第22話 ひすとりー・てぃーち・あす・なっしんぐ
ミーアさんと寮に戻り、食堂に入りますと、みなさんの目が全員こちらに向いていますので思わず一歩後ずさります。
後ろについてきた使い魔たちは、主の元へと駆けていきました。
「ただいま戻りましたの」
「「「「「「おかえり」」」」」」
わたくしはため息をつきます。
「来なくて良いと言いましたのに。見世物ではありませんのよ?」
奥から新聞が飛んできます。おや、〈騒霊〉さんですかね。
くるくると筒状に新聞を丸めて?
大きくスイングしてミーアさんの頭に。
「痛いですにゃー!」
パコン!という乾いた音と共にミーアさんが悲鳴を上げ、新聞がキッチンの方を指し示します。
……ああ、洗い物。
筒状の新聞はそのまま何度もミーアさんの脇腹をつつきます。
「にゃ!にゃ!にゃ!あひぃ、わ、分かりましたにゃ!すぐ、すぐやりますから!やるから、つつくの、やめてくださいにゃ!」
ミーアさんがキッチンへと追いやられました。
今度は砂時計がカタカタ動き、ハンドベルが鳴らされます。
ベリンダさんが叫びます。
「授業時間!」
みなさん慌てて立ち上がり、授業に向かいます。
クリスがわたくしの鞄を投げてよこしました。
「ありがとうございますの!」
「急ぐわよ!」
本鈴が鳴ると同時に教室に駆け込みました。
「おや、諸君。ゆっくりとした到着だな」
歴史学と占星術担当のムスタファ先生です。浅黒い肌に黒い髪をターバンに包み、同じく黒い目と髭が印象的な方です。
スーザンが尋ねます。
「アウトですか?」
「いや、大丈夫だ。だが早く席に着きなさい」
先生が座席の方に手を向けます。わたくしたちは急いで席に向かいます。
「ではまあ、今回は新年最初の授業と言うこともあるし、去年の復習から始めようか。
人類の祖先は猿から進化した。人類の祖はおよそ200万年前に生まれたとされるが、それを調べることはもはや不可能と言われている。
なぜだろうか。ズアー」
同級生の一人が指名されましたの。わたくしはペンとノートを鞄から取り出して机に並べていきます。
「えっと、起源とされる地が失われているからです」
「ふむ、いいね。人類起源とされていた地であるアフリカ大陸が存在しないからである」
先生が黒板に板書なさいます。
すると、隣からすっと紙片が差し出されました。
『ルシウスとの婚約どーすんの? Ch』
横を見ると、クリスが先生から見えない角度で小さく手を振っています。
「さて、人類が知恵を持つようになったのはおよそ5万年前。文明と言えるようなものを築き始めたのは1万年前くらいだろうかね。
人類が暦と言うものを意識するようになり、その中でも広く使われたものが、キリストと言う人物が産まれたとされる年を基準として暦を作ったものだ。それを起点としてそれより前を紀元前(B.C.E.、Before Common Era)、それより後を西暦(C.E.、Common Era)とした。
西暦の最後の頃が、人類は最も繁栄していたと言える」
まあ、復習ですし、このあたりはしっかり覚えていますから。雑談に付き合ってもいいですかね。
わたくしはその紙片の余白にペンを走らせます。
『ルシウス次第ですの。政略ですし、彼の家格のが高いですから、わたくしがどうこう動けるものではありませんし。 Alex』
「では西暦の時代の人類の発展を支えたものはなんだっただろうか。今との違いはなんだろうか?マイク」
紙片をクリスにそっと手渡します。
クリスはそれを読むと、ノートを切り取って新しい紙片を用意しだします。
まだ続けますのね。
「科学です。魔法は存在しませんでした」
マイクが答えます、先生はゆっくりと教壇の前を往復しながらお話しなさいます。
「その通り。西暦の末期、世界の人口は100億を超えていたという。だが、それが資源を枯渇させ、環境を悪化させ、食料を不足させ……、そして戦争になったという。戦争によってさらに環境は悪化し、人口の99%以上が死に絶え、世界には12の都市のみが残った。
もはや国家と言う枠組みは失われ、12の都市の自治によって世界が運営されることとなったのだ」
クリスから新しい紙片が送られてきます。
『アレクサ的には婚約継続したいの?破棄したいの? Ch』
したいかどうかという視点では、考えたことありませんでしたわね。うーん……。
「事ここに至って戦争は継続できず、彼らは和平を結んだ。和平の際に12都市はその証として、黄道の12星座を都市の名に冠することとなる。これ以降の時代を黄道暦(Z.E.、Zodiac Era)という。
西暦末期から黄道暦初期における重要なトピックは何だろうか。スーザン」
『正直にいうと、どうしたいとは考えていませんわ。ただ、アイルランドに災禍がいかないよう立ち回らないと、とは思いますけども。 Alex』
書いてクリスに送ります。
「魔力の発生です」
わたくしの斜め前、スーザンが手を上げて答えます。
「概ねその通りだが、一応正確には異なる」
再度スーザンが手を上げて答えました。
「魔力の復活です」
先生が頷きます。
「そうだな。魔力と言う力は古代には存在し、それが西暦のどこかで失われ、それが黄道暦の始まる前後で復活したという考えが一般的だ」
クリスは回収した2枚の紙をいま質問に答えていたスーザンへと回しました。ちょっと!何勝手にひろめていますの!
