左の開手で弾くと、飛んでくる右ストレート。……ここだ!
右腕を合わせて半身になって背中側に回すように受ける。
――ギィン!
と重い金属音、服の袖が肘のあたりから裂けていく。
介せず腰を水平方向に回転、[轆轤勁]を生かして大きく両腕を回して右腕を後ろに。彼女の体が前に流れ、そこに左手を振り下ろし、完全に彼女のバランスを崩す。
わたしの前には断頭台の前で首を差し出したかのように後頭部、延髄を露にするアレクサンドラ嬢。
「シィッ!」
遮るものない後頭部に、先ほど体の後ろに回した右手を、さらに一回転。大きく勢いをつけ、右の掌を振り下ろした。勁も気も乗った全力の一撃。
烏龍盤打!
(きゃー)
珍妙な声が脳裏に響く。
会心の劈、振り下ろしであった。しかし、掌からは叩いたという感触がしない。
わたしは後方に跳び退った。
アレクサンドラ嬢はゆっくりと身を起こす。
「わたくしの髪を素手で傷つけるとは…………。
やりますわね、ハオユー」
彼女は千切れた髪を数本掴むと、それを風に靡かせ捨てた。螺旋の髪が怒ったように渦を巻く。
「いや……、烏龍盤打をあそこまで完全に決めて、髪が千切れただけとか。こちらこそ意味が分かりませんな」
虎を相手取ったとしても脳挫傷を起こして倒せるような出来だったと思うのだがな。
髪で受けられるとは。そして気そのものも無効化されているに近い。[化勁]か?
ああ、そうだ。あの髪、魔力を吸うんだったな。
「1つ伺いたいですの」
アレクサンドラ嬢は構えず、言葉を告げる。
「答えられることなら」
「いつも朝、訓練していた型、套路と言いましたか。あれと動きの質が違いませんか?」
へえ。思わず笑みが浮かぶ。西洋人でもちゃんと分かるのはいるのだな。
わたしも構えを解く。
「どう違って見えましたか?」
彼女はしばし考えて告げた。
「套路でみた動きはもっと直線的で力強い動きでした。今の動きは曲線的で回転運動が肝要なのかと」
「素晴らしい。正解です。あなたが見ていた動きは八極拳、今の動きは劈掛掌です。
この2つの動きは互いを補うことができるので、どちらも学ぶことで弱点を無くせるのです」
「八極拳……なるほど。弱点は間合いが短いことですかね。それでも使う価値があるということは威力が高いのでしょう。
劈掛掌の方が同じ徒手でも間合いが遠いですか」
本当に一の見聞で十も百も知るだな!
「これ以上の問答は勘弁していただきたい。それだけで手の内がばれてしまいます」
「失礼しましたわ」
そういうと、彼女は無造作に近づいてくる。先ほどの間合いより2歩詰めて、手を伸ばすだけで届く位置、互いの息遣いすら感じられる位置で止まり、拳を構えた。
にやりと笑みを見せられる。
「さあ、次を。八極拳を見せてくださいまし」
世界観的には気と魔術は類似。




