第32話 たてろーる
…………。
『……ようござい……』
…………。
『おはようございます、アレクサ。日が昇っていますよ』
…………。
「ん」
クロの思念に起こされましたの。
「おはようございますの」
むくりと体を起こします。広がっていた髪の毛が勝手にするすると巻き髪をつくります。
「……寝間着に着替えていますのね」
ライトグリーンの寝間着を着ていましたの。
『昨日の夜、わたしが〈念動〉でアレクサを運ぼうとしたところ、ミーア殿とクリスティさん、ナタリーさんが一緒についてきてくれまして。
棚から服を取り出してアレクサを着替えさせていましたよ』
「全く記憶にございませんの」
『そうですね、全く目を覚ましませんでしたね。ナタリーさんが流血したりしていて大騒ぎだったのですが』
「流血……?大丈夫ですの?」
『ええ、「幸せが溢れた」だけなので問題ないそうですよ』
わたくしは首を傾げます。
「……どこかで聞いたセリフですわね」
『それよりアレクサ、時間がないのでは?』
確かに!日が昇っていますものね!
わたくしは慌てて着替えて準備、食堂へと向かいます。
――ぐー。
あー、夕飯食べ損ねたのでお腹すいていますわねー。
なぜかナタリーがわたくしを見て顔を赤くしているのを横目に慌てて食事をし、さて今日は魔術決闘ですわね。
みなさんとぞろぞろと校庭に集まります。合同授業ですので……。あ、来ましたの。ルシウスです。
わたくしはクロの入った金魚鉢をクリスに渡します。
「ちょっとアレクサ?」
『どういたしました?』
「ルシウスと話してきますの。クロをけなされると頭に血が上ってしまいますので、ちょっと預かってくださいまし」
クリスとクロに笑みを見せ、振り返るとまっすぐルシウスに向けて歩いていきます。
「ルシウス殿下」
わたくしはルシウスの前に立ちます。ルシウスの表情に剣呑なものが宿りました。
周囲もわたくしたちの一挙一動を見逃さぬよう、しんと静まり返ってこちらを見つめています。
機先を取って深く頭を下げます。
「もうしわけございませんでしたの。ルシウス殿下」
「無様だな、アレクサンドラ。謹慎して、自分の犯した罪が分かったか」
わたくしは頭を上げてルシウスと目を合わせます。わたくしが頭を下げたことに満足を感じられている様子ですの。
「ええ」
「ふん、ジャスミンを害した罪、反省しているというのであれば、司法院への訴えは取り下げてやろう。
心優しきジャスミンは、お前のような女でも前科がつくのは可哀想と思うのか、訴えなくても良いと言うのでな。わたしも」
「いえ」
わたくしは拒絶の意思を込めてルシウスの言葉を遮ります。
「お前が反省しているなら寛大に許して……何?」
ルシウスの瞳をじっと見つめます。ええ、そうですわね。
「わたくしの罪はそのような些細なことではありませんの」
「貴様!言うに事欠いて、ジャスミンを突き落としたことが些細だと!」
激昂するルシウスに反し、わたくしの頭の奥はどんどんと冷えていきます。
「ええ、わたくしの罪はもっと重い」
「ほう!ジャスミンを突き落とすことが些細であるというほどの罪とはなんだ!答えてみろ!」
わたくしは一度、視線を彷徨わせます。深呼吸して息を大きく吸い、そして告げます。
「ルシウス、貴方を、愛せなかったこと。そして、貴方に愛されることができなかったこと」
「なっ」
周囲がざわめきます。
「誤解されないよう申しておきますが、わたくしは決して不貞など働いてはおりませんわ。
それでも、わたくしには、あるいはわたくしたちは互いを愛する努力が足りませんでしたの」
ルシウスに動揺が見えます。
「わたくしと最初から関係を始め直す気はありませんか?
