第25話 ちゅー
2番を歌いだそうとしたところで、お父様に止められました。
「あー、アリー。もういい、ありがとう。いい歌だった。
……で、その歌を誰が教えたって?」
「ゾーラ軍曹が新兵のみなさんに歌わせていますの。わたくしは一緒に訓練していた訳ではありませんが、近くにいましたので」
お父様は申し訳なそうな顔をいたします。
「覚えてしまったというわけか」
「そうですわね、でもゾーラ軍曹も、新兵のみなさんも、わたくしが歌うととても喜んでくださいましたのよ。
わたくしが『ちょーだい』と歌うと、みなさん歓声をあげますの」
お父様は机に手をつきます。えーっと、お父様?怖いので魔力を放出しながら呟くのをやめて頂きたいのですが……呪詛になりかけていますのよ?
あいつら全員1階級降格させるべきか、……って可哀想ですの。
それとも全員2階級特進させるべきか、……ってどういうことですの?
「あー、アリー?歌の意味は分かって歌っているのかね?」
お父様が体を起こして尋ねられました。そのままの意味のお歌ではないのかしら?
「しごいて!とはどういう意味か分かっているのかい」
わたくしは首を傾げます。
「もちろん、新兵を鍛えているのですし、しごく、肉体的訓練のことではないですの?」
「ああ……そうだな」
お父様はなぜかほっとした様子ですの。
「ペットを飼っている歌ですのに、そのペットが何かは誰も教えてくださらなくて。
このなまこさんを召喚して、ああ、みなさんなまこを飼っていたのだなと思ったのですが……違いましたの?」
お父様はどこか慌てたように頷きます。
「あ、ああ。その通りだ」
わたくしは笑みを浮かべ、手を合わせます。
「ああ、良かったですわ!ポートラッシュに戻ったら、みなさんがどんななまこを飼っているのか見せてもらわなくては!」
お父様が項垂れました。うん、アイルランドの領法でなまこを飼うことを成人男性に義務付けさせよう、……ってどういうことなのでしょうか。
わたくしは机の上、金魚鉢のクロをあらためてお父様の前に差し出します。
「お父様、こちらがわたくしの使い魔、なまこのクロですの」
お父様はクロをちらりと見ました。わたくしは金魚鉢のクロに向かってウインクします。
「クロ、あちらがわたくしのお父様ですの。ご挨拶を」
『はじめまして、アレクサの父君。わたしはアレクサの使い魔、クロと申します』
お父様が目を見開きます。
「驚いた!しゃべることができるのかい?」
『ええ。声は出せませんが、〈精神感応〉であれば』
「ふふふ、驚いたでしょう?〈精神感応〉や、〈念動〉や、色々な魔法が使えるのですよ?」
お父様は感心した様子を見せます。
「ふむ、珍しいね!さすがにアリーが召喚するのがただのナマコということはないか」
魔力量に応じて召喚できるものが決まってくるというものですわね。わたくしも最初に魔法円からなまこさんが出てきたときは驚きましたけどね。
「クロはなまこの神様みたいな存在ですのよ」
「ほう、確かにしゃべれるナマコだものなぁ」
その後、お父様からは領地の話をしていただきました。魔との戦いは常に継続しているが、特に大きな被害は受けていないとのこと、まずは安心しましたの。
わたくしからは学校生活の話、友人との交友関係、そして婚約破棄の話……。
先日のルシウスとジャスミンと話した際の様子をお父様に伝え、判断を仰ぎます。
「好きにしなさい」
「え……」
お父様はカップのお茶を飲み干します。
そしてカップを置くと、真剣な眼差しでわたくしを見つめて言いました。
「いいかい、アリー。わたしの望みは、アリーが幸せに今後の人生を歩んでくれることだ。君が望むなら、貴族の義務など全て放り出したって構いはしない」
「お父様……」
「これはわたしや、わたしの父祖の不徳でもあるのだが、アイルランドは本土との仲が良くない。
