第44話 にいさまー!
夢を……また夢を見ていますの。
ポートラッシュから東へ数km、巨人の石道と呼ばれる海岸線。わたくしは黒い六角柱の岩が無数に敷き詰められた海岸線を歩んでいきます。胸元にアクセントのリボンがついた寝間着に薄手のケープを羽織った姿で。素足のまま、岩の縁を踏まないように。
空は厚い雲に覆われて灰色、風は強く、ケープや寝間着の裾ははためきます。海は鈍色にうねり、波打ち際は白く染まる。風と波が、ごうごう、ざあざあと耳鳴りのように響きますの。
夢だからですわね。こんな姿で立っていれば、寒さで凍えてしまいそうなものですが、冷たさを感じません。
わたくしは奇岩の景色の中を歩み、波に濡れていない岩の段差を見つけ、そこに腰掛けました。
涙が頬を伝います。
「元よりそこに愛などなかったとしても……、涙は生まれるものなのかしら?」
自問にこたえるものはなく、灰色と鈍色の境界線上を海鳥が飛んでいくのが見えます。
涙が流れ、風に飛ばされるままにしていると、甘いテノールが耳に入りました。
「泣かないで、アレクサ」
「……都合の良い夢ですの」
そこには一人の青年が立っていましたの。金の髪に、翠の瞳、腰には長剣を差し、従騎士の服装。
年の頃は20前後で、身の丈は180cm強。細身ではありますが筋肉質で、しなやかな獣のような力強さを感じます。
「アレクサ、大きくなったね」
「レオ義兄様」
もし、あの大氾濫が無ければ、あの誓約が無ければ……、義兄様はこうして声をかけてくださったのでしょうか。
義兄様は何も言わず、優しくわたくしの頬に触れると、涙を拭っていきます。
わたくしはその手にそっと触れました。夢だからか、この姿が幻であるからか。感触が無いことにまた涙が溢れてきます。
「どうして今になって……」
「勿忘草のまじない、アレクサだろう?」
「あ!届きましたの?」
「ああ、ありがとう。オランジェットも、あの手紙も」
わたくしの顔が紅く染まるのが分かります。
ままま、まって、どうせ意識がないし、読むこともないし、読んでも分からないだろうと思ってあの手紙出していますのよ!
「嬉しいよ。でもその気持ちを受け取れぬ、不甲斐ないこの身を許してくれ」
レオ義兄様の姿がゆっくりと薄れはじめました。
「義兄様!」
「アレクサ!我が姫!我が魂は神々の下にあれど、我が肉体はあなたの騎士として!」
大地が、石の柱が隆起して檻のようになりレオ義兄様を囲います。檻は波にさらわれ、天から伸びたあまりにも巨大な手がそれを掴みました。
「レオナルド!我が騎士!」
……。
…………。
わたくしは起き上がると、涙の跡をごしごしと拭い、頬を叩いて起き上がります。
「おはようございますの」
……。
ああ、クロはいないのでした。魂絆が切れていないことを確認し、立ち上がります。
「アホ毛よ」
(……やー)
髪の毛がくるくるとまとまっていきます。
「わたくしは全てを獲り返しますわ。悪魔からベルファストを。神々からレオナルドを」
(やー)
「戦いに備えますの。力を、心を、技を、魔力を研ぎ澄ませて。わたくしも、あなたも」
(いえすまむ)
「ふふ、よろしくお願いしますね」
わたくしは朝の支度を整え、部屋を出ました。
そして、朝食中のことですの。
「ヴオオオオオオォォォォーーーーッ!」
突然、校門の方から強大な魔獣の叫び声のようなものが響きました。
みなさん、手からフォークやスプーンを取り落とし、身をすくめ、椅子から転げ落ちるなど怯えた様子です。
わたくしは天を仰ぎました。天井から埃がパラパラと落ちてきますの。
「よもや、ここに来るとは思っておりませんでしたわ……」
クリスが聞きとがめます。
「またあなたなの?アレクサ」
わたくしは頷きました。
「ヴオオオオオオォォォォーーーーッ!」
好奇心旺盛な子たちがおっかなびっくり窓に駆け寄り、声のする方を見ようとします。この位置では校門は見えませんけどね。
わたくしは食器を置くと、手をあげてミーアさんに声をかけました。
「ミーア寮母、大変申し訳ないのですが、食事を中座して外出する許可を」
ミーアさんの耳は頭の上でぺたんと倒れていましたが、片側がそろそろと持ち上がります。
顔を蒼白にして窓の方を見て、わたくしの言葉に振り返ると、何度か口をぱくぱくとさせてから声を出しました。
「あ、アレクサ。あの叫び声に心当たりがあるにゃ?」
わたくしは大きく頷きます。
「はい、義兄です」
わたくしが校門前へと急ぐと、門番の方々や駆け付けた先生方に武器や杖を突き付けられ、召喚獣やゴーレムに取り囲まれた金の蓬髪、義兄様の姿が見えました。ええ、その状態でも見えるのです。義兄様の身の丈は今や2mを大きく超えておりますので。
義兄様は学校を取り囲む魔術結界に手をかけ、それを引きちぎろうとしておりますの。
いやいやいや。あの結界、王宮でも使われるもので、兵士100人で攻撃しても大丈夫と説明されたのですが、すでに結界が歪みはじめていますのよ!
「危険だから来るな!寮に戻りなさい!」
義兄様を取り囲んでいる先生の1人がこちらに気づき、近づかないよう告げられました。
ですがそれには従わず、むしろ加速して助走とし、〈跳躍〉術式を発動。先生たちの頭を飛び越え、翻るスカートを抑えながら叫びます。
「レオ義兄様!」
「ヴオオオオオオォォォォーーーーッ!」
義兄様はその真紅に染まった瞳にわたくしを映すと、頬をゆがめ、八重歯をのぞかせて、もうひと吠えなさいました。結界に突き出した腕を強引に捻じります。
結界がガラスの砕けるような音とともに砕け散り、義兄様も跳躍してまだ宙にあるわたくしをその腕に抱きかかえて着地いたしました。
……結界って筋力でも割れるんですのね。
「ふふふ、レオ義兄様、来てくださいましたの?」
巌のような義兄様の腕に抱かれながら尋ねます。
「グルルルル……」
義兄様の口からは地の底から発せられているかのようなうなり声が漏れます。
「わたくしを心配して来て下さったの?」
「グァウ」
「……ライブラから夜通し走って?」
義兄様は腰布一枚に剣を背負っただけの姿で、その裸身を惜しげもなくさらし、全身は汗にまみれています。
わたくしの顔の横では心音と共に大胸筋が揺れ動きます。
「ありがとうございます、レオナルド、我が騎士」
わたくしは義兄様の顔に汗で張り付いた金の髪をはらいます。
「……あー、アレクサンドラ?」
ん、先頭にいたのはチャールズ先生ですの。
「はい」
そう言いながら義兄様の腕から降ろしてもらいます。
「そちらの御仁は知り合いかね?兄と聞こえたが」
「ええ、わたくしに会いに来てくれたみたいですの。言葉の話せぬ彼に代わって自己紹介いたしますわ。
レオナルド・ポートラッシュ、家長ブライアンの養子であり長男、我が義兄。ポートラッシュ領軍、第一突撃部隊隊長にして、現在ライブラに出向している第六騎士団団長ですわ。
みなさま、構えた杖をおろしていただけると嬉しいのですが?」
この話、ステキなイラストを書いていただきました。
夢の中、レオとアレクサのシーンです。