わたくしが非難を込めて睨みますが、クリスはどこ吹く風。すでに用意していた別の紙片に新たに書き込み、こちらへと渡してきます。
『アレクサはなんだろう?考え方が女の子と言うか、アイルランド継承者なのよねぇ。じゃあジャスミンはどうだった? Ch』
「黄道暦において、都市毎、または都市間では色々なトピックがあるが、世界規模での事件は少ない。この頃は機械文明と魔法文明が融合していた時代とも言える。さて、この後、世界は暗黒時代(D.A.、Dark Age)へと移っていく。暗黒時代の始まりについて説明してくれるかい、セオドア?」
うーん。
『ぶっころしてえ(I wanna kill her)』
思わず書いてしまった言葉をペンで消します。
「はい、ユーラシア大陸東部の消失、魔界の出現、2の月の出現と、魔素の増大です」
テッドが自信ありげに答えます。決闘の時もね、このぐらいの態度で立ち向かってくれれば良かったですのに。
オーガのグライアスを制御するのに手いっぱいでしたからね。彼に補助魔法とかかけてくれていれば、もっと楽しめたでしょうから。
『胸でルシウスを篭絡したんだなと。クリスはわたくしの方が美人と言ってくれましたが、彼女の方が好かれやすいと思いますの。あと、そう。強いですわね。 Alex』
視線を先生に向けたまま、紙片をクリスに手渡します。
「そうだね、完璧だ。ユーラシア東部と共に消失した12都市の名前を言えるかい?ハオユー?」
わたくしが消した言葉を透かして見て、クリスが引いていますの。……わざわざ見なければいいですのに。
「シティ・カプリコーンと、サジタリウスです」
クリスがさっと下に書き込みます。
『強いって女としてしたたかってこと? Ch』
「おお、みんな良く覚えているな。良いことだ。この学年、このクラスは特に優秀であるなあ。
さて、黄道12宮の名を冠した都市の2つが失われたことで、黄道暦はここで終わる。この直後、魔の侵略を受けて戦の時代となったことで、暗黒時代と呼ばれるようになった訳だ」
わたくしもその下に書き込みます。
『いえ、戦闘力としてです。 Alex』
クリスに回します。クリスは驚いた表情をし、
『うえー、そうは見えなかったな。 Ch』
と書き込んだ紙をこちらに見せて、そのままスーザンに渡しました。
「暗黒時代、大半の西暦時代の科学の遺産、黄道暦時代の魔道科学の技術が消費され、失われた。人類は今では禁忌とされる原子力系統魔術すら使い、戦線を押し上げて行ったが、一転窮地に陥ることとなる。それはなぜか、アレクサンドラ?」
ムスタファ先生、わざわざわたくしに当ててくださいましたわね。
「魔の中でも魔力操作に長けた者たちがアイルランドに超大規模〈転移門〉を繋げたことです。東にのみ戦線を広げていた人類は後背からの襲撃を受け、瓦解しかけましたわ」
アイルランドの苦難の歴史の始まりでもありますわね。
わたくしが答えている間にもクリスはまた新しい紙片を取り出して書き出します。随分長々と書いていますわね。
「その通り、ガーファンクル様とアマテラウス様がヨモトゥヒラサクの結界を張るまでの間に、ライブラは壊滅的な被害を受け、ヴァルゴは滅んだ。人類は致命的な打撃を受け、そのまま敗北するかと思われた」
2枚目を出して書き続けますの。
むう、気になりますわね。
1枚目が送られてきました。
『アレクサ、今回の件で悪いのは確実に!全て!完全に!ルシウスよ。
国家の戦略的に重要な意味を持つ政略結婚を台無しにするとか、どんな理由があっても許されないわ。
