第47話 ごー・いーすと/ごー・うぇすと
恋人たちの日、ダンスホールにて。
「……逃がしませんの〈物質招来〉!ていっ!」
わたしの身体が隠れていた壺の中から一瞬でアレクサの手元へと呼び寄せられ……そのまま勢いよく投擲された。
まっすぐと向かう先には、ジャスミンと呼称される人間の女性に擬態した生き物が。
なまこの身体をよくこうもきれいに顔面へと直撃するコースで投擲できるものだと感心するが、そこには防御魔法の障壁が張られている。
憑依するニセクロナマコ君の身体が生理的反応で棒状に硬直し、わたしは防御魔法にぶつかりつつ、当たった部分を即座に〈解呪〉していく。勢いが殺され、ジャスミン嬢の顔に当たる軌道だった身体は勢いを失い落下する。
ジャスミン嬢の顔の下、我が主には存在しない器官である谷間へと。
――ずぼっ。むにゅう。
二つの肌色の双丘の間はうっかりイソギンチャクの中に落下したかのような感触であるが、左右からの圧が強い。身体が硬直していることもあって身動きがとれぬ。
わたしが動こうとした瞬間に、魔術の発動、……転移系か。
時空の歪みが感じられる。
さて、アレクサがわたしを投げた意図だが……。まあ咄嗟にという感じではあろうが、使い魔として何を求められているのか。
彼女の性格から考えて、ジャスミンをわたしが倒すような事は求めておるまい。障害は自ら打破したいという主だろう。
せっかく使い魔としての繋がりがあるのだ。魂絆を利用して、アレクサに転移先を伝えることと、大きく逃げようとした場合はその阻害を考えることとしよう。
ちょうど今、わたしが挟まれているこの谷間は心臓に近い位置だ。魔術的な楔を打ち込んでおくとしようか。
「おお、ジャスミン、ここは?」
「今、明かりをつけますわ。〈光〉」
ルシウスという男と、ジャスミンの声がする。
「ふむ、セーラムのセーフハウスか」
「そうですわね、わたくしたちの思い出の場所ですわ」
「ああ、そうだな」
ルシウスがジャスミンの手を取る。ジャスミンがルシウスに身を寄せ、囁くように告げる。
「ここは直ぐに勘付かれます。いったんライブラまで引きましょう」
「うむ」
「あの、殿下。でもその前にこれを取っていただけませんか?」
ジャスミンがわたしを指し示す。
「これは!アレクサンドラの使い魔か!」
「はい、先ほど彼女に投げつけられまして」
ルシウスが唾を飲む音が聞こえる。
「な、なんとけしからんところに」
ルシウスがわたしの身体をつかみ、引っ張りあげ、
「あっ、いたっ」
わたしの皮膚の突起が肌にひっかかる感触に、ジャスミンが声をあげる。
「ああ、すまない、ジャスミン」
ルシウスが手を引っ込める。
「少々お待ちください」
ジャスミンが後ろ手に紐を緩め、両側からの圧が弱まる。
ルシウスは胸を下からささえてわたしをゆっくりと引き抜き、勢い良く床へと投げ捨てた。
絨毯の上にべちゃりと身体が打ちつけられる。ぬぅ。
「拭っていただけますか?海水が……」
「あ、ああ」
ルシウスはハンカチを持ち、胸元に手を差し入れてゆっくりと丁寧に拭っていく。
「あんっ」
ジャスミンは嬌声をあげつつ、こちらを無機質な目で見つめている。
「ありがとうございます、殿下。ああ、あんなおぞましいものが」
そう話しかけられたルシウスは振り返ると、やおら腰のサーベルを抜き放ち、振り下ろした。
『ぐえー』
わたしの身体が一刀両断、前後に真っ二つとなり、体液や内臓がその断面から零れ落ちる。
「アレクサンドラのこの生き物は魔法が使えるという噂もあったが、所詮はこの程度であろう」
「〈精神探査〉……そう、みたいですわね」
ルシウスはジャスミンの腰に手をやり、一度彼女に口づける。
「さあ、ライブラまで馬車を走らせるとしよう」
彼ら二人が部屋から出ていく。
……さて、ニセクロナマコくんには申し訳ないことをした。
さきほど、ジャスミンがわたしを警戒したのか、精神を漁るような術式を掛けていた。それもニセクロナマコくんの精神に誘導されたようだ。彼には助けられているなぁ。おそらくジャスミンには砂と海しか感じられなかったのではないかな?
