第28話 ばとる・うぃずあうと・ふぃすと
わたくしは踊り場に立ち、上階にはジャスミンの姿。木製の飴色の手すりに肘をかけて、胸を強調する姿勢ですの。黒の長い髪が、傾きかけた日差しを艶やかに照り返しています。
「ごきげんよう、ジャス……っとミス・フォンテーン」
「ええ、ミス・アレクサンドラ」
ふむ。わたくしは片手を腰に当てて返答します。
「わたくしは貴女をミス・フォンテーンと呼びましたよ」
ジャスミンが手すりから肘を離し、胸に手を当てると一歩引いてゆったりと頭を下げます。
「申し訳ありません、レディ・アレクサンドラ」
彼女は頭を戻すと、にやりと笑いました。
「こういった、家格の差を利用した攻撃をなさるとは思いませんでしたわ」
ねぇ、やっぱりそういう顔をするわよねぇ。ルシウスはその表情を知っているのかしら。わたくしは肩をすくめます。
「わたくしだって、こんな言い方はしたくありませんの。ですが、自分の家格も顧みぬ恥ずべき行いをする者がいるのですもの。
それで、フォンテーン男爵令嬢はわたくしと話すために授業を抜け出して待ち構えていたという認識でよろしくて?」
「ええ、アレクサンドラ辺境伯令嬢。お時間をよろしいでしょうか?」
「構わないわ。ただ、フォンテーン男爵令嬢。あなた、わたくしと話すのに高いところから話す気かしら?それとも辺境伯令嬢にここまで登って来いというつもり?」
ジャスミンが軽やかに足音を立てず、階段を下りてきます。軸のぶれない歩き方。もちろん彼女も令嬢ですし、舞踏などの礼儀作法に熟達しているように見えますが、どうにも体術の所作のようにも見えますわね。
『アレクサ、冷静に。前の時も言いましたが、かなりの魔道具を仕込んでいますよ』
クロからの忠告ですの。
『ええ、ありがとう』
そもそも、大量の魔道具を仕込むって、特に裕福との噂も聞かない男爵家で可能なはずもないのですが、出所はやはりルシウスなのかしら?
ジャスミンがわたくしの前に立ちます。こう見ると背格好は同じくらいですのね。ええ、1か所、無駄な質量がありますけども。
わたくしの視線がちらりとそちらに行ったのを感じたのか、ジャスミンがにやりと笑います。性格わるぅ……!
「さて、ジャスミン。あなた何を考えていますの?」
わたくしから話しかけます。
「何をとは?」
ジャスミンが白々しく韜晦します。
「ルシウス殿下との件ですわ。略奪愛に走るつもりですの?」
「そう、と言ったらどうしますか?」
んー……。なんと言ったら良いのか。
「正直な気持ちを言えば、殿下にしろ、あなたにしろ、正気ですの?といったところですわね。
王家は第一王子のコーネリアス様が継ぐことは既定路線ですの。他の王女殿下は他国に嫁がれますし、ルシウス殿下はポートラッシュに婿入りなさり、疎遠になってしまっている王室とアイルランドの繋がりを強めるという政治的意図がありますのよ。
ここまではよろしいですの?」
ジャスミンは頷きます。
「わたくしが疑問なのは、国策ともいえる婚約に男爵家令嬢との恋愛なんて要素で引っ掻き回そうとするルシウス殿下とあなたの神経。
それにわたくしとの婚約が破談となった場合、ルシウス殿下は身の振り先すらもありませんの。そのあたりどうお考えですの?」
わたくしの問いに、ジャスミンはゆっくりと目を閉じ、うるんだ瞳で答えました。
「真実の愛のためだもの。仕方ないのではなくて?」
はっ、冗談。
「ルシウス殿下にとってはそうなのかもしれませんが、ジャスミン、あなたにとってもそうだと言いますの?」
「愛は正義より強い(Love is Stronger than Justice)のよ?」
わたくしは即座に首を振ります。
「真実の愛ならそうかもしれませんわ。でもあなたは違う、にも関わらず、何を企んでいるのかが見えませんの」
ジャスミンはにやりと笑いました。
「何を企んでいると思ったのか聞いてもよろしいかしら?レディ・アレクサンドラ」
わたくしは彼女から目を離すと、窓から外を眺めました。
『クロ、誰かから見られている気配はあります?』
クロに思念を飛ばします。
『……いえ、魔術的にも物理的にも干渉はないかと』
「その前に1つ確認ですわ。あなた、わたくしを正妻として、あなたが妾に収まる気はありますの?」
ジャスミンは視線で先を促します。
