第45話 なでなで
疲れた顔のチャールズ先生が近づいてきます。
「こう、ここ数年何も問題なかった魔術結界を、この短期間で何度も割られても困るのだが」
確かにお父様とわたくしと義兄様で3度も割っていますわね!
「申し訳ありませんの。お代はポートラッシュにつけておいてくださいまし」
チャールズ先生は手を振ります。
「なに、いずれ学園の魔力櫃に魔力供給をして貰えれば釣りがくるだろう」
学園地下の立ち入り禁止区域にある魔力蓄積機ですわね。なるほど。
「お安い御用ですわ」
サイモン学長が転移してきて、こちらを見て……またかという顔をなさいましたね。
近くにいた職員の方が説明に走られます。学長は説明を受けてからこちらに向かって来られます。
「おはようございます、サイモン学長」
「おはよう、ミス・アレクサンドラ。そしてミスター・レオナルドでよろしいだろうか」
サイモン学長が義兄様の方に歩みを進めた瞬間でした。義兄様が腰を僅かに沈め、わたくしが声を
「まっ……」
「シィッ!」
義兄様は腰の魔剣を抜き放ちつつ一歩の踏み込みで間合いを詰めて学長に斬りかかり、
「……て」
ああ、なんてこと。
学長が右の腰から左肩に抜けるように切り裂かれます。ローブが切られ、守護の護符が弾け、鮮血が散ります。
「……にい、さま」
学長も他の先生方もまだ何が起きているのか理解していません。
義兄様がもう一度、漆黒の刃を軽く振ります。学長の胸元からこぼれた護符や魔術具、その中にあった堕落の短剣。正確にその短剣を砕いて流れるように剣を鞘に納めて後退、わたくしの横に戻りますの。
遅れて上がる悲鳴、今更杖を構え直す警備員。
なんという……なんという美しく力強い斬線。予備動作が少なく、反応し辛い初動。それでありながら神速、正確。軽く振っただけで宙にある短剣を切断する力と技。
いやん、義兄様、素敵すぎますのー。ではなく……!
「杖をおろしますのっ!」
一歩前に出て叫びます。
「サイモン学長、迂闊ですの」
「な、にを」
学長は自動発動の治癒系の術式を仕込んであるのか、エミリー女史に肩を貸してもらいつつも、傷はひとりでに治癒していきます。ふむ、怪我は骨には達してないみたいですの。
わたくしは地面で真っ二つになり、魔力が失われていく短剣を指さします。
「ロード・アイルランドたるポートラッシュ家の者の前に、あれを持って出たことですの。研究用に持ち出したのか、王家に返却するつもりだったのかはわかりません。
しかし、魔の気配のするものを我らの前に持ち出して、攻撃されないと思っているのが迂闊と言わざるを得ません」
学長は魔術杖を虚空より取り出し、それを支えに立ちました。
「そんな無法が……」
「無法ではありませんの」
わたくしは言葉を遮ります。
「大同盟法第十条、および王国法より魔族との交戦規定、およびキャンベルタウン条約により、我々が魔族、魔族に憑依されている生物・無機物に対し、警告なく攻撃をすることは法により認められた我らが権利。それはアイルランド外でも適用されますの」
学長がうなだれ、ため息とともに言葉を紡ぎます。
「申し訳ありません、レディ・アイルランド」
えーと、これだとわたくしたちが上になってしまうので……。
「頭をお上げくださいまし、サイモン学長。我々にも落ち度はありますの。結界破りは我々に責があり、それに駆け付けたのは学長として正しい行い。ただ、戦いの可能性ある場に、魔族の魂宿る道具を持ち込んだのはそちらの落ち度。
結界再構築にかかる費用及びそれにかかる魔力供給は後日させていただきますので、それで手打ちとさせていただけませんか?」
「寛大なる提案、感謝いたします」
「それでよろしいので?」
チャールズ先生が学長に尋ねると、ふーとため息をもう一度ついて頷かれ、みなに解散を告げました。
「ミス・アレクサンドラ。応接室に向かってくれ。……わたしは着替えてくるのでな」
そう言って、破れて血に汚れたローブを指さしながらサイモン学長は転移いたしました。
レオ義兄様の手を取り、応接室へ向かって校内を歩いていきます。2月の寒々しい並木道をゆっくりと進んでいきますの。
いやぁ……、サイモン学長には申し訳ないことをしてしまいました。
ですが、義兄様がこういう方だと早い段階で知らせることができたことと、わたくしが、ポートラッシュ家が義兄様を護るために引かないという事を見せることができたと思えば……悪くはない。ですが、申し訳ない。
んー……。
「レオ義兄様、後で学長先生にごめんしましょうね」
「ガウ」
義兄様がわたくしの呼びかけに反応して唸り声をあげます。
「あ、あと義兄様」
「グルゥ」
「〈浄化〉の術式を掛けてもよろしいですか?」
特に返事がなかったので、そのまま〈浄化〉をかけます。汗や汚れが落ちましたが……髪はぼさぼさですし、垢などは術式だとちゃんとは落ちないんですのよね。
「後でお風呂入りましょう」
「グルゥ」
でも女子寮には入れられませんわよねぇ。どういたしましょう?
