第40話 ワルツのじかん
ナタリーと共に寮の食堂に移動すると、みなさん歓声を上げてくれます。
4年生以上は大半がドレスに着飾り、下級生の数名がドレスを着ています。ふふ、彼女たちには上級生の恋人がいるということですから、同級生には羨ましそうな表情で見られていますの。ドレスを着ていない生徒たちは制服や給仕姿での参加となりますわね。
ナタリーやクリスたちと軽く打ち合わせを行いますの。クロはいざという時のために、裏方に回るという下級生たちがこっそり会場に持ち込んでくれることとなりました。
『では、先に向こうでお待ちしております』
「アレクサ先輩たちはちょっと遅れてきなよ」
「そうそう主役は後から登場しないと」
まあ、貴族の席次的にも少し遅めの方が良いのですかね?
というわけで最後に寮を出ます。出る直前、ミーアさんはわたくしにウィンクし、ナタリーにガッツポーズを見せました。
校舎へと向かう夕暮れの道をゆっくりナタリーと歩んでいきます。ナタリーの手はそっとわたくしの右腕に絡んでいます。
「ほんと、みなさん、わたくしに良くしてくれますの」
ナタリーが首を横に振ります。
「おね……アレクサがみんなのことを大切にしているから、みんなもあ、アレクサのことが大好きなのです」
そうかしらねぇ。
「別にわたくしはみなさんと普通に仲良くしているだけですのよ」
「だって、わたしドロシア先輩のこと誤解してました。ドロシア先輩、お……アレクサのこと嫌ってるのかとずっと思ってて……だからドロシア先輩のこと嫌いだったのに。
でも実際はそんなことなくて。よく考えるとアレクサはドロシア先輩のこと嫌ってなかったなって。昔から気づいていたんですか?」
「んー、ドロシアが良い子で、熱い思いを抱えていることは分かっていましたわ。その思いが何だったのかは知りませんでしたけど。だから、わたくしと対立していたなら、それはそうする必要があったのでしょう。
それだけですのよ。そこまで深く理解していたわけではありませんの」
ナタリーはため息をつきます。
「アレクサはすごいなぁ」
「そんなことありませんのよ、だってわたくしは婚約者の心変わりもわからなかったんですもの」
ルシウスの心変わりにも気付けないでいた愚かな女ですのよ。
ナタリーがわたくしに身を寄せます。
「アレクサ、わたしは死んでもあなたを裏切りません」
「ふふ、ありがとうございますの。千の兵士より心強いですわ」
パーティーの会場であるホールが見えてきましたの。
「さて、ここからは男らしく行きますのよ」
「はい。がんばりましょう!」
ドアボーイの仕事をする下級生が、近づくわたくしとナタリーを見て動きを止めました。呆然とした表情をしています。
「やはり男装がおかしいのかな?」
「アレクサに見惚れているんですよ」
ふむ。
「だとすると嬉しいけどね。でもナタリー、君にも見惚れているんだよ」
ナタリーの頬が赤らみました。ドアボーイに告げます。
「4年生、アレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュと3年生のナタリー・ブレイスガードルだ」
……ん?
「開けてくれないのかい?」
「し、失礼しました!ようこそ、いらっしゃいました!」
下級生が、慌てて扉を開きます。
扉の向こうからは絢爛なる光があふれ出てきました。ダンス・ホールの天井には眩いクリスタルのシャンデリア、さらにその周囲には〈光〉の魔術による光球が漂っていますの。
冬だというのに温室から切り取られたであろう花が飾られ、壁には美しい絵画、壁際のテーブルにはローストビーフやシャンパン、お菓子が並んでいます。
そして会場にはすでに色とりどりの着飾った令嬢たちとそれをエスコートする令息たち。
ナタリーの歩みに合わせ、ゆっくりとホールへと進みます。
すでに会場で歓談していた生徒たちがこちらを見て目を見開きました。会場の隅で音楽を奏でていたオーケストラ部の生徒たちもその手を止めます。
クリスと目が合います。クリスはこちらにウィンクしてみせますの。
わたくしたちの歩みと共に広がっていく、奇妙な静止と沈黙のなかを歩んでいきます。
「殿下はまだみたいですね」
ナタリーが囁きますの。
「折角だし、踊らせてもらおうか?」
ナタリーが僅かに頷きます。
わたくしたちはホールの中央まで進むと、周囲を見渡しました。
誰一人物音を立てず、こちらに注目しています。
「諸君、良い夜だね。だが、恋人たちの祝祭には静かすぎるな」
……誰も返事してくれませんのよー。
「オーケストラ」
「は、はぃ!」
指揮者がやっと声を出してくれます。普段の指揮者は夜会に参加しているからか、今夜は見知らぬ下級生が指揮者をしていますのね。
「ヴェニーズ・ワルツ(Viennese Waltz)の曲を」
あれ、みなさん、何でホールの中央からどきますの?わたくしたちだけで踊りますの?
