第5話 なまえをにゅうりょくしてください
さて、なまこさんの住処も決まったところで、名前を決めなくてはなりませんわね。
魔法使いと使い魔の関係において、名付けというものは魔術的にも重要な意味を持ちます。
これによって〈契約〉によってお互いの間にできた魂絆を強化し、召喚者と被召喚者の上下関係も固定化できますの。
後者は特に天使や悪魔、上位精霊といった魔力の高い高位存在を呼び出した場合に重要だそうです。上下関係が希薄だと術者の魔力が枯渇した際などに、主従関係を逆転された例もあると授業で学びましたわ。
水槽に眼をやります。
なまこさんがゆっくりとした動きで口元に生えている触手を動かし、砂を口に入れています。あれがお食事なのでしょうか……。
よもやなまこさんとわたくしが主従を逆転することになるとは思いませんが……。
ですがこのなまこさんは無詠唱で魔術を発動させておりますしね(そもそも詠唱するためのお声はだせませんけど)。〈精神感応〉と〈念動〉でしたか。それ以外にも〈海水作成〉というわたくしの知らない術式もご存じでしたし、召喚時の様子からして、召喚術への知識があるのは明らかでした。わたくしが〈超加速〉をかけていたのも理解されていましたわ。
そしてこの水槽に海を呼び出した〔領域展開〕です。なまこさんは魔術でないとおっしゃっていましたが、戦士や盗賊の方が振るう技とも明らかに異なります。体系化された魔術とは異なる魔法なのでしょうか?〔竜の息〕とか、生得魔法の類かもしれませんわね。
……あれ、これ普通に主従逆転のおそれがあるレベルでは?
なまこさんに使役されるわたくし……。
――なまこさんを頭上にのせたわたくしが全裸で海底に横たわり、巻き髪を海中にたゆたわせて虚ろな瞳をしながら砂を食している様子が頭によぎりました。
頬を冷汗が伝います。
「それはいやですのー!」
なまこさんがおもむろに顔をこちらに向けました。
『なにがいやですか?』
「!な、なんでもないですのよ?」
いけません、落ち着きませんと。なまこさんは友好的かつ紳士的ですの、そのような心配は無用ですわ。
でもちょっとだけ名付けは急ぎましょうか。
「なまこさんのお名前を考えようとしていたのですわ」
『おお、それは嬉しいですね』
なまこさんは砂を口に運ぶのをやめ、こちらに頭を向けました。じっと期待してこちらを見つめているような気がします。
……いや、もちろん眼は無いのですが。
でもこうして名付けを期待してくれているということは、主従の逆転などは全く考えていないですわよね。
期待されているようですし、ちゃんと考えませんと。
なまこだからキューちゃんでは小鳥か何かみたいですわね。
なまこをちゃんとした言い方しますと、ホロスロイデアでしたっけ。ホロ……ホロス……。
なんかぴんときませんわ。
外見的特徴から考えましょうか……、どう見てもごつごつした黒い棒ですの。
棒……。バー、スティック、ワンド……。ちょっと名前にはなりそうもありませんね。
ブラックでは名前っぽくないですし、ブラッキィは確か誰かが使い魔の猫につけていたはず。黒は古代語だと、ノワール。以前、馬の名前に使っていますわ。元気にしているかしら?シュバルツはちょっと格好良すぎますわね。ヘイではなんか男の子が呼びかけているみたいですの。へい、がーいず!
「……クロ?」
確か東の魔界の果てにあるとされる島の言葉で黒のことをこう言ったはずですわ。
なかなか良い響きではないかしら?