『やあ、申し訳ない。そしてありがとう。再生用に魔力を渡しておくから、一度身体を休めておいてくれたまえ』
『…………』
『ではまた後日よばせてもらうよ。〈送還〉』
地面に青い魔法円が浮かび上がり、ニセクロナマコ君の姿が消えた。
さて、今のわたしは純粋な精神体、不可視の存在だ。人間の言う幽霊みたいなものかな?
このまま彼らを追跡していくとしようか。えーと、ライブラと言っていたか。東へ、だな。
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恋人たちの日、ライブラにて。
「痛っつー……」
昨晩、レオナルド団長に思いっきり握られた腕がまだ痛む。結局腕の骨が折れて内出血がひどいことになっていたので、医務局に駆け込んだのだ。
医務局にいた当直の治癒術士の不機嫌そうであり、人を小ばかにしたような顔が思い浮かぶ。
「イアン副長、俺たちの仕事を増やさないでくださいますかー?」
まあ、深夜帯に駆け込んでいったわたしも悪いが、そのための当直でもあるはずである。おざなりに治癒術式をかけたのか、傷は完治しているが少し痛みが残っている。
本来であれば、騎士団の副長に対してそのようななめた口を利くのも、適当な施術をするのも大問題である。だが、まあそういう立場だと言うのもわかっている。
「騎士に非ざる無法者の集まり、第六騎士団か……」
第六騎士団はほんの5年前に王によって新設された新しい騎士団であり、その役割は唯一『ポートラッシュ領への援軍』である。
ルシウス第二王子がポートラッシュに婿入りする際、同行し、魔境に援軍を送るという美談のために作られた騎士団であり、あと2年もして彼が魔術学校を卒業し、結婚が成されれば、そのままポートラッシュ領で軍務につくはずであった。
「陛下の考え自体はまともなんだがねぇ」
その勅命に対し、面従腹背したのが貴族たちである。まあ、当たり前の話ではあるのだ。誰が、あの魔境に行きたがるというのだ?
だが勅命は守らねばならぬ。どうなったかというと、表向きは騎士団の定数を保つために、降格処分となった騎士が送り込まれたり、死刑囚の身柄を買って養子とし、騎士団に送り込むとか。
まあやりたい放題ってやつだ。
わたしか?
まあ近い立場ではある。わたしは犯罪を犯していないが、血縁がな。元々騎士団でも事務方にいたので、連座で異動させられ、ここの副長にさせられたって訳だ。
地位と給金だけ見れば昇進なんだけどな!
そう自嘲しながらスコッチを口にする。
ラフロイグの15年ものだ。喉を焼く酒精、鼻に抜ける香気。アイラ島の泥炭香のきつい酒で、団員の誰もが好まぬが、わたしは愛飲している。
「これを護るためなら、ポートラッシュに行くのも悪くない」
アイラはヨモトゥヒラサクの切れ目に近い島だからな。
こうしてゆったりと自室で酒を楽しんでいる今日は恋人たちの日、せっかくの休暇だが独り身には辛い夜だ。ライブラの街に繰り出す気にもなれぬ。
――ココココン!
そう独り言ちていると、扉を強く叩く音。
「入り給え」
「失礼します!」
従者のヤーヴォだ。まだ10代半ばの少年で、顔を赤くさせ、息を切らし、全力で走ってきたのが見て取れる。
「緊急か、どうしたね」
「れ、レオナルド団長が脱走なさいました!」
「……!〈追跡〉」
返事をする間も惜しんで、探知術式を使用、元々レオナルド団長を対象に登録してあったため、間を置かず彼の位置が脳内に表示される。
現在地がライブラの西門?
「伝令!第六騎士団緊急招集!」
「はいっ!」
さらに移動している!門の外側に出たのか?どうやって?そして西南西に向かって移動?
再び駆け出すヤーヴォの背中に声をかける。
「武装は最低限で構わんから馬を出せ!全速で西へだ!」