幼いころよりなんとなく婚約者になっていて、なんとなく結婚するんだと思っていた関係ではなく、最初から互いを愛し合う努力を始めませんか?」
ルシウスは黙して語りません。わたくしはため息をつきます。
「……恋人たちの日に結論をお出しくださいと以前言ったことを覚えておられますか」
「……ああ」
ルシウスが頷きます。
「その時に、賢明な判断を成されることを期待していますの。わたくしはその日まで、もうこの件について口にすることはありませんの」
「……わたしの判断は1つしかない」
わたくし、謹慎中にずっと考えていて、ジャスミンの思惑が何となく分かりましたのよ。
「その結論は破滅しか生まなくとも?
批判無き愛は裏切りにあいますの」
「ふざけるな!わたしとジャスミンの愛を愚弄するか!」
「……なぜその言葉を他の生徒たちがいる前で口にしてしまいますの」
ルシウスが言葉を続けようとしたところで、大きな咳払い。チャールズ先生ですの。
「おはよう諸君。校庭の真ん中で固まるんじゃない」
わたくしはルシウスに礼を取ると、その場から離れました。
「……さよならですの、ルシウス」
そっと呟きます。
クリスが近づき、こちらにクロを手渡します。
「今の会話の意味、教えなさいよ」
「確証無いことですのであまり……どちらにせよ恋人たちの日には分かることですのよ。まあ、結果はもう見えたようなものになってしまいましたけどね」
「そうねえ。アレクサ、大丈夫?」
わたくしは両手で自分の頬を叩き、気合を入れます。
「大丈夫ですの。大切な決闘前にへこんでる訳にはいきませんものね」
チャールズ先生はいつも通りにせかせかと校庭を突っ切ると壇上に登りました。
「さて、諸君。浮ついているようではいかんぞ。今日が3戦目の魔術決闘、前半戦の最後だ。次回からは2度ほど座学を挟み、その後で後半の3戦に入る。
毎年このあたりになると妙な慣れが出てきてな。決闘ゆえに怪我をすること自体は仕方ないのだが、無用な怪我をするものが一番多いのはこの3戦目だ。皆、気を引き締めてかかるように」
「「「はい!」」」
ふむ、昨日の夜は久しぶりにぐっすり眠れたとはいえ、6日間まとまった眠りをとれなかった疲労感は体の芯に残っておりますの。先生の言われる通り、怪我には気をつけねば。
そう、それに昨日ドロシアにもいわれてしまいましたが数日間運動もできていませんでしたし、クロとの魂絆も切れていた状態でしたからね。
もちろんコンディションはよくありません。ですが、戦場に臨むに際して、そんなことは言えません。これが、今の私のベスト・コンディションですの。
「では一番コート、アレクサンドラ!」
「……はい!」
「ドロシア!」
「はい!」
予想通りドロシアとですか。
ディーン寮のみなさんがため息をつきます。
「どうした諸君」
クリスティが手を挙げ発言します。
「間違いなく、今日までの魔術決闘で一番酷い試合になるかと思いました」
「なぜだ」
「ドロシアは、学年でも数少ない、アレクサンドラに勝とうと牙を研いできた生徒だからです」
皆がドロシアの方を見ます。
ドロシアは初めて見る彼女自身の魔術礼装に身を包んでいます。炎を想起させる紅の衣装、前合わせの内側に術符などを仕込める形状のマント、キャベンディッシュ侯爵家の家紋。
キャベンディッシュ家は代々、火霊系統の術式に長けた一門。その中でも神童と呼ばれたドロシアが、全力でぶつかってこようとしているのが分かります。
何もしていないのにドロシアの周囲の景色が揺らぎました。風もないのに彼女の金髪がふわりと少し浮き上がります。
……あれ、魔力を熱量に自動変換する付与魔術とか仕込んでありますかね。
「あー、ドロシア?すごい気合入ってる、な?というか、魔力量普段より随分多くない、か?」
先生の語尾が疑問形ですの。
「当然ですわ。今日というこの日に向けて、魔力総量を隠し、魔力を蓄積してきたので」
ひゅー、3年間ずっと実力を隠しながら学年トップクラスの成績でしたのね。
「お、おう。なぜそこまで?」
