第39話 しゃる・うぃー・だんす?
2/14、恋人たちの日の朝、わたくしはむくりと起き上がりました。
「やばい、忘れていましたの……」
『おはようございます。アレクサ。どうかなさいましたか?』
「おはようございます、クロ。んー、ちょっと困ったことが。クリスに頼んでみますわ」
身支度を済ませ、食堂へ向かいます。
いつもの席に座っていると、すぐにクリスが姿を見せました。
「アレクサ、おはよう」
「クリス、おはようございます。ちょっといいかしら」
クリスがわたくしの隣の席に着きます。
「今日の恋人たちの日のダンスパーティーなんですけど」
恋人たちの日は4年生以上が対象でダンスパーティーが行われますの。学校で行われるダンスパーティーとしては卒業生のプロムに次いで大きなものですのよ。
参加条件は恋人同士で行くこと、あるいは恋人となりたい人を呼び出した場合。3年生以下の生徒は上級生にパートナーとして呼び出された場合のみ参加が可能ですの。
「ああ、そうね。そこでアレクサとルシウスとの関係に決着がつくのよね」
そうなんですのよね、いや、わたくしも恋人たちの日に決着と言いながら、何となくパーティー会場でその話があるのかなと思っていたのですが……。
「わたくし、どうやってそれに参加すればいいのかしら。今からでも下準備のメンバーに入れるかしら?」
クリスが天を仰ぎます。
「ルシウスがパーティーの前に決着を宣言してから会場に入るという事は?」
「彼とジャスミン、王都に新しいドレスを取りに行くとか言って昨日から学校休んでおりませんこと?会えないんですの」
クリスが考えこみます。
「ルシウスはジャスミンを連れて会場入りし、アレクサが入ってこないことを期待している?」
「どういう意味ですの?」
「ほら、自然解消狙っているとか」
ふむ、言われてみるとこれまでのルシウスの動きはわたくしとの直接的な対峙を避けているような気も。
「……ああ、なるほど」
「何かわかったの?」
クリスが尋ねます。
「なんとなくですけどね。結局のところ、わたくしの失点待ちなのですわ」
「失点待ち。んー……だとすると、会場に来なければ、約束を破ったとして失点に、男性を伴えば不義として失点、会場に忍び込むのは貴族の振る舞いとして失点かしら?」
ん?それって。
「八方ふさがりでは?」
クリスがにやりと笑って、わたくしの耳に口を寄せます。
「いい考えがあるわ」
ダメそうな予感が……!
食後、クリスがナタリーに声を掛けます。
「ナタリー、ちょっとわたしたちの分も片付けてくれる?」
「はーい、いいですよ」
と素直にわたくしたちの食器も重ねて下げてくれるナタリー。
「よし、アレクサ。さっき言った通りにやるのよ」
「ほんとにそれで効きますの?」
「絶対よ」
はぁとわたくしはため息をつき、気合を入れてきりっと真面目な表情を作ります。
軽い足取りで戻ってくるナタリー。椅子に座ろうとした瞬間、わたくしは左手でナタリーの手を下から掬い上げます。
「お、お姉さま?」
いつもより少しだけ低い声を意識して。
「ああ、ナタリー」
立ち上がりながらナタリーの手をわたくしの口元へ。手の甲に触れるかどうかという軽いキスをします。
「いつもありがとう」
「ふぇっ!」
急な展開に慌てふためき、たたらを踏むナタリー。ナタリーが引いた分すっと大きく踏み出し、握っている手で向きを誘導。ナタリーを壁際に追い詰めます。
――ドン。
腰の引けたナタリーの背中が壁に当たり、わたくしは右手をナタリーの左肩の上、顔の横の壁につきます。
「ねぇナタリー、今日が何の日だか……知ってる?」
「え、こっこここここいびとたちの日です!」
わたくしは左手を離し、ナタリーの金茶の髪を撫でてから、顎先を軽く持ち上げます。
「そう」
ここでちょっと困った顔を見せてからのー。
「ナタリー……、お願いがあるんだけど。今日一日だけ、わたしの恋人になってくれないか?」
ナタリーの顔が真っ赤に染まります。
「はっははは、はいよろこんでー!」
ゆっくりと互いの手を絡め、ナタリーの前に跪いて見上げます。
「今宵のパーティー、わたしとダンスを踊ってくれませんか?(Shall we dance?)」
「はぅっ!」
ナタリーが崩れ落ちました。
膝の下と背中に腕を回して抱き上げます。
「完璧よ、アレクサ!」
クリスが叫びます。なぜか皆さん立ち上がり、拍手します。スタンディングオベーションですのね!
