第4話 なまこを飼いますの
リンツ先生が倒れてしまわれたのですが、試験を見ていたというサイモン学長がやってきて試験の終わりを告げました。試験自体はわたくしが最後でしたし、特に問題はありません。
みなさん、お友達と雑談を始めます。前期試験が終わったので、冬至祭のパーティーの計画について話し始める子、お互いの使い魔を見せ合う子などがいます。
なぜかわたくしのところには近づいてきません。というか目をそらされているような……。わたくしと目を合わさないようにしているのにこちらをちらちらと伺ってきます。
……何でしょう、この微妙な空気は。
わたくしが困惑していると、1人の女の子と目が合いました。意を決したようにこちらを見つめ、こちらへと向かってきます。
「ねえ、アレクサ。ちょっといいかしら?」
彼女はクリスティ。わたくしが同級生の中でも特に親しくしている友人と言っていいでしょう。サラサラのブルネットをストレートに背中まで伸ばした女の子です。侯爵家の生まれで、座学の成績は学年でも最上位に位置しています。
そんな彼女ですが、可愛いものに眼がないという側面があり、胸元にはもふもふの毛玉うさぎが抱え込まれています。
「ええ、もちろんですわ、クリス」
わたくしがそう申しましたのに、クリスはなぜか言い淀んでしまいました。
なんでしょう。寮で行う冬至祭のパーティーのための買い物に行く約束をしていましたが、行けなくなってしまったのでしょうか?
わたくしがゆっくりと首をかしげると、追い詰められたような表情をして重い口を開きます。
「……えっと、その棒。何?」
周囲が沈黙に包まれます。みなが聞き耳を立てているようでした。なるほど、みなさんこれを気にしていらしたのですね。
「こちらはなまこという海の生き物ですわ」
「キュウリ?植物なの?」
「いえ、れっきとした動物ですわ。形がキュウリに似ているからこの名がつけられたのでしょう」
と言って、なまこさんを彼女がよく見えるように差し出します。
クリスは一歩後ろに下がりました。
「……」
「……」
一歩前に出ます。
クリスは一歩後ろに下がります。
「……どうして下がりますの」
「どうして下がらないと思っているの」
わたくしは首を傾げます。
「くっ、こんなに可愛らしいのに、手の中のもののせいで台無しだわ……」
クリスが呟きます。
「可愛らしいといえば、あなたの抱きかかえている使い魔も可愛らしいですね、クリス。ご紹介していただけます?」
というと、クリスはにんまりと笑います。
「そうなの!毛玉うさぎよ!昔から欲しくてしかたなかったのにお父様は買ってくれなくて。使い魔としてこの子が呼び出されたときは感激のあまり契約を忘れそうになったわ!」
ちなみに毛玉うさぎはそんなに強くないとはいえ、れっきとした魔獣ですの。娘に買い与えて良いものでは決してないと思いますわ。
クリスの召喚した毛玉うさぎを眺めていると、赤い瞳をくりっとさせてこちらを見つめてきました。
他者に対して攻撃的では無いようですし、クリスに抱きかかえられていても落ち着いたものです。魔獣の使い魔は時に召喚者の支配を無視して攻撃的となることがあると授業で言われていましたが大丈夫そうです。
……まあ、その場合でも毛玉うさぎ程度なら何とでもなるでしょうが。領地では良く狩っていましたし。ああ、毛玉うさぎの腿肉は美味しいのですよねぇ。
「……ぷーぷーぷー!」
毛玉うさぎが気の抜ける警戒音を出しながらクリスの腕の中で身じろぎし始めました。
「あらあら、急にどうしたのフラッフィー?」
わたくしの魔力か食欲に警戒されてしまったようです。気配を鎮めると、すぐに毛玉うさぎは落ち着きました。
「フラッフィーとは毛玉うさぎのお名前ですの?」
「そうよ。昔から毛玉うさぎが飼えたらこの名前にしようと思っていたの。契約してすぐに名付けちゃった」
毛玉の名前がふわふわとは、そのまますぎませんか?と思いますがもちろん口には出しませんわ。
わたくしはフラッフィーと目を合わせるようにして言います。
「ええと、良かったですわね、フラッフィー。ステキな名前をいただいて」
「アレクサは……えっと、そのなまこに名前をつけたの?」
わたくしはゆっくりと首を横に振ります。
「わたくしも色々考えてはいたのですが、皆さん、ドラゴンが出てくるだの高位精霊が出てくるだのおっしゃられるので、どうも格好良い名前というか硬い名前ばかり考えてしまって」
「あー、わたしもそれ言った気がするわ。ごめんね」
「いえいえ、何も問題ありませんわ。そういう訳ですので、ちょっと考えていた名前となまこさんとのイメージが合わないのですよね。
こんなに愛嬌がありますのに」
「「「「「「えっ?」」」」」」
なにやらわたくし以外のクラスのみんなの心がひとつになった気がしますの。
「……はっ、あまりの衝撃的発言に呆然としてたわ」
『ご歓談中申し訳ない。少し良いでしょうか。主人、アレクサ』
なまこさんから思念が飛んできました。ここで声を出して答えると、独り言のようになってしまうでしょうか?