故に、国王からルシウス第二王子との婚姻を提示されたとき、決して悪い話ではないと思っていた。アリーがそちらとの関係に思い悩むことが無くなるというのであればとね。
だが、ルシウス殿下自身がアリーを苦しめるというのであれば、話は全く変わってくるだろう?だからもう一度言おう。
好きにしなさい。それにより何の問題が起きたとしても、それはこちらで何とかしよう」
お父様は左手で自身の胸を軽く2度叩きます。心配いらないと。わたくしを安心させるように。
ああ、このタイミングでお父様とお話できて良かった。
『良かったですね。アレクサ』
わたくしは頷き、温くなってしまった紅茶を口にします。
「それにしてもルシウス殿下、わたくしのクロをおぞましい形の使い魔といいましたのよ?許せませんの」
お父様はまじまじとクロを見つめます。
「うーむ、それに関してはなぁ。殿下の言うことも分かるというか。一般的な使い魔と違うのは分かっているだろう?」
お父様までそんなことをおっしゃいますの。
わたくしは金魚鉢を抱きかかえ、お父様を睨みます。
「この1月、毎日、毎夜。クロと生活を共にし、魔力を交感し続けていますのよ?他の使い魔など考えられませんの」
お父様は不機嫌そうな顔です。
「使い魔と同室に住んでいるのかい?」
ふんす、と息をつき、頷きます。
「当然ですの」
「……殿下との話を聞くに、使い魔がナマコであることを婚約破棄の理由としてくるのは難癖であると言えるだろう」
わたくしは頷きます。
「ただ、今後新たな婚約者を探さねばならないが、その時に使い魔がナマコであるというのは不利に働きかねんようにも思えるな。
使い魔契約を一度破棄し、再召喚を試みるのも悪い選択肢ではないと思うがね。アリーの魔力なら媒体を用意すれば、ザナッドの子供を呼び出すことも可能なのでは?」
確かにザナッドの子、ヨーギーならわたくしも一緒に遊んでいましたし、呼び寄せることも可能でしょう。でも、そういう問題ではないですの!
「わたくし、クロを手放したりいたしませんからね!」
「しかし、例えばアリーが領地に戻ったとしても、あるいはアリーのことだ。領地を飛び出したとしても戦いの日々を送ることとなるであろう。戦闘に適した使い魔の方が良いのでは?」
「クロは戦闘でも役に立ちますの!」
「ナマコが?」
「なまこでもですの!」
『あー、アレクサ、落ち着いて?』
「まあ、勿論ふつうのナマコではないだろうけどね、それでもわたしとザナッドのように竜と契約している方が強いとは思わないか?」
「決闘ですの!わたくしとクロ、お父様とザナッドの組み合わせで戦いましょう!全力でお相手しますわ!」
わたくしが魔力を開放します。お父様の額に汗が浮かびました。
「アリー、まだ魔力が増えているのかい?魔力増加訓練の授業は受けていない筈では?」
わたくしは笑みを浮かべます。
「ええ、自習で。魔力を増やす訓練を自発的に行うことは禁じられていませんわ。そのせいで魔力制御の訓練が常にぎりぎりなのですけども」
お父様は頭を抱えます。
「まあ、まだアリーに負けはしないだろう。だが、大変な戦いになってしまうと思う。わたしも今日中に帰らないとならないから、今戦う訳にはいかない」
「残念ですの」
わたくしは魔力を鎮めます。
「使い魔同士の代理決闘をしようにも、ナマコではな」
む。
「いくら普通のナマコではないとは言え、戦いになるまい」
むむむ。
『そうですね、若い火竜程度ではわたしの相手にはならないでしょう』
「……ちょっとクロ?」
『異界生まれの古龍ならともかく、地球生まれのたかだか数十歳の竜では戦いになりません。賢明な判断です』
お父様が青筋を立ててクロに話しかけます。
「ほう!そこまでいうからには勝つ自信があるのだろうな?」
ああ、お父様、挑発に弱いのが……。
『自信?そんなものはありませんよ。あなたは赤子を持ち上げるときに自信という言葉を使うのでしょうか?』