「先日、ルシウス殿下はないと仰いましたが、丸く収まるのはこれですわ。わたくしを立て、子をなしさえすればこちらとしては、あるいは王家としては構いませんの。離婚はできませんが、子をなした後であれば、ルシウス殿下とどこかで仲良くやっても良い。
伯爵家と王家からある程度なら援助も出るでしょう。そういう道は考えませんの?」
ジャスミンはゆっくりと頭を振りました。
「その道はあり得ませんね。さっきも言ったわ。愛は正義より強いの」
なるほど、彼女は明確に敵対するみたいですのね。……ルシウスとの関係修復も難しいということですか。
わたくしはため息をつき、気分を入れ替えました。
「企みについてですが、王家の血を取り入れようとしているのか。ですが、正直言って男爵家が王族を抱えるメリットはありませんの。
後からどこかの大貴族家に抱えられる可能性も考えましたが、フォンテーン家はあまりそういった繋がりがありませんのね」
ちょっとジャスミンが感心したような素振りを見せます。
「調べられたのですか?」
わたくしはそれには答えず、ただ微笑んで見せます。
ふー、こういうのはクリスに感謝ですのね。彼女の情報が無ければこんな話を振ることもできませんでしたの。
「あとはコーネリアス王太子を廃しようとする懸念ですの」
「さすがにその意見は不遜では?」
ジャスミンが口をはさみます。
「男爵令嬢如きが王族の婚姻にしゃしゃり出ることも不遜ですわ」
ジャスミンは黙ります。コーネリアス王太子を廃し、ルシウス殿下を王とすればジャスミンは女王になれますものね。
「とは言え、そのような動きもなく、外国の間者かとも思いましたが、そもそもフォンテーン家は外国とのつながりのある様子もありませんの」
ジャスミンが微笑みました。
「レディ・アレクサンドラはもっと直情的に攻めてくるのかと思っていましたわ」
彼女はゆっくりと胸元に手をやり、谷間を強調するように金鎖のネックレスを取り出しました。
「それは……」
「強力な守護の御守りですわ。ルシウス殿下にお借りいたしました」
「わたくしが攻撃を仕掛けるのを待っていましたのね?前回の時もみなさん、そういったものを隠しもっていましたものね」
ジャスミンが笑います。
「ふふふ、気づかれていましたか。そうですわね、手を出していただければ、あなたに暴力を振るわれたということにできて婚約破棄の良い理由になったのですが。
どうです?今なら攻撃すればわたしを簡単に倒せますわよ?かのレディ・アレクサンドラならわたしが悲鳴を上げるより速くわたしを倒せるのでは?」
ジャスミンが一歩近づいてきました。
「安い挑発ですの……、ジャスミン。わたしの見立てだと、あなたはかなり優秀な戦士ですの」
ジャスミンの動きが止まります。ジャスミンから初めて余裕が消えました。
「どこで気づいた?」
わたくしは先日のオープンテラスでの様子を思い浮かべます。
「わたくしがあの日、魔力を放出したとき、あなたは誰よりも速く警戒態勢を取ってから怯えたフリをしましたの。それとルシウス殿下と一緒にいないときの脚運びですの」
ジャスミンが瞑目します。
「あなた、やっぱり厄介な女ですわ」
わたくしはため息をつきます。
「こっちのセリフですの」
--りーん。ごーん。
授業終了のチャイムが鳴ります。
ああ、結局授業中には戻れませんでしたわね。
その時、唐突にジャスミンから殺気が放たれます。
ジャスミンは一歩大きく近づき、わたくしのごく至近距離に立ちます。
反応が遅れましたの!身を護るわたくしの脇をすりぬけ、背後のクロに向けて腕が伸ばされます。
狙いはそちら!わたくしは伸ばされた彼女の手を払おうとしました。
『違う、アレクサ!手を引いて!』
え、クロ何を?わたしがアクションを起こす前にジャスミンはわたしと腕を交差させ、そこに伸し掛かるように体重をかけます。わたくしが下から力を籠めると、彼女は体から力を抜き、彼女の体が浮いて……。
「あ」
ジャスミンが鮫のような笑顔を見せます。
彼女はわたくしの力にわざと押されて手すりを乗り越え、笑顔のまま落下していきます。
「っ〈軽量化〉!」
『〈念動〉!』
わたくしとクロが手すりへと駆け寄り、ジャスミンに落下を止める術式をかけます。
「……弾かれっ!」
反魔術の付与がなされた魔術具を仕込んで!?
ドサリと彼女が階下の床に落ちる音が、静かな廊下に響きました。
「……くそっ」
……やられましたの。
 