わたくしは心の中で〈精神感応〉に返事をします。
『なんでしょう?』
『申し訳ないのですが、ちと体表が乾燥してきたようです。何か水を溜められるものはないでしょうか?』
『あっ、そうですわね!』
そうでした。なまこは海の生き物ですし、地上に居続けるのはつらいでしょう。
「ごめんなさい、クリス。わたくし、なまこさんについてまだ貴女とお話ししたいのですけども急いで寮に戻らなくては」
「そうなの?何かあった?」
「なまこさんを水につけてあげないといけませんの!」
「あ、はい」
クリスが珍妙な表情を浮かべます。
「では御機嫌よう。また後でお話ししましょうね!」
わたくしはそう挨拶すると急いで寮へと向かいました。校舎の隣にある女子寮へと速足で移動します。
わたくしの所属するディーン寮は50人ほどの生徒が住む女子寮で、レモン色の外壁をした3階建ての立派な建物に、薬草学用の菜園と観賞用の庭園を有しています。
寮の玄関の前には寮母さんであるミーアさんが座って本を読んでいました。ミーアさんは猫族の獣人の方で、元冒険者で斥候をなされていたそうです。
手足が長くてスレンダーですが、見た目より筋肉質で、重いものなどもひょいと持ち上げてくれるなど頼りになる皆のお姉さんといった方です。髪の毛はブラウンのショートヘアー、小麦色の艶やかな肌に、獣人の特徴である耳と尻尾、毛に包まれた手足が素敵ですの。首元には赤くて小さい鈴をつけたチョーカーが巻かれています。
クリスがよく、ミーアさんの素晴らしさについて
(スタイリッシュさ+美しさ)×(猫耳など獣相の可愛さ+チョーカー)=∞
とか訳の分からない式を持ち出して、彼女のはかいりょく?を力説して、ドン引かれてますの。
そんなミーアさんの頭上の茶色と白の毛に覆われた耳がぴくりと動き、こちらに視線を向けました。
ミーアさんはにこりと笑うと立ち上がり、椅子の上に本を置きました。今日召喚された使い魔が寮で住めるか、専用の厩舎に連れて行かれるかをチェックするため、待機されていたのです。
「アレクサ、おかえりにゃー」
「ただいま戻りましたわ。ミーアさん」
「一番乗りだよ、早かったにゃー。……それがアレクサの使い魔にゃ?」
ミーアさんは困惑したような眼をわたくしの手元に向けています。
「ええ、なまこさんです。彼を水槽に入れて差し上げないといけませんので、急いで戻ってまいりました」
わたくしは見えやすいようになまこさんをミーアさんの方に差し出します。
ミーアさんは一歩後ろに下がりました。
「……」
「……」
一歩前に出ます。
ミーアさんは一歩後ろに下がります。
……さっきもこのやりとりしたばかりですわ。
「動物……にゃ?」
「はい。ですから他の寮生に危害を加える可能性は低いかと思いますわ」
「……わたしもなまこに襲われるとは思わないにゃー。
いいですにゃ。アレクサが使い魔を寮内で育てることを許可しますにゃ」
「ありがとうございます」
わたくしはミーアさんにお礼を告げると、水槽を使いたい旨を申請し、倉庫へと向かいました。
「……この水槽はいかがですか?」
倉庫に仕舞われていた水槽をなまこさんに見せます。幅50cmほどのもので、これくらいならなまこさんに窮屈な思いをさせずにすむと思うのですが。
『素晴らしいですね。ただ、もう1つわたしがぎりぎり入れるくらいの小さい水槽があると嬉しいのですが』
わたくしは首を傾げながら倉庫の中を眺めます。東方風の丸い金魚鉢が目に留まりました。
「これなんかいかがかしら?でも何に使われるのです?」
『ぜひそれでお願いします。わたしは使い魔ですし、主人に仕えるには移動用の水槽があるのが望ましいかと』