応接室の前で着替えられた学長先生とちょうど合流し、以前お父様とお話した部屋に入ります。
応接室のソファーにわたくしと義兄様が並んで座ります。ソファーの足が軋んだ音を立てました。向かいにはサイモン学長が座られ、エミリーさんが紅茶を淹れに立たれました。
「まずは先ほどの件について謝罪いたしますわ。ほらレオ義兄様も」
「グォウ」
わたくしが立ち上がって頭を下げると、義兄様は座ったまま頷かれました。
「ふむ……、謝罪を受け入れましょう。“狂犬”レオナルドの話は伺っていたので、わたしの不注意でもあった。
しかし、ポートラッシュ家は彼を御せるのかね?」
「いえ、彼と意思を疎通できるのはわたくしだけです」
「例えば〈精神感応〉での意思疎通は?あるいは精神操作系術式で操られることは?」
エミリーさんが戻ってきて、わたくしたちの前に震える手でカップを置きました。
わたくしはソファーに戻り、ゆるりと首を横に振ります。
「サイモン学長は“魔術師”や“隠者”の守護神の加護厚き魔術師で、“月”の加護、精神に波及する効果の魔術は適性がないと伺っておりますの」
「そうだな、ゆえに、そちらの術式に適性の高いエミリー女史を秘書として置いておる」
わたくしはエミリーさんを見つめました。びくりと彼女の肩が震えます。
「義兄様に〈精神感応〉をかけられると思いますか?」
「無理です……というか、それは何です?明らかに人ではない。
学長、彼の心の中には無限の虚無があり、その奥底には不吉な気配がします」
わたくしは頷きます。
「誓約で神に魂を奪われたものの精神ですの。〈精神感応〉を仕掛けた術者はしばらく使い物にならなくなり、精神操作は義兄様の精神を見つけられず、効果が発揮いたしませんわ」
エミリーさんもおそらくそうであろうと肯定されました。
「では、なぜ突然こちらに来られたのかね?王都の騎士団に所属しているとの話だったかと思うが」
「わたくしが困っていたから、全てを置いて駆けつけてくれましたの。
何があったかも義兄様は存じていないのですけどね」
という訳で、一連の婚約破棄の流れと、昨晩のパーティーの話をわたくしから義兄様含む3人に説明いたします。
話が終わりに近づいたころ、突然義兄様は立ち上がり、
「ヴオオオオオオオオォォォォーーーッ!」
義兄様の叫び声と、それに込められた闘気が暴風のように室内を駆け巡り、茶器と花瓶が砕け、窓が割れ、壁に掛けられた絵画が床に落ちました。エミリーさんが気を失います。
近くの教室からは悲鳴が聞こえ、鳥は一斉に飛び立ち、飼育舎では使い魔たちが暴れ出します。
わたくしは義兄様の腰に抱き着いて声を張り上げました。
「落ち着いてください義兄様!わたくしは大丈夫ですの!」
「ヴアァッ!」
「殺さなくていいです!」
「ヴオォッ!」
「一族ごと根絶やしとかやめてくださいまし!」
「グァゥ」
「ばれないように闇討ちもしなくていいです!」
「……グルゥ」
「決闘で叩き潰す必要もありません。……というか義兄様、決闘を許したら絶対殺すつもりでしょう」
義兄様はこちらを深紅の瞳でじっと見つめ、こちらが意見を変える気がないのを見て取ると、ぶふー、と大きなため息をついて椅子に座りました。わたくしは義兄様に引き寄せられ、膝の上に座らされます。
「……ええと、義兄様?」
膝の上に腰掛けてなお高い位置にある義兄様の顔を見上げます。
「人前でこの格好は恥ずかしいのですが……」
義兄様はおもむろに左手をわたくしの背中に回し、右手を頭の上に置きました。
(……おもいー)
アホ毛が文句を言い、震えましたが、義兄様はそれには構わず、大きくて、分厚くて、硬い掌でぎこちなくゆっくりとわたくしの頭を撫でていきます。
「義兄様……」
わたくしは義兄様の身体にもたれかかり、ため息をつきます。
「グルゥ」
もー、こうなってまで優しいんですの。ずるいですのよー。
ちゃんと作中で表記したことはないですが、なんとなく分かるかなと言うあたりのネタ。
“〇〇”の形でタロットの名前が当てられているのは神、厳密には人類の守護神であり、純粋な神ではない。超越者的な。
あれです、D&D的に言えば36レベル超えた人たち(一部例外あり)。
魔術を復活、普及させた集団でもあり、魔術の系統毎に対応する守護神が存在する。
ξ゜⊿゜)ξ <わたくしは?
“力”、“戦車”。