先ほどのクリスの案は、男性を伴って失点するなら女性を伴って行けばいいじゃない!というもので、ナタリーなら絶対こうやれば断らないという話だったのですが
……答える前に倒れられてしまったのですけど、どうしたものですの。
ナタリーの同級生たちがクリスに耳打ちされてこちらに来ます。
「アレクサ先輩、眼福でした!」
「あーん、ナタリー羨ましい」
きゃあきゃあとわたくしからナタリーを受け取り、抱えていきますの。クリスの方を見ます。
「じゃあわたしたちも支度しようか。急いで準備よ」
さて、今日は授業もお休みですの。これも社交の勉強ということなのでしょう。
部屋に戻ってクロと魔力循環だけ行ってからお風呂に入りました。
今はお風呂上り、下着姿で鏡の前に。クリスはナタリーの準備を手伝うとのことで、スーザンがやってきてくれました。
「髪の毛どうしましょうか。男装イメージならいつもの縦ロールって訳にもいかないですわよね」
髪に指を入れながら話します。
「お団子は?」
スーザンの提案に、わたくしはアホ毛をつまみます。
「髪の量が多いですしねえ。
それに、この髪が思い通りになりませんので、頭頂部付近で髪を盛るのは難しいと思いますの」
スーザンはしげしげとアホ毛を眺めました。
「この前の謹慎の時以来、髪の毛が一房立ってるよねー」
スーザンは手にした櫛でわたしの頭頂部から前髪を丁寧に梳ります。
(……きもいいー)
「……髪の毛に意識が宿ってるんですのよねぇ」
スーザンが髪から櫛を離して、10秒もすると、アホ毛が再びびんとたちました。
「ぷっ」
スーザンが吹き出します。
「はぁ。という訳ですので、頭頂付近でまとめるのは無理ですの」
「じゃあ、後頭部でシニヨンにしようか」
そういうことになりましたの。
〈髪操作〉の術式で巻き髪をストレートにもどして、それをスーザンが後頭部で束ねていきます。三つ編みにして……ねじねじねじねじ。……それを上げてヘアピンで固定していき……。
「できた。髪飾りは?」
「男装なら不要では?」
「それもそうね。前髪はどうしようか」
スーザンはわたくしの前髪を持ち上げて後ろに。ふむ。確かに額をさらすと男性的なイメージが強まりますかね。
しばらくするとスーザンの指の間からアホ毛がぴんと立ちます。
「オールバックは無理ですわね」
「んー、ちょっと持ち上げてポンパドールはどう?」
スーザンは前髪を持ち上げるとヘアピンを左右から差し込み、高さを出していきます。
「アホ毛よ、居心地はどうですの?」
(……ん)
ゆらりと毛が揺れますが、ポンパドールの中で、ふわっと揺れていて、目立ちませんの。
「いけますわね」
「アレクサはなまこや髪の毛とお話ししていて楽しそうね。化粧は?」
「んー、化粧水くらい?」
「女の敵め」
ぐにぐにとほっぺを抓まれます。いや、そもそも男装ですしね。口紅とかつけませんでしょうに。
「じゃあ服は?」
「白の魔術礼装が先日届きましたので……」
服を並べていきます。インナーの防御魔法付与されたシャツに、白の詰襟の軍服、白いトラウザーズ、どちらもアイルランドをイメージさせる緑色のラインが入っています。それに揃いの黒い革でできたブーツと、ベルト。制帽は被らないので別にして、ああ、白の手袋もありますわね。あとは……じゃらじゃらじゃら。
「何それ」
「勲章ですのよ」
「なんでそんなにあるのよ、パーティーとかで軍人と会うこともあるけど、そんなに見たことないわ」
「アイルランドは軍功稼ぎ放題ですもの……生き残ればね」
さて、順に着込んでいきますの。
