第37話 いぶ・らぷそでぃー・上
バレンタインに書いたものの改稿ですよっと。
「あら、満員ですのね」
ディーン寮のキッチンには女生徒たちがひしめき合っておりますの。
今日は2月13日、つまり明日はいよいよ恋人たちの日。愛を確かめ合う、恋人たちの祝祭。
恋する人へ、婚約者へ、家族へ。贈り物をするならわし。
素敵な小物も良いけれど、やはり女の子からはお菓子、それも手作りのチョコレートを贈るのが伝統ですわね。
カカオにメレンゲにマシュマロに……。キッチンは甘い匂いでむせ返るよう。
「アレクサー、こっち!」
キッチンの奥からクリスが呼んでくれます。
わたくしはみなさんの後ろをそっとすり抜けていきます。
「今、スーザンとサリアが終わるからさ、代わりに入りなよ」
スーザンもわたくしの同級生で男爵令嬢ですが、子爵令息の婚約者がいるんですわよね。
サリアはまだ1年生で平民の子なのですが。
「サリアは、誰にあげるのかしら?」
彼女はポートラッシュの出身で、わたくしが学園に来る前からの知り合いなのです。
サリアが背伸びをして、わたくしの耳に手を当てて囁きました。
「アレクサ先輩たちの分と、……同級生のウィリー君に」
わたくしは彼女のおかっぱの頭を撫でました。
「受け取って頂けると良いですわね。楽しみにしていますわ」
スーザンとサリアがお菓子の箱を大切そうに抱えてキッチンを出て行きました。
さて、わたくし料理はそんなに得意ではありませんが、お菓子はけっこうおいしく作れますのよ。薬草学の調薬に似ているところありますわよね。……まあ、飾りつけのセンスはいまいちとみなさんおっしゃるのですけども。
わたくしは顔の両側に垂れる巻き髪を背中側に持っていき、後頭部で束ねます。
「ポニーテールのお姉さまも素敵です!」
クリスの隣にはナタリーもいましたの。
「ありがとう、ナタリー」
「ルシウスの分を作るの?」
クリスが尋ねます。
ルシウスはこの国の第二王子であり、わたくしの婚約者でもあります。ただ、ルシウスがジャスミンに心移りされて、もう破談になりそうなのですわよね。
一応、明日決着がつくことにはなっていますのよ。ただ、正直なところ、わたくしが婚約を破棄されそうな流れですの。
「まあ、もちろんルシウスの分を作らない訳には」
いくら婚約破棄されそうといっても、まだ決まったわけではありませんからね。
「クロさんの分はどうするんですか?」
とナタリー。
クロは今、わたくしの部屋の水槽にいるのですが。
「なまこってチョコ食べるの?」
とクリス。
「無理かと思いますわ。というか、食べる前にチョコが水に溶けてしまいますの。……でもせっかくですから何か差し上げたいですわよね」
「小さく砕いたメレンゲに魔力を通せばいいかしら?」
メレンゲを魔力でコーティングして水に溶けず、沈むようにすれば。神としてのクロは魔力を吸収している様子ですしね。喜んでもらえるでしょうか。
わたくしの呟きに、ナタリーが反応します。
「それだったら、わたしも一緒に作らせてください!クロさんにはお世話になってますし!」
お世話されているのですか……?