ナタリーと目を合わせます。彼女の顔には緊張が見て取れますが、同時に期待も。
もう、そんな顔されたら仕方ありませんわね!
前奏が始まります。『はるか遠き12月(Once Upon a December)』ですの。いいですわね。好きな曲ですのよ。
右手でナタリーの左手を握り、ナタリーが半回転してわたくしの前で大きく腰を落として礼を取りました。ドレスの裾がふわりと床に広がります。
左手を横に伸ばし、肩の高さより上げて、ナタリーの右手を取りますの。右手はナタリーの背へ、右手の上にナタリーの左手が乗せられます。
一度体を揺らせてから、三拍子に合わせて右足をナタリーの足の間に進めるように大きく踏み出します。わたくしが小柄ですからね、どうしても動作は大きめを意識しませんと。それにせっかく一組でホール全体を使わせていただいてますし。次いでナタリーがわたくしの足の間に右足を。
ナチュラルターン。チェンジステップからのリバースターン。コントラチェックにフレッカール入れてから再びナチュラルターンへ。
ヴェニーズ・ワルツには複雑なステップはありませんの。基本のステップを音楽に合わせて進めるだけ。でもわたくしとナタリーはこの3年、けっこう一緒に踊っていますからね。そこらの恋人たちの付け焼刃のダンスよりは上手くてよ?
ナタリーからは喜びの感情が伝わってきます。
今日のナタリーはほんとに綺麗、いつもの可愛らしさとは全く別の大人びた雰囲気。
彼女はわたくしの真似をして1年の時から朝にランニングとかしていましたしね、普通の女の子より体幹がしっかりしていますの。
ヴェニーズ・ワルツはステップが簡単な分、常に動き続けるので体力的には大変ですが、姿勢を崩さずしっかり着いてきます。
音楽の終わりにナタリーの身体から手を放し、手だけをつないでスピンしてもらって一礼。
爆発的な拍手と歓声が上がります。
「素敵なダンス!」「ナタリー、その殿方を紹介して!」「殿方じゃないわ、女性よ!」「素敵!っていうかアレクサじゃない!どこの貴公子が入ってきたのかと思ったわ!」「ナタリーちゃんイメージ違う!綺麗!」「アレクサンドラ先輩ってあんなに格好いいんですか!」「白軍服とか萌える!」「いや、あの勲章って。……え?竜殺しの勲章?マジで?」
みなさん、壁際からこちらへと近づき、口々にわたくしたちを褒めていただけますが、人数が多すぎて何を言っているのかちゃんと聞き取れませんのよ。
ふふ、でも、つかみは成功というやつですわね。
「諸君、せっかくのダンス・パーティーなのだ。まずはパートナーと踊ってはどうかね?
……わたしか?一度喉を湿らせたいのでね、またその次にでも踊らせてもらうよ」
わたくしはナタリーを伴い、飲食できるテーブルの方へと向かいました。
「おや、サリア」
1年生のサリアもウェイトレスとして頑張っているみたい。黒いロングスカートに白いエプロンとヴィクトリアンメイドスタイル。おかっぱにホワイトブリムがかわいいですのよ。
「アレクサお姉さま、ナタリーお姉さま、素敵でした!」
細長いフリュートのシャンパン・グラスを手渡してくれます。
「ありがとう」
グラスを軽く掲げ、ナタリーと視線を交わします。
「この素敵な夜に」
「この夢のような夜に」
淡い黄金の液体を半分ばかり飲み干すと、自然と互いに微笑みが浮かびます。
曲に合わせてくるくると踊るみなさん、パーティーは華やかに進んでいきますの。
そして、曲が終わり……扉が開き、部屋が静かになりました。ルシウスたちの到着です。
「アレクサ、どうなさいますか?」
ナタリーが耳元に口を寄せささやきます。
「少し様子を見ましょう」
こうして見ていると、ルシウスも美男子ですしね。貴公子らしく素敵ではあるのですが……もはや彼の姿に心動かされなくなってしまったことに悲しみを感じます。
ルシウスと腕を絡めるジャスミンも、こうして見ていると髪は烏の濡羽色に艷やかで、そこに月と星を思わせる髪飾りの煌めきは夜の女王の娘のよう。
彼らもホールを占有し、一曲踊る様子ですの。また別のワルツのメロディが流れます。
「この曲が終わったら、向かいますね」
「アレクサ、ご武運を」
曲が終わり、見つめ合うルシウスとジャスミン。
拍手するみなさま。その間を縫って彼らの元へと向かいます。
「失礼いたします、ルシウス殿下」
ヴェニーズ・ワルツ(Viennese Waltz)は日本語だとウィーン風ワルツとかウィンナー・ワルツと言うことが多いかな?