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わたしは気が付くと部屋の中、ベッドに寝かされていて、部屋の棚をクリス先輩と、同級生のパティが漁っていました。
「あ、おはよう、ナタリー」
「ああ、クリス先輩。おはようございます。何か素敵な夢を見ていました」
クリス先輩はわたしの顔を覗き込みます。
「それは現実で、あなたの夢はこれからよ」
クリス先輩がわたしに教えてくれます。
アレクサお姉さまがルシウス殿下から婚約破棄を告げられるであろうダンスパーティーの会場に、アレクサお姉さまが男装してわたしをエスコートしていくのだと。
「クリス先輩、意味が分かりません」
「あら、じゃあ嫌なの?」
「最高です!」
「なら良し。じゃあ急いでお風呂入ってきて、ドレス準備するから」
わたしの顔が青ざめます。
「そんな、お姉さまに合うようなドレスなど持っておりません!」
部屋にはわたしの母が持たせた古いデザインのドレスがすでに広げられています。
「デザインは古いけど物はいいわ」
「母のおさがりを仕立て直したものなんです」
「結構、さらに仕立て直しても?」
クリス先輩がこちらをじっと見つめます。
「そんな、構いませんけど、今日のパーティーに間に合うはずないじゃないですか!」
「何言ってるの……ミセス・ロビンソンに土下座してでも頼み込むのよ」
そこからの時間は飛ぶように過ぎていきました。ミセスに土下座し、ミセスがにこにこと了承してくれたかと思うと、わたしの周囲を布とレースとハサミと針と糸が乱舞し、それらが離れたと思うとミーアさんにお風呂に連れ込まれ、部屋に戻ったかと思うと、化粧品を大量に並べたクリス先輩に、全身に香水や化粧品を塗り込まれ……今、なぜかもう完成したというドレスを着つけさせられました。
わたしの茶色だか金色だかよくわからないような色の髪は艶やかに輝き、顔のそばかすなど全く見えず、ドレスは刺繍も華やか、オフショルダーの流行りの形に。
「これが、わたし……」
わたしが鏡の前で呆然としていると、扉を叩く音がします。
――コンコンコン。
「どうぞ!」
クリス先輩が答えます。
「失礼します」
あ、アレクサお姉さまの声、こ、心の準備が!
――ガチャリ。
扉の開く音がし……、光が、飛び込んできました。
ブーツを履いて、また髪を持ち上げているため、普段より少し背が高く見えるお姉さま。
純白の軍服、詰め襟に黒のベルト。肩と胸元には勲章が煌めき、全身はきりっと引き締まっています。
時間が止まったかのような感覚の中、ゆっくりとこちらに歩を進められます。
「こりゃあ、……予想以上ね」
クリス先輩が呟きます。
海を思わせる蒼い瞳がわたしを捉えると、その瑞々しい唇から優しく声が紡がれました。
「お迎えに上がりました。美しき我が姫君」
お姉さまはわたしの前に跪くと、白い手袋に包まれた手を差し伸べます。
「今宵、あなたの手を取ることを許して頂けましょうか?」
わたしは震える手をお姉さまの手に重ねます。大きくは無いですが硬くがっしりした掌。導かれるように立ち上がり、お姉さまと並びます。
「お姉さま……」
お姉さまは頭を振り、右手を立ててわたしの口元に。
「お姉さまではない。今宵は、アレクサと呼んで欲しいな」
アレクサ!意識がもう飛びそうです!ふらつきますが、アレクサの腕に支えられ、倒れることは叶いません。
「あ、あれ、アレクサ」
アレクサは優しく微笑まれました。
もう死んでもいい!いっそ殺して!
わたしの心の中のナタリーが、「わたしに!わたしにサービスシーンを!」と要求してきたのです。
……お前が登場人物の中で一番人生楽しんでる気がするんだけどなぁ。