「では、夜は大きな水槽の中で休んでもらい、昼はこの金魚鉢にあなたを入れて持ち運べばよいのですね?」
『アレクサの手を煩わせるようなことはしませんよ。小さいほうにわたしをいれていただけますか?』
わたくしはなまこさんを片手に持ち替えると、棚の金魚鉢を取り、その中になまこさんをそっと横たえました。
「水をいれましょうか?」
『いや、我々は海の生き物ですので、淡水はあまり……。〈海水作成〉か、〈塩水作成〉の術式が使えるなら』
そのような呪文初めて知りましたわ。あまり人間の魔術師には縁のなさそうな呪文ですの。奥が深いですわね。
「申し訳ありませんが……、台所からお塩をもらってきますわね」
『いや、もとより自分で対応するつもりでしたのでお気になさらず。……〔領域展開〕』
これも聞いたことのない術式名です。なまこさんの体から染み出すように水と白い砂があらわれ、金魚鉢を満たしました。砂上には小ぶりな石と、それに付着した水草、いや海藻ですわね。水はわずかに濁り、おそらく海水なのでしょう。微小なエビのような生き物が泳いでいるのが見えますし、それ以外にも見えないほどの小さな生き物が浮遊しているのだと思います。
しかも手からは温かさが伝わってきます。海水の温度が20度以上はある様子。このような多様な効果を一行詠唱で作り出せるのですか。
「なまこさんは大魔道師でしたのね。ワンフレーズでここまで複雑な効果の魔術を使えるとは、目の前で見ても信じがたいですの」
『そのように持ち上げられると照れてしまいますね。ちょっと魔術とは違う能力ですし。とりあえず話はまた後にして、倉庫から出ませんか?』
わたくしがその言葉に首肯すると、なまこさんは〈念動〉の術式を唱えて、金魚鉢と水槽を宙に浮かべました。
『ではアレクサ、貴女の住処に招待していただけますか?』
「ええ、喜んで」
わたくしは、なまこさんと共に自分の部屋へと向かいます。同級生たちも何人か寮に戻ってきていて、わたくしの後ろを浮遊している金魚鉢と水槽を見てお話しなさっているようですわ。
わたくしは階段を上がり、自身の部屋の扉を開くと、軽く膝を折って中を指し示して言いました。
「わたくしのお部屋へようこそ、なまこさん」
『ありがとう、お邪魔します』
部屋になまこさんを迎え入れ、水槽を置く場所をきょろきょろと探し、勉強机の隣のサイドチェストの上がちょうどよいと判断しました。
サイドチェストの上に置かれていた、作りかけのドライポプリの大瓶を机の上に移動させます。試験も終わりましたし、これも完成させないといけませんわね。冬至祭の贈り物には、魔除けを兼ねた匂い袋にするのが素敵かしら。
「ではなまこさん、ここでよろしいでしょうか」
わたくしがサイドチェストを指すと、水槽がゆっくりとサイドチェストの上に浮遊し、そこに設置されます。
わたくしは僅かにはみ出ていた分をずらし、天板の中央に水槽を移動させました。
「ああ、ちょうどぴったりですわね」
『それは良かったです』
その後、なまこさんは大きな水槽に移動され、そこも海水で満たされましたわ。
寮の部屋なのにポプリの香りに混じって、僅かに海の匂いが漂ってくるのも面白いですね。
インテリアとしてみても、水槽があるのは良いのではないでしょうか。いつの間にか小さくてきれいな魚も水槽に泳いでおりますし。熱帯魚というものでしょうか?
何はともあれ、使い魔との生活がこれで始まりましたの。
陸生や淡水生のなまこは存在しないようです。少なくともこの作中ではいないこととしますね。
作中の表記についてですが、魔法は〈~~〉という風に表記しています。
また初回表記時は英語で魔法名のルビを併記しています。