「ええ、いいですわよ、ナタリー」
「そうね、メレンゲもカラフルにして、華やかにしようか」
とクリス。クリスも手伝ってくださるのね。
ということで、ルシウス用に2つのトリュフチョコレートの入った瀟洒な赤い箱と、カラフルなメレンゲの欠片を詰めた小ぶりな硝子瓶ができましたの。
箱はクリスがきれいにラッピングしてくれ、瓶にはナタリーがリボンを結んでくれました。
わたくし1人では、こうきれいにはできませんでしたわね。
「2人ともありがとうございますの」
「いいのよ」
「お姉さまのお役に立てて良かったです!」
わたくしが片付けに入ろうとすると、クリスが後ろから抱き着いてきました。
耳元に口を寄せます。
「ねえ、アレクサ」
「なんですの、急に抱き着くとあぶないですのよ」
くっ、わたくしよりボリュームのある胸が背中に……。
「アレクサの、好きな人の分は?」
わたくしは肩を落とします。
「いいんですのよ。作らなくて。それに、その話は婚約破棄が終わってからすると言う約束でしょう?」
残念そうにクリスが離れていきましたの。
さて、部屋に戻りますの。
『おかえりなさい、アレクサ』
頭の中に声が響きます。クロの〈精神感応〉です。
「ただいまもどりましたわ、クロ」
誰もいないわたくしの部屋ですが、サイドチェストの上には水槽が。その底に横たわる30cmほどの黒い棒状の物体。これがわたくしの使い魔、なまこのクロですの。
『今日はみなさんとお料理でしたか』
「ええ、クロの分もありますのよ?」
わたくしは手にした瓶を振ってみせます。
『ほう』
クロがゆったりと体をもたげてこちらの方を向きます。
「小さく砕いたメレンゲに、わたくしと、クリスと、ナタリーの魔力をしみこませてみたのですけども」
『おお、嬉しいです』
一つ、ピンクの欠片を手にし、水槽に落とします。
ゆっくり、ゆらゆらと沈んでいき、クロの前の砂の上に。
クロは口元から触腕を伸ばすと、周囲の砂ごと欠片を取り込みましたの。
『なるほど、アレクサの魔力ですね』
「ふふふ、良かったですわ」
思わず笑みが浮かびます。
『……アレクサ、何か悩み事でも?』
唐突にクロに尋ねられました。
ああ、〈精神感応〉は感情も伝わってしまうんですわよね。
「クロに隠し事はできませんわね」
そうして、ぽつぽつと語りだしました。
ルシウスから明日、婚約破棄を切り出されるだろう確信。その悲しみ。王国とわたくしの領地、ポートラッシュが戦とならないかの不安。気付いてしまった義兄様へのわたしの恋心。血はつながらないとは言え、義兄様をそういう対象として見ていた背徳。わたくしの命を護るため、記憶も、正気も、全てを捨てさせてしまった義兄様への罪悪感。ルシウスとまだ婚約破棄がなされていないのに、次の恋を考えている不実。
語り出すと、いろいろと思いが溢れて止まりません。
クロは黙ってそれに耳を傾けて下さり、わたくしの言葉がとまるとこう言いました。
『アレクサが世界を敵に回しても、わたしはあなたを肯定しますよ。わたしはあなたの使い魔ですからね』
「ふふ、甘やかさないで下さいな」
『甘やかしてなど。神々なんて、人ほど倫理観のある存在ではないですよ。
……それにね、恋心を取り締まる法はないのでしょう?明日は何の日なんですか、アレクサ』
「恋人たちの日ですの」
『婚約者たちの日ではないのですよ』
……なまこの使い魔に恋心を説かれる日が来るとは。
半年前には想像もしていませんでしたわ。……そうですわね。
わたくしはクロを連れ、寮の裏手の庭に出ます。
今は3の月が中天に白く輝き、1の月は見えず、2の月が西の空低くに細く欠けて輝いています。
ディーン寮はサウスフォードに6つある寮の中でも最も建物が小さいのですが、その分お庭が広いですの。
寮の創設者であるディーン卿、100年くらい前の人物ですが、宮廷医師筆頭だった方で、薬草学用の菜園を広く取ってくださったのですわ。
そして、その一角にはわたくしの栽培している薬草園がありますの。決して広くはありませんが、それでも薬草学は学年でもトップですからね、生徒の中では一番広くて良い場所を頂いていますのよ。
「……〈光〉」
夜闇の中、魔法で作られたか細い明かりが、わたくしの薬草園を浮かび上がらせますの。
『ここが、アレクサの場所ですか』
わたくしは頷きます。
今は冬、寒風吹きすさぶ寂しげな風情の庭の隅、並べられた植木鉢の1つを手に取ります。
鉢からは20cmほどの大きさの植物が、元気に緑の葉を茂らせていますの。
「勿忘草、あるいは“わたしを忘れないで”……(Myosotis or “Forget-me-not”……)”」
薬草学的には気管支系の薬として使われますから、わたくしも育てていますの。でも……。
今わたくしが望むのはその名前、そして古代より伝わる呪術、花言葉。そう、“わたしを忘れないで”義兄様……。
めったに使わない術式なので、魔術の明かりと月明かりの中、魔導書をめくり、確認しつつ術式を唱えますの。
「〈栽培促進〉、〈豊穣〉」
鉢植えの勿忘草に1月分の生長を促しました。〈豊穣〉の術式からの養分を受け、目に見える速さで勿忘草の葉が育っていきますの。全体的に葉や茎が大きくなり、30cmくらいの高さまで育つと、蕾をつけ、花を咲かせます。
少し紫がかった青の、小さい花、中心は黄色くコントラストが鮮やかです。1つが咲くと、また次から次へと花を咲かせ、鉢植えには数十の青く可愛らしい花が咲き誇りました。
魔術の維持をそこで止めます。
わたくしは鉢植えを抱えて、キッチンへと戻りましたの。