「なまこさん、クロなんて名前はいかがかしら?」
『……クロ。……クロ!』
なまこさんがゆっくりとその身を大きくのけ反らせました。
『ついにわたしも名前を得た!』
なまこさんが全身で喜びを表現するようにうねうねと動きはじめました。〈精神感応〉からも喜びの感情が伝わってきます。
「ふふふ。気に入っていただけたようで何よりですわ。ではこれからなまこさんのことをクロと呼びますわね」
『ありがとう、アレクサ。人間である貴女には分からないかもしれないが、こうして名前を得ることができたのは本当に……、本当に嬉しいのだ。アレクサ、貴女に感謝と祝福を』
随分と大仰な表現ですが、それだけ嬉しかったのだということでしょう。
なまこさん、いえ、クロとわたくしの間の繋がり、魂絆が拡張され、魔力が互いの間を循環します。
――海流に身を任せるウミユリ、砂上のヒトデに降り積もる雪の如きもの、岩の隙間で沈黙するウニ、そしてナマコが深淵から臨む、限りなく漆黒に近い蒼、長い……永い……無限の静謐と孤独。
クロから流れてきた魔力からはそんな心象風景が伴っていました。
「クロ……。あなたはいったい……」
わたくしが呆然としながら言葉を探していると、扉がノックされました。
「……は、はい!どうぞお入りになって!」
「ミーアにゃー。失礼するにゃー」
扉が開かれるとミーアさんが部屋に入ってきました。なぜか部屋の中をきょろきょろと見渡し、耳をぴくぴくと、鼻をすんすんと動かしています。何かお探しでしょうか?
「どうなさいましたか?」
ミーアさんは首を傾げました。
「誰もいないにゃ?」
「ええ、わたくし以外の人はおりませんわ」
「ミセス・ロビンソンが知らない魔法使いの気配がするので、確認するよう言われたにゃー」
わたくしは戦慄に身を固くします。
ミセス・ロビンソンはディーン寮の寮長であり、もう80歳過ぎの可愛らしいお婆ちゃんなのですが、元々はライブラやサウスフォードでも教鞭をとっていた稀代の付与魔術師です。教師を退職後に校長に乞われて寮長を勤めることとなったと言われている方ですの。
「ミセス・ロビンソンの勘も鈍ったかにゃ?アレクサがこっそり男子学生を連れ込んでるのかと期待したんだけどにゃー」
ミーアさんはそういって「にゃははー」と笑いました。
勘が鈍ったなどとんでもない!
「ミーアさん、わたくしはそんなはしたない真似は致しません!……それとミセス・ロビンソンは素晴らしく、偉大な魔術師です。あの方が寮長である間は、そのような行為は決してできないと確信しましたわ」
「にゃ?誰もいないといま言ってたにゃ」
ミーアさんは首を傾げます。
わたくしは一歩左に移動し、ミーアさんから水槽がよく見えるように移動しました。
右手をそちらに向け、ミーアさんの視線を水槽に誘導します。
「わたくしの使い魔、先ほどクロと名付けましたの」
「おー。ちょっと変わってるけど可愛い名前にゃー。クロ、よろしくにゃー」
クロが無詠唱・無動作で〈精神感応〉の対象をミーアさんにも拡大しました。
『おお、これはご丁寧に。こんにちは、わたしはクロ。アレクサの使い魔です。ミーア殿、今後ともよろしくお願いします』
ミーアさんはびくっと身じろぎすると耳と尻尾を逆立て硬直しました。ゴーレムのようにぎぎぎとこちらに向き直るとクロの方を指さし、絞り出すような声を出します。
「……い、今の……」
わたくしは落ち着かせるようにゆっくりと頷きます。
「ええ、この部屋にはわたくし以外の人は誰もおりません。ですが、わたくし以外の魔法使いはいるのです。……わたくしもまだよく理解できていませんが、わたくしの使い魔、クロはなまこであり魔法使いですわ……それもおそらくはかなり高位であり、大魔法使いと言えるレベルですの」
さて、ミセス・ロビンソンに何と言って説明すべきなのでしょうかね?
毎回恒例、なまこのまめちしきー。
口元に触手っぽいものが生えてるなまこがいます。触腕と言い、ものを食べるのに使います。
なまこは砂を食ってその砂に付着した有機物を消化してエネルギーに変えています。めっちゃ消費エネルギーの少なくてすむ生物です。やばい。
しかも絶食してもそうそう死なない。サイズがだんだん小ぶりになって生きていけるとか。