「なぜさらに煽りにいきますのよー!」
『あなたの父上はわたしがアレクサの使い魔であることに対して快く思っていないからですよ。神の中にも良くいますが、この手合いは力を示さねば収まりますまい』
「……ということになりましたの」
わたくしは鈴を鳴らし、やってきたサイモン学長とエミリーさんに事の経緯を説明いたしましたの。
二人とも、沈痛な表情をなさっています。
「父娘水いらずで話をさせようと思ったのがまずかったかのぅ」
「学長、さすがに想定はできません」
一応、魔術師が決闘と言う言葉を出すと、それは重んじられることになっておりますの。それにお父様は辺境伯ですからね。
もちろん、その願いは即座にかなえられるのですが、学長からはポートラッシュの血の気の多さについてちくりと言われましたの。
校庭に戻ると、真ん中にはザナッドが先ほどと変わらず寝そべっています。グラウンドの真ん中に小山ができたようですの。
もう昼食の時間は過ぎてしまいましたので、生徒たちはこの場にはおりません。
午後の授業はさぼりになってしまいましたの。
チャールズ先生がグラウンド隅のベンチに座っておられます。ああ、グラウンドを占拠しているから他学年の授業ができなかったのですわね。申し訳ないことをいたしました。
授業をしていない先生が三々五々集まっていらっしゃいました。
エミリーさんがわたくしの耳に口を寄せます。
「急な決闘騒ぎ事態は迷惑な素振りを学長も見せていますが、竜の戦いを見られること、それにクロさんの戦いを見られること、実は楽しみにしているんですよ。他の先生方もね」
見渡すと先生方のなかには水晶球を持つ方も。記録映像を取るのか、ここにいない先生のために中継しているのか。
使い魔の姿も見えますわね。ん、あの木の後ろの丸いの。フラッフィーですわね。他にも見覚えのある生徒の使い魔が。
最後にミセス・ロビンソンがやってきました。
車いすに座り、体を冷やさないよう、膝掛や布に包まれ、ミーアさんにいすを押されて来ています。
わたくしは手を振りました。ミーアさんが片手を上げてこたえ、ミセスがゆっくりと頷かれます。
グラウンドの周囲では学長先生を始め、何人かの先生方が魔術の結界を張っておられます。
わたくしはその間を抜けてクロを連れ、グラウンドの中央に向かいます。
お父様は寝そべるザナッドの隣、耳元で何か指示をだしていました。
「クロ、よろしくて?」
『ええ、問題ありません』
わたくしは金魚鉢に手を突っ込むとクロを掬い上げました。
水滴が制服の袖とグラウンドを濡らします。
クロを両手で下から持ち上げ、〈念動〉で金魚鉢のみを背後に浮かせてお父様と相対します。
「では決闘ですの」
「うむ」
「我が名はアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。我が言葉の正しさは、使い魔クロの働きを以って示される」
「我が名はブライアン・シェイマス・ポートラッシュ。我が意志の正しさは、使い魔ザナッドの働きを以って示される」
わたくしはクロに話しかけます。
「クロ、せめてわたくしの魔力を持って行ってください。応援の気持ちですの」
『なるほど。ありがたく頂戴します』
わたくしは手にしていたクロの憑依するなまこさんを顔の前に掲げると、その先端に口づけました。
「アリー!?」
お父様が驚いた顔ですの。
口からの方が魂絆を通してより魔力伝導率が高いですのよ。
『えーっと、アレクサ?わたしの尻になにか?』
しかたありませんの。口側は触手さんが邪魔なんですもの。
そして、なまこさんに呼気と共に魔力を送り込みます。
『ちょ、魔力を尻から入れるのらめーー!』
全力で煽りにいくスタイルのなまこ。
初ちゅーがなまこの尻のアレクサ。
これでいいのか、うちの主人公たち。