おっぱいにふらっと誘惑されたなんて理由では特にね。
わたしは、そして寮のみんなは全員あなたの味方よ。対立派閥のドロシアたちですらね。 Ch』
ドロシアの方をちらりと見ます。ちょうど向こうもちらちらとこちらを気にしていたようで、目が合いました。
ばっと目を逸らされます。……ふふふ、そうですわね。ドロシアだって敵対することも多いですが、仲間ではありますものね。
「ではその時何があり、人類は救われたのか。ロザーナ」
もう一枚の紙片が送られます。
『でもね、1度だけ、そして1つだけ言っておくわ。アレクサもまたルシウスを愛そうとしてなかったの。 Ch』
「はい、3の月の出現と、アフリカ大陸の消失、新大陸の出現、新しい種族たちの出現です」
わたくしはそれに反論を書きつけます。
『会いに行ったり、贈り物をしたり、話したりしていましたわ。 Alex』
「うむ、竜種やエルフ、獣人といった種族の登場だな。それに加え、魔素の増大も追加しておこうか。人類と彼らは手を結び、魔を押し返すことに成功した。この同盟を大同盟と言い、その大同盟が結ばれたことを記念し、後にその年のことを大同盟暦(G.A.)元年としたのだ」
クリスから返信が来ます。
『それは義務よ。愛ではないわ。(It’s your duty, not love.) Ch』
わたくしは衝撃を受けました。
それはクリスにそう指摘されたからではなく、その指摘に納得してしまう自分に対してでした。
そう、なのですね。わたくしはルシウスを愛そうとは出来ていませんでしたのね……。
授業の内容が耳を通り過ぎていきます。
目の前に別の紙が差し出されました。
『アレクサ、好きな人、恋愛的な意味で愛する人はいるの?良く考えてみてよ。 Ch』
のろのろとした思考でそれを考えていきます。ルシウスが違うとすると、そんな……。
同級生?ハオユー、マイク、テッド……。いや、ぴんとはきませんの。
寮のみなさんは女性ですし、クリス、ナタリー、ミーアさん……まあ違いますの。
領の兵士たちは歳が離れていて、あまりそういった意識がないんですわよねぇ。新兵で歳が近いのもいましたけど、頼りないって感じでしたものねえ。
あとはもう父様と義兄様くらいしか……。義兄様……?
「あ……」
顔が赤くなるのを感じます。
「嘘」
思わず頬に手が行きます。
すると、ばんばんばんと肩が叩かれます。クリスが満面の笑みを浮かべながらわたくしの肩を叩き、そして抱き着いてきますの。
「うわー、アレクサ可愛い!その顔をルシウスに見せてたらイチコロだったのに!」
ちょ、クリス落ち着いて。
「クリスティどうしたかね」
ひいっ、先生の声ですのよ!
「アレクサが可愛くて!こんな顔のアレクサ見たことないわ!」
先生がゆっくりと頷きます。
「そうかね。だが残念ながら今は授業中だ」
「あ」
静まり返る教室の中、クリスが恐る恐る尋ねます。
「……セーフですか?」
先生はゆっくりと首を横に振ります。
「いや、アウトだろう。クリスティ、減点1」
紀元前と西暦について、日本ではBC、ADと書かれることが多いですが、なまこ×どりるの世界観ではBCE、CEとして伝承されています。
Before Common EraとCommon Eraの略で、実際に現代でもこの言い方は使われているものです。
そして、今回22話にしてなんと、はじめてなまこが登場しない回である。
まあ、元より座学の授業中は使い魔を寮に置いておく設定なのですが、それが22話まで伸びるとは思わなかった。