「イングランドの大人共がだらしないからですわ。アイルランドの辺境伯ごときに王国最強を名乗らせているのが我慢できませんでしたの」
なるほど。
「わたくしを倒しても最強が名乗れるわけではありませんわ。それに、負ける気はありませんのよ」
わたくしも魔力を解放します。
わたくしの魔力とドロシアの魔力が接触し、火花を散らしますの。
「知っているわ。わたしは、あなたに勝てると断言できるほどうぬぼれてもいないし、あなたに勝ったからと言って王国最強を名乗れるわけでもない」
ドロシアが笑みを見せます。
「でもね、アレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。貴女に対して力を示すことは……」
ドロシアはちらりとルシウスの方に視線をやりました。
「腑抜けたイングランドの貴族や王家に喝を入れられると思っているわ」
わたくしの頬に笑みが浮かぶのを感じますの。
「あー、二人とも。対戦相手を変えてもいいか?」
「お断りですわ」
「お断りですの」
わたくしたちは肩を並べてグラウンドの中央へと向かいました。
一番コートではなく校庭の中央で互いに背を向け、5歩離れて振り返ります。
ドロシアと目があいます。朱を刷いた黄金の瞳がこちらを見つめています。目を離さず、チャールズ先生に声をかけました。
「チャールズ先生、校庭の全面使用の許可を」
空間転移系術式の揺らぎを感じました。
「サイモン校長、校庭の全面使用の許可をいただきたいですの」
ため息が聞こえます。
「……理由は」
「2人の魔力総量から見るに、部分使用では結界が持ちませんの」
「……許可しよう」
ドロシアが笑みを浮かべます。
「そのアホ毛、燃やしてやりますわ」
わたくしも笑ってみせます。
「やってみると良いですの……燃やせるものなら」
『クロ、相手は火の使い手ですの。水系統での防御をお願いいたしますの』
『承知しました』
ドロシアの足元には火蜥蜴。50cm程度の大きさで、火のついた炭のように、内から赤く輝く黒い体。無機質な視線をこちらに向けてきています。
先週の火竜ザナッドとクロの戦いを見るに、そうそうクロの水や海の魔術なら炎で貫かれることはないでしょう。
わたくしは会釈すると、腰の杖を抜き、体の正面に構えました。
「我が名はアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。使い魔クロを従え決闘に臨む」
ドロシアも会釈し、マントの内側から杖を抜き、体の正面に構えました。
「我が名はドロシア・クリスティアナ・キャベンディッシュ。使い魔ウルカヌスを従え決闘に臨む」
どよめきがあがります。
「……おっと、杖までガチ仕様じゃないですの」
ドロシアの抜いた杖は学校指定の初心者用魔術杖ではありませんでした。初心者用魔術杖は流れる魔力量の最大値が低く、威力に制限がかかるので安全性が高いですの。
しかし、彼女が構える杖は肘から指先までの長さの黒檀に黄金の装飾、先端には最高級のルビーが鮮やかに輝いていますの。
火霊系術式増幅特化型最高級杖ですかね。それ侯爵家の家宝では……?
「文句ある?」
わたくしは初心者用魔術杖を背後に投げ捨て、手招きしました。
「ないですの」
地面にわたくしの投げ捨てた杖が落ちる、カランという音が響きます。
「始め!」
「火を吐け、ウルカヌス!」
ドロシアが使い魔に命じ、ゆっくりと火蜥蜴がこちらに首をもたげます。
『〈水纏い〉』
クロが術式を起動させると、薄い水の膜のようなものがわたくしとクロを包みます。水属性魔術、耐火炎の基本にして発動の早い有用な術式ですわね。
「はぁっ!〈火球〉!」
火蜥蜴からの炎の息と、ドロシアの放つ炎の球がわたくしの顔面目掛けて向かってきます。
「創作術式、〈騎士帽子〉」
わたくしは謹慎中に作り出した術式を唱えました。前方に垂れているアホ毛が上を向きます。縦ロールがざわざわと蠢きますの。高らかに宣言します。
「盾ロール!」




