第58話 “まっどどっぐ”れおなるど
「グオオォォッ!」
レオ義兄様が咆哮し、窓枠を打ち壊しながら飛翔するハズラフィールへと跳びかかります。
両手を大きく広げ、身体の何処かさえ当たって、バランスを崩させればそれで良いという判断なのでしょう。
まさに捨て身の攻撃!
「くっ、……おち……やがれ!」
ハズラフィールは四肢の鉤爪で迎撃、義兄様の全身に紅い線が刻まれ、鮮血が飛び散りますの。
義兄様の指はハズラフィールの翼の皮膜を傷つけ、足を叩き、ダメージはほとんど与えられていないと思いますが、大きくバランスを崩させることに成功しています。
そこをわたくしが叩ければ!
ですが、カルミナージィアが反転し、わたくしの前に立ち塞がりますの。
わたくしの飛翔しようとする方向に攻撃術式を配置し、それを避けてもう一度旋回して飛び込もうとすると、彼女はわたくしから攻撃を受けぬよう、ほんの少しだけ身体に触れて進行方向をずらしにかかります。
義兄様の身体が、地面に向かって落下を始めました。
「義兄様!」
魔法の使えない義兄様はそのまま落ちるしかありません。別にこの高さから落ちても死ぬような義兄様ではありませんが、体格が大きくあられますからね。怪我をしてしまうかも……。
ですが義兄様はなぜか空中を掴むと、鉄棒の大車輪のように身体を伸身させて回転、再度跳び上がります。空中をまるで枝を渡る猿のように移動し、ついには空中に立ちましたの。
「「「……はっ!?」」」
義兄様は空中を疾駆しハズラフィールの元へ、今度は魔剣を抜き撃ちます!
「アアァッッ!」
ハズラフィールは防御の構えを取りますが、先ほどのそれとは違い、何かをしっかりと踏み締めた万全の抜き撃ち。鉤爪そのものを切り裂き、ハズラフィールに深手を与えましたの。
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アレクサが窓から外へと飛び出し、2人の魔族を追いに行った。
わたしは触手の先端から海水を作成し、部屋の燃えているものを鎮火していく。
また、魔力的な痕跡、恐らくハズラフィールという淫魔が仕掛けたであろう魔術的な罠も解除し、吸収していく。
ふむ、とりあえずこの場の安全は確保したとして……。
アレクサの義兄、レオナルドに意識を向ける。
彼は剣を一度鞘へと納め、腕組みをして、厳しい顔で空を眺めていた。
「グルルルル……」
ふむ、彼からは魔力を感じぬし、飛翔系の能力は有さない様子だな。アレクサを助けてやりたいが届かぬ位置にいるというあたりか。
わたしも、アレクサを助けてやりたいがなぁ。と、触手で拘束された女騎士たちに意識をやる。
やはりまだ触手に拘束されながらも抜け出そうと藻掻いている。ここを離れるわけにはいかないようだ。
さて、レオナルド殿だが……。
彼の心に〈精神感応〉を伸ばしてみる。やはり虚無へと接続されるか。さらに意識を潜り込ませると……、複数の神の気配。だが神に憑依されている訳ではない。憑依されているなら、もっと神らしい言動をとるだろうしな。三柱の神の強大な気配の中、微かに囚われる人の気配。これがレオナルド殿か。
まあ、魂が失われている訳ではない。そうでなければアレクサにあそこまで優しげにはならぬだろう。
わたしは、神々に気取られぬよう、意識を細く細く伸ばし、レオナルド殿の元へ。言葉も小さな囁きを一言だけ残そう。
『やあ、レオ。我が友』
レオナルド殿の魂が驚きを浮かべ、去り行くわたしの意識を知覚し、微笑んでみせる。
現実世界のレオナルド殿もまた、身体をびくりと震わせてこちらを見た。
わたしは触手の1本を振ってみる。彼は頷いた。
触手を彼の腕へと伸ばし触れたところで術式を使用。
『〈念動〉』
〈念動〉は熟達すれば色々な使い方の出来る魔術である。
今は〈念動〉を触手に纏って反発力のある障壁とした。レオナルド殿の腕が、触手に弾かれる。
驚き、困惑したような表情が彼の顔に浮かぶ。
ふふ。今度は別の触手で彼の右脚のふくらはぎを叩いて脚を浮かせ、足の裏にさらに別の触手を差し込む。
片脚が触手を足場として踏んだ状態だ。
レオナルド殿はしばし黙考し、ゆっくりと触手を踏む足に体重をかけると、バランスを取って触手の上に立った。
先ほどアレクサにかけてもらった〈筋力増強〉と〈念動〉を併用すれば、これくらいはな。
レオナルド殿が歯を剥き出しにして鮫のような笑みを見せる。
……もう一つ今度は神術を重ねてみようか。
『[神は見えざれど、そこにあり]』
触手を不可視にし、レオナルド殿の右側で振ってみる。
間を置かず、レオナルド殿はそれを掴んだ。
やはり、不可視なものを知覚できる。当たり前か。恐らくだが彼の赤い瞳はほとんど見えていまい。これとて神に捧げている筈だからな。
だが、あの魂の牢獄で10年近くも不可視の神と共にあるのだ。彼にとって知覚できぬものを感じることくらい容易かろう。
わたしはゆっくりと不可知の触手を窓の外へ、木の枝のように広げていった。
レオナルド殿は身を撓め、いつでも飛び出せるような体勢をとる。
そして暫しの時間が経ち、広げた触手の上を飛翔し、通過していくハズラフィール。
わたしが今だ!と思うそれよりも速く、レオナルド殿は雄叫びを上げて窓を抜けて彼に跳びかかった。
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「ハズラフィール!」
悲鳴を上げるカルミナージィア。
レオ義兄様に斬られたハズラフィールの身体は力無く落下し、空中で何かに引っかかったかのように静止しましたの。
「〈魔力視〉」
ごく薄い網目のようなものが宙に見え、それを踏み締めるように立つレオ義兄様と、その上に倒れるハズラフィール。
網目の根本は先ほどの部屋から。……クロの触手ですの?あれ。
今度は助けに向かおうとするカルミナージィアを、わたくしが阻害します。わたくしへの注意が疎かとなった彼女を掴み、抱きかかえるようにして空中で拘束。
カルミナージィアが暴れますが、翼の皮膜に抜き手を入れ、飛翔能力を奪いますの。
義兄様が、ハズラフィールへと近づいて行きます。ハズラフィールはまだ残る足の鉤爪で義兄様の肉を抉り、拳を撃ち込み抵抗しますの。
しかし義兄様は揺るがず、左手をハズラフィールの右脇に差し込んで持ち上げ、唸り声を上げると共に、右手の魔剣でハズラフィールの腹を刺し貫きました。
身体ごとぶつかるように剣を押し込み、背中から紅に染まる魔剣の切っ先が覗いてから、大きく魔剣を捻ります。
ハズラフィールの四肢から力が抜けていきます。
「まさかこのわたしが男の胸の中で死ぬ羽目になるとはな……。
さらばだ、カルミナージィア!」
ハズラフィールはそう叫ぶと、吐血し、息絶えましたの。
「ハズラフィール!」
再びの悲鳴を上げるカルミナージィア。
「さあ、お仕舞いにしますのよ」
わたくしは彼女にそう囁くと、飛翔術式の効果を切って、共に地面へと落下しましたの。




